第1回 連載にあたって



 「妻の声、昔ときめき、今動悸」というなんとも言いようのないサラリーマン川柳がありますが、昔、妻と知り合って間もない、まだ、彼女の声でときめいていた頃、私は、彼女に対して「この年頃に知り合う女性は、僕の人生にとって大事な意味を持つ人になる可能性が大きいのだから、毎週、会うのは止めよう」などと、変なことを言ったことのある人間です。

 こんなことは、私の全く個人的な、しかも若い頃の恥ずかしい話で、人にお話するようなことではないのですが、この真意は、「20歳台の5年か10年の間にたまたま知り合う女性は、ひょっとしたら人生の伴侶になるかもしれない可能性の大きい人なのだから、偶然の出会いをきっかけとした一時の恋愛感情で自分の生き方を見失わず、自分の選んだ出会いによって生涯の伴侶を選ぶことができるよう、お互いに相手を冷静に見ることのできるような付き合い方をしたい」ということにあったのですが、今考えれば、全く自分本位で、本当に変なことを考えて実行に移した人間だと思います。(妻によると、その時、私が何を言っているかよく分からなかったけれど、忙しいからまあいいか、と思った程度だそうです。

 そんな鈍感力が幸いして(災いして?)、結婚して25年以上も、私の妻をやっているのでしょう。なお、その"偉大な"鈍感力は、今になって私にいろいろなところで動悸どころか発作を起こさせかねない原因となっています。)そのころ、私は、真剣に偶然が自分の人生に及ぼす影響について考えていました。

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 1989年7月にパリで開かれたG7サミットは、フランス革命200周年を記念してデファンスに建設された新凱旋門(La Grande Arche)で開催されました。その名もアルシュ(Arch)・サミット。会議の当日は、新時代の幕開けを告げるように、真っ白な新凱旋門がすいこまれるような青空に屹立していたのを思い出します。アルシュ・サミットは、その経済宣言で社会主義経済に対する市場経済の勝利を高らかに謳いあげ、一つの時代の終焉と新たな時代の到来を告げました。また、この経済宣言は、初めて地球環境問題への取り組みに向けたG7の首脳の決意をその約1/3もの分量を割いて記述したという点でも画期的なものでした。(今考えると、1989年という年は、時代を画した年だったと思います。)

 ところで西側先進国の首脳が口を揃えて勝利宣言をした「市場経済主義」とは何だろうとの素朴な疑問を持ったのは、フランスへの出張から帰って経済宣言をもう一回、じっくりと読み直していたときのことです。確かこの頃は、まだ貿易摩擦問題が燻り、海外からは日本経済の構造的な問題が数多く指摘されていました。各国の標榜する「市場経済主義」には、いろいろな違いがあるのかもしれない。そうだとすると、市場経済が具備すべき条件や原則について、各国が共有する基本的な考え方は何なのだろう。書生っぽいと思われたそんな疑問をその当時お付き合いすることのできた、日本では一流の経済学の先生方にぶつけてみて分かったことは、この問についての答えはそんなに簡単なものではなさそうだということでした。

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 オーストリアのチロル地方を車で旅行していたときのことです。私は、チロル地方がドイツ側にも、オーストリア側にも(正確に言えば、オーストリアの中心に近い側も)、峻厳な山脈が連なる地方ということに気がつきました。そうした地理的条件にあるにもかかわらず、言語的にも文化的にも隣接するドイツ側、オーストリア側とそれほど差があるとも思えないチロル地方は、どうしてオーストリアに属したのだろう。きっとこの地方の人たちは、ある時、自分たちが属したい国を自分たちで選んだのではないだろうか、などと考えたのです。そして、頭の中に浮かんできた疑問は、チロルの人々のように、自分たちで選択した結果、属することとなった国と、日本人のように島国であるが故に、そこに属することがあたかも所与のような国とでは、国民の「国」というものに対する考え方が、ひょっとしたら違うのではないかということでした。(なお、私は、チロル地方がオーストリアに属することとなった歴史をきちんと勉強したわけではないので、ひょっとしたらチロル地方で感じたことは、チロル地方には当てはまらない問題なのかもしれません。)この自分にとって国とは何かという問いにも簡単な答えはなさそうです。

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 私が不勉強なだけかもしれませんが、「市場経済主義とは何か」、「国とは何か」、「民主主義とは何か」、「自由とは何か」、「平等とは何か」、「参加とは何を持って参加といえるのか」などと改めて問うてみると、日頃、何の疑問もなく使っている抽象性が高く、特に欧米由来の基本的な概念の多くについて、自分の中にきちんとした理解がないまま議論していることに気づかされます。ところで、巷で交わされる多くの政策議論においては、こうした基本的な概念が関係者に等しく共有されているという暗黙の前提に立って、関係者間の対話や検討が進められるのですが、特に異なる文化圏の人たちと行う議論では、こうした何となく十分に分かっているつもりになっている基本的な概念について、ふり返ってみることが大事ではないかと思います。なお、ここで「ふり返って」と書いたのは、大事なことは正解を見つけることではなく、必要に応じて文献なども参照しながら、自分の頭でよく考えてみるということが大事なことではないかと私は考えるからです。実は、浅学な私にとっては、このほかにも「ふり返って」みるべきことが山積しています。そして、こんなことを真剣に考えていると自分の身の回りの問題について、ときどき私なりに面白いことに気がつくことがあります。

 そんな気がついたことを、出口さんのお勧めもあって、これから少しずつ書いていきたいと思います。実は、そんなお勧めをいただいてからも、こんな変なことを考えるような私が書いたものを通じて、果たして読者の皆さんに多少なりともお役に立てるようなことをご提供できるのだろうかと、正直言って相当の間思い悩みました。私に連載を勧めるなど、さすがに出口さんも焼きが回ってきたのではないかとも思いましたが、まあ、物書きのプロにいただいたせっかくの貴重な機会だし、止めるときはいつでも止められるとやや開き直って書き始めることにしました。まあ、今後しばらくの間お付き合いいただければと思います。

 ところで、こう書いているうちに悪い癖が出てきたようです。「産学連携」の連携とは、具体的には何を実現しようとすることなのでしょうか?

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