第13回 温故創新、日中の掛け算関係の構築へ(下)


毛沢東、周恩来、ケ小平、江沢民4氏が述べた日中関係
 福田総理が初訪中から帰国される昨年12月30日午前、今回の訪中の成果について聞かれた際、「・・・中国の指導者と突っ込んだ話をしたが、やはり日中が協力すると両国(だけ)以上の力が発揮できる」と述べ、引き続き日中関係の強化に努める」と視察先の山東省曲阜で、記者団に語った。

 筆者はNHKニュースより聞いた福田総理の考え方に強く共感している。これは、日中間の「相互補完関係」や「戦略的互恵関係」といった「両者の間」に着眼点を置いた表現より、両者の結合の仕方によっては「両国以上の力」が生成し「両者以外」へも波及するという意味で捉えられることからであり、それは日中の「掛け算関係」になってはじめて得られる効果だと考える。

 ところで、なぜ、どのような、またどのように日中の掛け算関係を構築していくべきかについて熟考しなければならない。が、ここでは簡単ながら、日本でも周知される毛沢東、周恩来、ケ小平、江沢民といった中国指導者4氏の日中関係についての論述を「温故」してみたい。

 まず、1954年10月11日、周恩来総理は日本の客人と会談した際、次のように述べたという。「おそらく皆さんはこのような質問をするでしょう。中国が工業化を実現した。日本も工業化を実現した。それでは衝突が生じるではないか、と。物事とは変化するものです。仮に日本が永遠に工業国で中国が農業国だとしたら、両国関係はよくならない。・・・日中両国の工業化こそが、平和な共存共栄への唯一の道なのです。」

 次に、1955年10月15日、「日本国会議員訪中代表団」との談話の中で、毛沢東主席は、「われわれ二つの民族は、今や平等となり、(われわれが)二つの偉大な民族である」と日中関係を簡潔かつ的確に指摘した。

 そして、1984年にケ小平氏が日本の中曽根康弘総理と会談した際、こう語っていたという。「昨年、私たち両国の指導者は、東京で非常に先見性に満ちた決定を行った。すなわち、日中関係を長期的視野の下で発展させ、まずは21世紀、そして22、23世紀と、日中友好の方針を永遠に貫くことである。この重要性は、われわれの間のあらゆる問題の重要性を超えている」。

 最後に、2000年5月20日、江沢民主席は、日中文化観光使節代表団との会談で、「日中友好は結局、両国民の友好に尽きる。」を述べたという。

 中国社会科学院日本研究所前副所長の馮昭奎氏は数年前、「われわれ二つの民族は、今や平等となった」(毛沢東氏)、「日中両国の工業化こそが、平和な共存共栄への唯一の道である」(周恩来氏)、「日中間の『友好』の重要性は、あらゆる『問題』のそれを超えている」(ケ小平氏)、「日中友好は結局、両国民の友好に尽きる」(江沢民氏)というようにタイトルを付けて、中国の歴代指導者の論述に啓発された形で日中関係の歴史を回顧し、展望を述べた。

 馮昭奎氏は中国における日本研究の代表的な研究者で、中国日本経済学会副会長などを歴任された方である。歴史認識問題をめぐって冷え込む日中関係に対して、感情論を排除し、冷静に問題の解決を探るべきであると主張する数少ない「知日派」学者の一人と言われる同氏の論述には、日中間の「協力と競争」の源流の一端も見えてくるような気がする。

資源獲得、人材確保、ハイテク・・・、今日の戦略的な視点
 出口氏は1月16日のメルマガで、「多極化世界で沈む国の悪夢〜新春2008年元旦号の新聞メディアなどから〜」というタイトルで、新聞メディアが総力を傾けた特集や企画、社説などを素材にしながら、世界の激動!を解説し伝えようとしてきた。筆者も思わずその迫力に吸い込まれそうになった。

 今日、日本は中国などに対抗し、南アフリカとハイテク製品の生産に不可欠な希少金属レアメタルの獲得を官民共同での本格化、中国やタイなどにおける稲作への生産協力で将来は輸入も可能な安定的なエネルギー源として育つ構想、また花王は日用品の2けた成長を狙って、中国やシンガポールなどアジア25社との提携、国内製薬大手が主力薬をアジアに投入し、アジア市場の開拓を本格化することから覗けるように、資源の獲得やバイオ産業などにおける「国際競争」はますます激化することになってくる。

 一方で、中国やインドは日米に続いて月探索衛星を相次ぎ打ち上げること、日本や韓国に加えて、中国やロシアなどもオーストラリアの鉄鉱石や鉄鋼用石炭など鉄鋼原料の獲得に参戦したほか、日本は数年前から「投資促進に資する目的」でアジアの経済統計を共同で整備する提案、がん対策を推進するために日中連携でアジア各国に対し、アジアがん情報ネットワーク構築への参加を呼び掛けていること、そしてなによりも京都議定書で象徴されるように温暖化防止に不可欠な「国際協力」もますます重要になってくる。

 協力と競争が響きあう中で、日中関係にかかわる動きは世界から注目を集め続けている!「足で中国情報を解析する」という考え方で、筆者は近年、日本国内の業務に従事するとともに日中関連の業務にも携わり続けてきた。

 その関係でたとえば中国の北京、上海、深センはもちろん、ハルピン、大連、済南、南京、杭州、広州、南昌、武漢、重慶、成都、西安、楊凌、ウルムチなどといった沿海地域だけでなく、中国の中部や西部も含む「特色を持つ地域」に足を運び、先進地域と途上地域が混在する「多彩な中国」の現場を自分の目で確認し、多層の方々と意見交換しながら、多様なソリューションの提供に取組み続けている。そういう体感の下で以下のような日中関連ニュースを読んだとき、筆者の頭には思わず多次元のシーンが交錯して重ねてくる。

