第39回 「早く死ぬか、精彩に生きるか」〜感動を呼ぶ劉偉さん



 このような時はいつも、自分の日本語力の限界を痛感する。
 このような時はいつも、プロの出口氏の文筆が羨ましくてならない。
 このような時はいつも、書くか書かないかで迷ってしまう。
 しかし、今回、やはり下手でも書こうと思ったので、後で登場してもらう主役には失礼かもしれないが、読者の方々に少しでも何かを感じて頂き、何かを共感していただけばと願う次第である。


 去る10月10日、北京オリンピックのメイン会場に次ぐ大きさで知られる上海体育場(連載「第19回 上海体育場、北京オリンピック、嵩山少林寺」参照)において、8万人が「中国達人秀」(番組「アメリカズ・ゴッド・タレント」の中国バージョンとも言われる)の決勝戦を見ていた。3ヶ月の間、出場者らによる競演が展開されてきた結果、優勝に輝いたのはなんと両方の腕がない北京の青年、優美なピアノの旋律で満場の拍手を浴びた劉偉さんであった。


  話は今年8月中旬のある日に遡る。中国達人秀のステージで観客が眼にしたのは、よくあるピアノと椅子、そしてその間に置かれた、ピアノの鍵盤と同じ高さのもう一つの台。それは何の台であろうと、観客が不思議に思う中、メガネをかけ、やや痩せている青年がステージの側面から普通に歩いてきて、皆さんに一礼した。よく見ると、劉さんの両方の腕がない。両方の腕がないのにどうやってピアノを弾くというのだろうか。


「なぜそのような台があるかと思ったが、もしかして劉さんは足の指でピアノをお弾きになるのかな」と審査員の1人が丁寧に聞く。
「そうです」と劉さん。
「何歳から勉強し始めたの?辛かったでしょうね」と、もう1人の女性の審査員がゆっくりと尋ねる。
「非常に辛かった。時には足の指が腫れ皮から出血することもあったし、また痙攣にもなった。」と劉さんは淡々と答え、さらに次の一言。
「しかし、・・・やりはじめたらできるまでやり続ける」と劉さん。


 とはいえ、健康な人でも上手にピアノを弾ける人は多くないので、両腕、両手を持たない劉さんがどのように体勢を保ちつつ、短い足の指でピアノを弾き、またどの程度ピアノを弾けるのかと、審査員も観客も劉さんを見つめた。


 演奏前の審査員と出演者(劉さん)との対話は短く終わった。劉さんは自然な様子でピアノの方向に歩き、椅子に座り、ピアノの前に置かれている台に足を乗せた。会場が怖いほど静まり返る中、劉さんは、世界でも稀少であろうと思われる足の指でのピアノ演奏を始めた。・・・なんという滑らかさで、心に響く素晴らしいメロディーだろうと筆者は驚かされた。もし動画の画面を見なければ、これは足の指で弾かれたピアノだとはとても信じがたい。鍵盤の上で踊っているのは劉さんの足の指ではなく、激しい奮闘の旋律ではなかろうかと、観客は(動画を見る筆者も)思わずそのリズムに陶酔する。


 やがて劉さんがゆっくりと足の指を鍵盤から離した瞬間、観客も3名の審査員も無言のまま全員起立するという、大会でも異例の事態となり、劉さんに対し惜しみない歓声と熱烈な拍手を送った。会場を沸かせた劉さんはまたも落ち着いて一礼した。


 「これほどの(素晴らしい)演奏に私は何も言うことがない。少しでも皆さんに劉さんの話を知って欲しい・・・。ちなみに、私達は手で演奏しても弾けるようになるには何年もかかるが、劉さんは・・・」と審査員の1人が聞く。
「私の人生には2つの道しかない。早く死ぬか、精彩に生きるか。ピアノは必ず手で弾くというのは誰も規定していない!」と劉さんはいう。劉さんの話が一段落すると、再度満場の拍手が響く。
「私も他の2人の審査員も、観客の皆さんも、劉さんの話を聞いたら、生活の中のいかなる不満もなくなる。ぜひ劉さんのように、何があっても積極的に取り組んで行き、精彩に生きていこうではないか」と審査員。


 「劉さんこそが達人の中の達人です。本当の達人は命で才能を表現する人間であると私は思う。」と、演奏中に何度も感動の涙をこぼしていた女性審査員はコメントし、「本日の劉さんの演奏録画をうちの子供にみせたい」と言った。
「あなたのような達人には、決して上手かそうでないかで判定するのではなく、私は心より、お幸せをお祈り申上げます」と最初の審査員。
「あなたに弾いていただいた『人生の音楽』に、本当に感謝します!」いつもは長く細かいコメントが目立つもう1人の審査員も言葉に詰まってそういう旨を述べただけであった。会場では再度満場の拍手が続いた。


 「早く死ぬか、精彩に生きるか」という名言とともに、劉さんは一夜にして話題の名人になった。劉さんは10歳のときに意外の事故でそれまで普通にある両腕がなくなってしまった。それからどのように生きていくのか、色々な苦痛や苦悩、またとても辛いことがあった。しかし、劉さんは同じく両手がなくなった方が口で書道をやられることを聞き、その書道家先生に人生訓を聞いたり、また両腕の助力を持たずといういかに大変でも水泳に取り組み続けたりして、普通の人より何倍も、何十倍も、時には言葉で表現できない様々な苦闘を力一杯で臨み続けて、精彩に生きて来た。そして、最終的には10月10日の夜の輝く大賞と出会えた。


 日本では、特に「奇跡体験アンビリーバボー」などの番組で国を問わず、世界中のこのようなすばらしい方の軌跡を伝えているのをご存知の方も多いであろう。両足がなくなった上でアメリカ横断を目指すランナーのアメリカ人、年老いた親のために押し車に親を乗せて、信じがたいぐらい遠い街を目指した中国人、難病の少女がホッケーのチームとの交流を通しチームを奇跡的に強くした話や、日本の両手両足がないチアリーディングの少女などなど・・・。そのような方たちは、普通とはあまりにも違う環境に置かれても、あきらめない、腐らない気持ちを大切しつつ、粘り強く精彩に生きている!


 われわれの人生や、取り組む関連業務において、また何かのイノベーションにおいては、誰もが予測不能な意外なことや、時には深刻な課題を伴うほどの場合も生まれて来るが、劉さんのことを思い出し、劉さんのピアノを思い出し、劉さんの名言を思い出しながら、早く死ぬべきかどうかという言い方は別として、全力で「精彩に生きる!」という名言を実践していくべきだろう。


 劉さんが弾いて頂いたピアノの時間は1分間程度だったが、筆者も含む多様な観客の一生に残る記憶の一つになるだろう。
劉さんがいう「ピアノは必ず手で弾くというのは誰も規定していない!」一言からは、常識に挑戦する強烈な精神力が見え、示唆が得られよう。
劉さんをはじめとするそのような方たちの動画を見て、われわれはひと時の「感動」から精彩に生きる「行動」へと移すべきであろう。


 そうだ、もし劉さんの弾かれたピアノをお聞きになりたい方は、ぜひご都合のよい時に一度下記動画サイトへとアクセスして下さい。


http://video.sina.com.cn/v/b/36674278-1216180465.html



<了>



記事一覧へ