第17回 「ありがとう!日本」119時間を超えた余響


ありがとう!日本。
 5月19日深夜、成都市内に引き上げる日本国際緊急救援隊(以下「日本救援隊」)。車の中には、力いっぱいを尽くしてきたのに1人の生存者も救助できなかったという複雑な表情と、悔しさが滲んで見える隊員達。しかし、成都市内に入ったとき、意外な一幕が隊員達を待っていた。

 政府の呼び掛けによるものではなく、成都市民は各方向から自発的に日本救援隊の車が通る道路の両側に歩いてきて列となり、車から降りて来る「救援勇士」と称される隊員達を熱烈な拍手で迎えた。そして、翌日の深夜、小雨が降る成都市。四川賓館(ホテル)の前には、帰国する日本救援隊を見送ろうとする成都市民が再び集まってきた・・・。

 5月16日午前3時から21日午前1時50分、通算で約119時間。取材で現地に入った記者やカメラマンは被災現場を目に映った瞬間、思わず取材を辞めて何とか救援に手を伸ばそうとする「激戦」の中で、中国史上初めて迎えた国際救援隊の第1号として、日本救援隊も言葉にならないほどの悪環境と戦い続けてきた。その全行程の日夜をともにした中国新華社の記者も思わず何度も涙を流し、「中国人民はいつまでも覚えている(忘れない)!」と書いた。

 日本救援隊のバスは、車がすれ違うのがやっとの狭い山道で軍車両の渋滞に巻き込まれた。長時間バスに揺られて救助犬が下痢をした。生命探測機器が反応しなくても諦めず、必死に16時間も瓦礫の中で掘り続けていた。遺体で発見された方を丁寧に包み、隊員達が整列して黙祷をささけた。疲れきっていても、道路の一途で少しだけ仮眠をとるのみ。余震などが続く中、中国側は安全上の理由で夜明けになってからの救援再開を要請したが、救援隊は「一刻も早く」と考えて被災現場に直行していた・・・。

 忘れ難いシーンの連続は、同行の記者やカメラマンに強く認識され、理解と感動を呼んだ。表す言葉は一つ「ありがとう!日本。」

ネット利用者の声?
 中国では、日本援助隊の奮闘ぶりを高く評価する報道が相次ぎ、昼夜を問わず救援活動にあたる日本救援隊の勤勉な姿や最新の装備、被災者の感謝の言葉などを紹介した写真付きの新華社の記事が、次から次へとさまざまなネットメディアに転載され、ネット利用者(中国語「網民」)から「ありがとう!日本。」という書き込みが殺到してきた。

 「日本救援隊、本当にお疲れ様でした。敬礼!」、「日本救援隊の奮闘ぶりを通して日本人に対する新たな認識ができた!」、「遺体で発見された方に対して日本救援隊が整列し黙祷をささけたシーンに感動して涙が出た」、「多くの日本友人に感謝するとともに、いつか日本が必要となったときは中国人も必ず恩返しに行く」、「日本人のお仕事ぶりを学ぶべきだ」、「歴史は忘れないが、未来志向の中日関係が重要」、「中日両国はいつまでも友好でありますように!」、「目に涙を含みながら2文字を書かせてください。謝謝!」・・・。

 北京、上海、四川、山東、広西、河北、江蘇、大連、新疆、湖北、内モンゴル、重慶、香港・・・、中国各地のネット利用者の書き込みが続く。

 今年3月13日、北京に拠点を置く某調査会社は、中国におけるインターネットのユーザー数は米国を追い抜き、世界最大のインターネット市場になったと発表した。これは、ネット利用者が2007年末で2億1000万人に達したと発表したChina Internet Network Information Centerのデータをベースに推定したものである。

 いうまでもなく、米国や日本に比べ、インターネットの普及率でいえば中国ではいまもまだまだと思われても仕方がないが、2億超のネット利用者の多くは各階層の幹部、知識人、及び大学生など多様であり、しかもそれが中国の世論に影響を与えつつあることから連想すると、日本の救援活動に対するネット利用者の感謝の声は、一部の人々に限定されたものではないと推測してもよかろう。

 過日、ある日本救援隊員が、1人の生存者も救助できなかったことを悔やんで辞職を希望しているという情報が中国のネットで伝えられた。すると、ネット利用者の書き込みがまたも殺到し、「生存者を救出したかどかも重要だが、より重要なのは異国での救援に全力を尽くしたことだ」、「友達よ、どうか自分で自分を責めないで!」、「誰もができることとどうしてもできないことある」、「友達よ、誠心誠意で救援に来たことがよく分かったので、無事帰国されご健勝のことを祈る!」・・・。

予測し難い変化も!
 6月1日午前10時過ぎ、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」という番組が時間通りに始まった。普段もときどき覗く番組の一つだが、今回は最初に「中国大使が初の生出演なぜ?自衛隊機見送り」という内容も予定されていたことから、筆者もちょっと見ようと思って、片手に日本経済新聞を持ちながら、早めにテレビの画面に向かった。

 いつものように、同番組のメインキャスターを務められる田原氏が中国駐日本大使館の崔大使に声を掛けはじめた。大学院生の時代に、毎週金曜日夜放送されていた「朝まで生討論」という番組、およびそこで実際に仕切っていた田原氏を見ていた関係で、その後時々サンデープロジェクトをみるようになった。

 崔大使は再度日本からの政府や民間の多様な支援を高く評価し、心から感謝の意を表しつつ、田原氏の質問に答えようとした。「なぜ日本救援隊を受け入れるのがもう少し早くなれなかったか」と聞く田原氏、「今回の四川大地震関連のメディア対応は非常にオープンに一変したと感じる。今後も、そういう方向で、米国やフランスなどのようになると理解していいか、それに近い形になるか」という意を何度も確認する田原氏であった。

 それに対し、崔大使は、日本も同じかと思うが、米国やフランスなどのようになるということはないだろうが、「改革開放政策」が推進し30年も経過してきたので、色々な面で変わってきたし、これからも予測し難い変化が生じると思う、との意をゆっくりと伝えた。中国史上初の国際救援隊を迎えたこと、オープンなメディア報道に一変したこと、ネット利用者による客観的な書き込みが殺到したことなどから、意識変革の大きな脈動が感じられることは確かである。

 日本救急隊の緊迫した119時間は、多くの中国人、ひいては世界の人々の頭でなく心に残っていることになり、またそれは119という時間を遥かに超えた空間で記憶と理解と協働の余響が今後も続くものと信じる。



<了>





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