第44回 商標権紛争が映すものとは(中)



 前回は、2012年2月27日夜20:58、MSN産経ニュース「国際」で掲載された、「『エルメス』の訴え却下 正式ブランド中国語表記『愛馬仕』→中国紳士服メーカー酷似商標『愛瑪仕』がOK」と題する記事を例に挙げ、以下のコメントを述べた。


 「同じことを内容とする中国語の記事を確認すると、この日本語の記事には重要と思われる点が漏れていること(この点については次回で)に気付き、日本関係者に誤解を与えてしまった部分はないか、と筆者は思うが、今日の中国において、外資系企業等との商標権を巡るトラブルが多発している、ということは事実である。」


 そこでいう「重要と思われる点が漏れていること」とは、前述した日本語記事は「エルメスは中国で1977年に商標登録し」としているが、では、なぜエルメスは中国で1977年に商標登録しているにも関わらず、商標権を管轄する中国国家工商行政管理総局に続き、中国の裁判所にも認めてもらえなかったのだろう、と疑問に思う点となろう。



中国語の新聞記事の一例


 実際エルメスは1977年に中国でどのように商標登録をしたのか。同じことを内容とする中国語の記事では、エルメスは30数年前(すなわち「1977年」、筆者注)から中国で英語のHERMES及び図形を同社の中国商標として登録したが、その後年数が経っても中国語(漢字)としての商標登録はしなかった、と指摘し、惜しくも1995年に他社(中国大衆向け紳士服メーカー)に中国語の商標登録されてしまった、とある。


 エルメスが1977年に中国で商標登録をしたのは、英語の「HERMES」であって中国語(漢字)ではなかった点が重要である。商標制度の基礎に詳しくない方も居られるかもしれないから、少しさらってみよう。


 商標権は知的財産(権)という大家族の一員であり、「属地主義」(保護を求めたい場合、国ごとにその保護の法的手続きをしなければならない)という原則はよく知られているだろう。中国以外の国の企業等が中国において商標を保護して欲しい場合、中国商標局に出願しなければならない。ゆえに、エルメスも多くの日系企業も中国で商標出願するわけである。


 商標の出願から登録までの詳細フローは略すが、商標局は、出願された商標が法律上、登録禁止とされるものに該当するかどうか、類似の商標が既に存在しているかどうかを審査し、実体審査を経て登録要件を満たしていると判断された商標は商標公報で公告し、3ヵ月の異議申立期間で各関係者からの反応を見て、「異議申立」に関する同局の判断を行う。前回で述べた香川県の「讃岐烏冬」に対する異議申立や、また青森県の「青E」に対する異議申立が効いたのはその異議申立期間で起こし、認められたとのことである。


 しかし、商標局に対して行われた第三者からの異議申立が必ず認められるとは限らない。その場合、もし商標局の判断に不服であれば商標審査委員会に再審請求が可能であり、同委員会の再審判断にも不服であれば、裁判所に訴訟を提起することも可能である。エルメスの件はまさにこのようなケースにあたる。異議申立に対する商標審査委員会において、また同委員会の審理結果に不服として訴訟が提起される裁判所において、紛争当事者に存在する事実関係を確認したうえで、原告と被告のそれぞれの主張する商標が類似しているかどうか、いわゆる「商標の類似」性について審査、または裁定する。


 今回、原告はエルメスで被告は中国大衆向け紳士服メーカーであるが、もし中国大衆向け紳士服メーカーが1995年に出願した商標が、エルメスが1977年に出願した商標に類似すると判断されれば、エルメスの主張が認められるが、今回は「類似しない」という判断であった。


 これはなぜだろうか。前述した記事の中で漏れている点に深く関係しているが、エルメスが1977年に出願した中国の商標は中国語の「愛馬仕」ではなく、英語の「HERMES」であった。中国大衆向け紳士服メーカーが1995年に出願した商標は中国語の「愛瑪仕」である。もしエルメスが登録していた商標が「愛馬仕」であるならば、それと中国大衆向け紳士服メーカーの「愛瑪仕」とは、中国語の漢字も発音も非常に類似することはいうまでもないが、エルメスが登録していたのは英語の「HERMES」なので、それと中国大衆向け紳士服メーカーの「愛瑪仕」となら類似しているか、というと、商標として「類似する」とははっきりと答えられないだろう。


 実際、「商標の類似」は商標法の重要な概念として、日本での考え方と同じように、中国でも「外観類似」(商標の外観そのものが互いに似ていることをいい、視覚の観点からの類似である。例えば、「SONY」と「SθNY」)、「呼称類似」(商標から導かれる「発音」が互いに似ていることをいい、聴覚の観点から類似である。例えば、「SONY」と「ソニー」)、「観念類似」(商標から想起される観念が互いに似ていることをいい、意味の観点からの類似である。例えば、「王様」と「キング」)がある。


 もし「愛馬仕」と「愛瑪仕」との比較なら、外観類似に該当し呼称類似にも該当すると思われるが、エルメスが登録していた「HERMES」と「愛瑪仕」との比較なら、外観や観念はもとより、呼称も、HERMES(エルメス)と愛瑪仕(アイマス)なので、類似するとは言い難いであろう。


 エルメスもこの点を認めざるを得なかったかと思うが、中国商標局商標審査委員会の審査決定に不服として、中国の裁判所に訴訟を提起した際、この「商標の類似」問題以外に、HERMES(愛馬仕)は「登録していない著名商標である」と主張していた。


 中国大衆向け紳士服メーカーの商標登録に考えるべき点が全くないのか、著名商標とは何か、中国の裁判所はどのような理由からこれを認めなかったのか、本件からの教訓や、商標トラブル頻発の中で、日本関係者としてはどのような対応をとるべきなのか、次回で述べる予定である。



<了>



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