第16回 ついに、成都への携帯電話がつながった・・・


成都に住む友人の一人はいま・・・
 5月16日夕方、今度もやはりつながらないだろうかと不安な気持ちで、再度、成都に住むある友人に電話を掛けた。しかし、少々待っていても、それまで何度も聞いた煩い雑音だけが耳に流れて来るばかりで、またもつながらない。四川大地震の際、携帯を持たずにどこかへ避難したのか、それとも何かに遭遇し怪我などを負って行動できないのか、または・・・、考えれば考えるほど推測したくなくなって、電話を切ろうとした。その時、

 「もしもし、どなたでしょうか?」と先方から小さい声が伝えてきた。
 「え?あのう、え〜と、もしもし・・・」期待し待ち遠しかったせいか、本当の声が聞こえたのに信じていいのか分からないような気持ちとなって、話が繋がらない。
 「あっ、張さんでしょうか」と先方が筆者の声を分かったようだ。
 「そう、そうだよ、東京の張です!ご無事でしょうか」と筆者。
 「無事です。張さんからお電話を頂いて嬉しい。でも、なんだか気分が重くて・・・」と先方の友人が辛そうな口調で言う。

 成都に住むこの友人は、知り合った当時で20代後半の女性の方だが、その後数年も日中関係の仕事をやって来られた。日本に留学に来られた経験がないのに日本語が非常に上手で、ある日中友好団体の成都駐在代表として業務を仕切っている方である。数年前、クライアントの方々と一緒に初めて「成都国家ハイテク産業開発ゾーン」へ調査・訪問に行った際、成都のホテル選定や予約から現地関連情報の提供まで、いろいろとたいへんお世話になった。

突然、泣き出した女の子も・・・
 「そちらの状況はどうでしょうか」筆者はすぐ聞く。
 「成都は震源の中心地ではなくて、中国でいう『重災区』(最も災害を受けている地域)ではないけれど、しかしここでも時々、余震が続いているし、誰々かが亡くなったという情報が流れ続けて、そういうことに精神的に疲れたという人が少なくない」友人はゆっくりと、説明を続ける。

 「いま仕事は何かしているの?」と筆者。
 「ファックスの確認などが必要なので、1日数回、オフィスに行く」と。
 「え?あの高層ビルにあるオフィスへ、でしょうか?」筆者は思わず緊張した。

 成都に限らず、また高層ビルにも限らないが、ビルに住む人や勤める人は、公園や広場などに避難し、一時的に建てられたテントで生活を送っている、と聞いている。毎日、市の中心地にある10数階のところのオフィスに行くとなると、突然余震が発生したらどうなるのか?逃げ出せられなくなったらどうするのか?・・・筆者の頭には、映画でもよくあるような災害シーンに、この友人の小さい身が重ねられた形で浮かんで来る。お仕事に対して強い責任感を持たれる方だとは知っているし共感を持つが、しかし危険は危険なので・・・。

 「しばらくは休んだら」と筆者は勝手に勧める。
 「ありがとう!でも、行かないと、また逆に気になって仕方がないです」と友人は言う。
 「周りの方の様子はどうですか」と筆者。
 「今日オフィスから出てきたときに、近くに居た女の子、多分別の事務所の事務の方かと思うけれど、突然泣き出した」友人の声はまた小さくなった。
 「何かあったのですか」と筆者。
 「そうではないんですが・・・。連日、私と同様、1日数回オフィスに来ているので、来るとき、中に居るとき、ビルから降りるとき、『余震はいつ発生するかなぁ、今度は大丈夫かなぁ、さっきの動きは地震じゃなかったのかなぁ』と常に考えていて、何日も続けることとなると、精神的に耐え切れなくなってきた感じ・・・、です」と友人の声も細い。


テント、医薬品、あとは心のケア!
 昨日午後、中国からのある訪日団を都内数箇所に案内した。某省庁で行われた打合せの冒頭、日本の方が「まず四川大地震で亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します」と述べられたとき、筆者は、友人から聞いたことももちろん、色々なことが浮かび上がり、思わず胸が熱くなり、一瞬、言葉が続けられなくなった。

 成都市は四川省の省府所在地であるが、中国西部大開発の代表地・入り口でもある。昨年8月、同市はIT関連の製造、自動車、ソフトウェア、バイオ製薬などを十大産業群に設定し、数年間にわたって巨額な投資を実施すると決めた。そこで、成都国家ハイテク産業開発ゾーンはその牽引役として強く期待されており、もともと成都国家ハイテク産業開発ゾーンは中国各地に設けられている 54のゾーン の中でも上位ランキングに入るエリアである。

 5月17日、成都国家ハイテク産業開発ゾーンの友人達からもついに無事のメールが来たが、成都でも4156名の方々がなくなられた(中央テレビネット、2008年5月20日深夜現在)ことや、筆者の友人達の親戚や友人または知人が亡くなられたこと、さらには大きな不安を伴う環境の中で負傷している20数万人のことを思うと言葉がない。

 5月19日午後2時28分、成都の有名な「天府広場」にて、数万人が追悼活動に参加した。3分間の黙祷の後も、人々は空に向けて繋げた手と手を降ろさないし、なかなか広場を後にしなかったそうだ・・・。皆さんがどれほど涙を流したかをいうまでもないが、「成都は涙を信じない!」と掲げた現地の報道タイトルのように、災害との戦いやさまざまな緊急援助への決意を感じる。

 日本から中国に入った緊急援助隊は広く歓迎され、評価されており、日本でも部分的に報道されている。筆者はそういう空気を大切にしながら、いま何が最も必要なのか、どういう方法で最も有効なのか、関係メディアには何を期待するのか、自身も含めそれぞれの方々が何に力を出すべきなのかなどを考えたりしている。そして昨夜、再び成都に電話を掛けた。

「その後どうでしょうか」と筆者。
「19日か20日に大きな余震があると予告されたので、皆が外に出ていましたが、いまのところ余震は発生していないです」と友人。
「体の方は大丈夫?」と筆者。
「私はなんとか元気ですよ。しかし・・・」と言葉に詰まる友人。
「皆さんがいま、一番困っているのはなんでしょうか」と筆者。
「テント、医薬品、あとは心のケアでしょうか」と、友人は即座に答えてくれた。そして、しばらく無言の後、またも声が細くなった・・・。筆者を通して初めていうことでもないと思うが、テント、医薬品、そして心のケアだ!
「明日もオフィスに行くよ!」友人の声ははっきり伝えてきた。

 本日今朝起きたら、家族は「昨夜、夢の中で物凄い揺れを感じていたのでもしかして・・・」と言いながら、慌ててテレビを付けて関連のニュースを見ようとチャンネルを選んでいた。日本に留学来られた経験のないあの成都の友人、今日もいつ余震があるかないかを全く予測できない中で、日中関連業務のためにあの10数階にあるオフィスに行かれるのか・・・。

 注記:今回は直接「中国のイノベーション」について書かせて頂いた内容ではないが、出口氏のご好意ご了解を得て掲載して頂きました。在日一華人として、出口氏をはじめ、日本救急援助隊や日本医療チームにはもちろん、四川大地震に対する多様な形で支援をなさっている多くの方々に対し、心より感謝の一言を申し上げたい!



<了>





BACK