第7回 同じように漢字を使っても(1)同字異義
勘違いのような理解は誤解を招く
「え〜と、どこで切ってもらえるかなぁ・・・」と、日本に来て3ケ月を経った筆者が日本語学校の先生に対し、自分の頭を指しながら、手振り身振りで聞いた。先生はまだ日本語の不自由な筆者に対し、丁寧に字を大きく書いた紙を筆者に渡した。それを見て、筆者は「え〜、本当?」という不信の表情。「なにかおかしいでしょうか」と先生のお尋ねに筆者は聞き返す力がなかった。
先生は紙に「床屋」と書いた。もちろん正確に書いて頂いた。しかし、日本に来たばかりの筆者は多くの中国人と同様かもしれないが、漢字を見て日本語で発想するのではなく、慣性思考的に中国語の意味で推測してしまう。「床屋」を中国語的に理解すれば「ベッドの部屋」という意になるが、髪の毛を着るのになぜベッドの部屋に行かなければならないのか、と不安な気持ちが一杯で何度もお店の窓から中の様子を覗いて確認した・・・。
日本語には中国の漢字が非常に多く使われているので、日本語を勉強し始めたばかりの頃の筆者は、日本語の単語を発音的に読めなくても、その意味はなんとなくわかるだろうと思ったときがある。実際、「投資」、「法律」、「交通」、「生産」、「肖像権」、「留学」、「商標」、「美容」、「音楽」などの用語は、発音は別として、漢字もまた単語によっては法的なおおまかな意味も日中両国のどちらにおいてもほぼ同様である。
しかし、その後の勉強や業務の中でつくづく痛感してきたのは次のことである。すなわち、日本と中国とは同じように漢字を使っている国ではあるが、文法や発音などはいうまでもなく、単語だけ採ってみても、意味の違うもののほうがずっと沢山存在し、それに十分留意しないと、取り除く時間のかかる誤解を招くことになるだけでなく、ときには重大な問題を引き起こすことさえもありうるであろうと分かった。
参院選で10年前の「まさか!?」を思い出す
去る7月29日、参院選の投票がついに始まった。それまで、テレビや新聞はいつものように連日自民党や民主党など各党の選挙活動を追跡し、「自民党幹部が会談、参院選に向けて結束を確認」とか、「民主党が2007年政治決戦に向け、結束して本格始動」などを報道し、各党が「結束」を強調しているように見える。筆者はこの「結束」という単語で見ると、思わず10年前の一幕を思い出した。
当時、宮沢総裁をはじめとする自民党の幹部達が自民党の分裂に関し「全員結束して・・・」と呼び掛けた。その字幕を見ながら聞いた筆者は「まさか」と思った。なぜならば、「結束」という中国語の意味は「終わる、終わらせる、結末がつく、始末する」と、物事を終結させる場合に使われるので、「自民党全員を終わらせる?」と一瞬中国語的に反応し、信じられないと思ったからである。
同じ「結」の字を使った言葉で「結構」と言う単語がある。日本語では「たいへん結構ですね」というように言うが、中国語の「結構」は全く異なって「文章などの構成」とか「建築物の構造」の場合に使われる。同じ漢字で構成された単語でも、日本と中国では意味が全く異なる場合が実に多いね。
ところで、日本語で「研究員」といえば単に公務員、教員などと同じく「職役」の一種を意味する場合が多いようである。しかし、中国語で「研究員」とは教授、「副研究員」は「準教授」、「助理研究員(研究員補佐)」とは専任講師、と同クラスの「職位」を指すものである。中国の中高年研究員が日本に来てそれなりに応対されていないことや、日本の若い研究員が中国に行かれたら案外厚遇されたことは、お互いに「研究員」という単語を誤解していることに一因があったかもしれない。
また、周知の通り、「小康」というと、日本ではしばらく安定する状態を指すが、中国では2000年までに目指していたまずまずの生活レベルを指している。さらに、日本の大晦日に見られる「NHK紅白歌合戦」の「紅白」が元は男女を意味しているのに対し、中国俚諺である「紅白喜事」の「紅白」は婚礼と葬儀を意味している。いや〜、全然違うね!
Innovationは「革新」でなく「創新」である!
ある日の夕方、中国側のパートナー候補との共同プロジェクトにおいて協力協定の条件を話合ってもなかなか纏まらないとき、「具体的な条件について当方はもう一度検討しなければならない」と日本側がいう。予定の通訳が欠席だったことも一因で、朝食から日中双方の通訳としても兼務してきた筆者はかなり疲れて思わず「検討」という単語をそのまま中国側に訳した/伝えた。
中国側の担当責任者がなんともいえない顔で筆者を見て、「もう一度『検討』でしょうか」と確認した。「そうです。あっ、いいえ!『検討』ではなく、もう一度『研究』です。」と筆者が気づいて急いで訂正した・・・。日本語の「検討」に該当する中国語は「研究」「探討」「商討」等があるが、中国語の「検討」は反省するとか自己批判をするとの意味があり、日本側が「具体的な条件についてはもう一度反省しなければならない」というようになってしまった。
ところが、「罰金」というと、日本では「科料」と同じ主刑としての財産刑の一つであり、刑事手続き上お金を懲罰的に徴収されるという意味である。中国語では「罰金」と「罰款」の二つの単語が使われ、前者は刑事法における刑罰の付加刑の一種であるのに対し、後者は民事法または行政法における民事罰または行政罰ともいう。そういう意味で、日本ではしばしば中国語の「罰款」を注釈なしで日本語の「罰金」に訳すのは誤訳であると指摘せざるをえない。
書き出すとどうにも止まらなくなりそうだが、最後にもう一例だけを挙げよう。日本語に「創造」や「革新」という単語は存在するが、「創新」という単語は存在しない。「創新」は中国語であり、Innovationの中国語訳である。日本語の「イノベーション」と中国語の「創造的革新」を意味する「創新」とはどちらがよかろうかは評価するものではないと筆者は思うが、「言葉は精神の食べ物」(日本書家、石川九楊氏)といわれるように考え続けたい・・・。
では、よかったら、次回の「同義異字」で再見しようね!
<了>
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