 ヤマハは中国でピアノやギターなどの音楽教室を3年後に40会場、生徒数を1万人までに増やす計画を発表した。沖電気工業の子会社である沖データは大連理工大学などと共同研究をはじめることで合意し、中国での人材確保に乗り出した。日本航空は中国・上海近隣の蘇州市にある物流会社と貨物輸送事業で提携し、蘇州で通関した貨物を最速で翌日には日本の顧客に届けるなど、教育、人材確保、物流・・・、多角化経営への布石などが見える。

 また、ビール大手のアサヒやキリンが世界最大のビール消費国となった中国でビール拠点を増産するという志向とは違うが、東芝は変電機器事業で中国などの工場を輸出拠点として活用し、国内の拠点も含めた3拠点で世界市場への製品供給を分担し合う国際分業体制を整備することや、三菱商事は世界最大の中国石炭生産大手と資本業務提携し、石炭販売や炭鉱開発など資源ビジネスで協力するなど幅広い分野で連携していくことは、日本企業のグローバル戦略の一環として中国を活かしているといえよう。

 多極化する世界に置かれる日中関連の多様なシーンからは、日中間の「協力と競争」の勢いが時代的な潮流の中で止まりなく一瀉千里となることを見える一方、いわゆる「銀聯カード」のように、新興国の見えないキャッシュもグローバル化に突入している・・・。

真の理解の中で、「異分子」取込む環境を、磁力ある国へ!
 記憶に残る方も居られると思うが、「『異分子』取込む環境を」は「イノベーション、日本の底力〜専門家に聞く」(日本経済新聞、2006年12月1日)として、お馴染みの内閣特別顧問黒川先生へのインタビューを纏めた記事のタイトルである。また、「磁力ある国へ」は石黒氏の「志本主義のススメ」100回でも、出口氏の前述した去るDNDメルマガ259号でも触れた「YEN漂流、縮む日本」(日本経済新聞)15回目のメインタイトルである。

 日中の掛け算関係の構築には日中双方の各層の人々による持続的な協働が不可欠だというのはいうまでもないが、日本では、「『異分子』取込む環境」の形成と「磁力ある国へ」の取り組みという論述に賛同し、個人的に場面によっては「美しい国」という表現の仕方が好きでないのもあって、国際的に「順位の低下を云々するよりも『品質の国づくり』が課題だ」(前出石黒氏)という指摘に実務者の1人として同調する。

 もし日中関係という側面に関連して放談してもよいというならば、「『異分子』取込む環境」の形成や「磁力ある国へ」の取り組みなどを行う中で、またはそれを行う以前に、お互いに対する「真の理解」を強化し続けることが何よりも重要だと再度指摘したい。

 日本発のカラオケもあって日本人はみんな歌が上手くていつもカラオケで歌っているような誤解が存在したように、中国のどこかで反日デモが起きたら中国人の多くが一気に反日になるような一部報道ぶりや、日本に比べ中国ではほとんどの領域において技術的に大分遅れて当分の間上がれないような推測、または中国進出は日中競争であって国際競争にはならならず、中国人はいまでも20年前のような感覚で「魅力な先進国・日本」を見ている陶酔?など、お互いに対する真の理解を阻害するかような部分を取り除きながら、両国以上の力を生む日中の掛け算関係の構築に臨むことが必要となろう。

 大田弘子経済財政担当相は去る18日午後、衆参両院の本会議で経済演説を行った。世界の総所得に占める日本の割合が24年ぶりに10%を割り込んだことなどに触れ、「もはや日本は『経済は一流』と呼ばれる状況ではなくなった」と、日本の国際的な地盤沈下に危機感を表明され、「今の日本経済に求められることは、もう一度、世界に挑戦する気概を取り戻すことだ」と訴えた。

 そこでいう「世界に挑戦する」中で「中国に挑戦する」こともきっと重要な位置づけになるであろうと考えられる。大きなチャンスを得るタイミングを逃がしてしまったともいわれる日本にとって、「横断的な中国研究へのアプローチ」や「できるまで締めない文化」などを持って、前述した「今日の戦略的な視点」も踏まえながら、中期的にみた真の強みを生かした日中の掛け算関係の構築に本格的に取組む「創新」(イノベーション)のときが来た!といってもよいのではなかろうか。

 ちょっと余談だが、お正月休み中に、政府インターネットテレビで放送された「谷村新司の『音と橋』〜日中音楽交流推進ワークショップ in 南京」を観た。そこで、谷村氏が自らナレーション役も勤められ、南京芸術大学との音楽交流を題材とする同ワークショップ活動の精彩な一部を紹介された。

 ここでは、同大学で行われたコンテストで勝った1人の大学生程さんが谷村氏の暖かい指導を受けてから、一気に南京人民大会堂で開催された中日コンサートというトップステージに登場し、日中両国のスター方々や詰め込まれた会場観客の前で、緊張しながらも心で朗読した彼の作品・詩「つり橋の下の友情」を転記して、今回の拙稿をくくりたい。


あの夏 川辺の柳はしたたり
風は柳を通り抜ける あの場面を忘れられない
白い橋の下 二人の友情
千年百年を経ても覚えているだろう
白い橋の下 手を握り続け
風が君の頬をなで 心の底に笑みが広がる
つり橋で 夢を追い続け 縁を大切に
友情を心に刻み 花が散り 咲くように 永遠になれ




<了>





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