第12回 温故創新、日中の掛け算関係の構築へ(上)
ミキティ逆転とは別の、もう一つの忘れない瞬間!
昨年年末の産経新聞ニュースによると、わが国のテレビ視聴率の年間首位が初めて40%を割ったという。昨年3月、毎年開催の「世界フィギュアスケート選手権」が東京で開かれ、そこでの劇的な展開がみせられた。「ショートプログラム」は安藤美姫が2位、浅田真央がまさかの5位(28・9%)だった。
しかし、翌日の「フリー」は浅田さんが世界歴代の最高得点で1位に躍り出た。さらに、安藤さんも完璧な演技を見せ、結果として、安藤さんは「金」、浅田さんは「銀」で、38・1%をマークした。安藤さんの逆転優勝が決まったシーンはなんと50・8%に達し、紅白の48・8%(SMAPが歌った場面)も上回る昨年最高の「瞬間」となったという。
ところで、関連の報道とおり、昨年12月27日から30日にかけて、福田総理は外務省、経済産業省、文部科学省、農林水産省の高級官僚等70人余りを率いて、総理就任後初の中国訪問を実現した。中国の国家主席、首相、全国人民代表大会(日本の「国会」に相当)常務委員会委員長とのトップ会談を行い、北京大学で講演をなされ、北京オリンピックで日本を応援すると指定された小学校に行き、天津経済技術開発ゾーンやトヨタ天津工場を視察し、最後は山東省の曲阜にある世界遺産・孔子廟を訪れた。
孔子廟は儒教の創始者・孔子生誕の地である。福田総理が孔子廟を訪れた際に訪問の感想を聞かれ、「文化の1つの原点。大変感銘深い」と語るほか、そこで「温故創新」と揮毫した。中国外務省副大臣、前中国駐日本全権大使等要人の方々と一緒に、「温故創新」の書を持った福田総理が見せた微笑みは総理就任以来なかなか見られない表情であり、筆者にとってはもうひとつの忘れられない「瞬間」だと思っている。
ご存知でしょうか?28日夕方、中国国家主席の胡氏が福田総理と会談し歓迎晩餐会を主催したが、これは日中の「トップクラス一堂の晩餐会」として中曽根元総理の訪中以来の20年ぶりのこととなり、福田総理が北京大学にて日中関係について講演されたが、これは故橋本元総理が2003年に北京で初講演をなされた以来の「日本の総理としての講演」は2回目となる!
中国のマスコミ等は何を報道しているのか?
今回の福田総理の訪中に限らず、同一の出来事に関し日中両国のマスコミの報道に温度差等が存在するということはいうまでもない。これは基本的にそれぞれの立場や関心ごとまた報道の文化/慣行などが異なることに一因があると思われるが、以下は中国のマスコミから報道された何シーンかを紹介したい。
28日午後、福田総理は北京大学で講演した。「新年を迎えるに当たり、福田がきました。これは『福』が来たということです〜!」福田総理のユモーアな話しぶりで「ともに未来を作ろう」という講演を始めたことに、会場では思わず愉快な笑い声が沸いた。続いて、福田総理は訪中の狙い、かけがえのない日中関係、日中両国にとっての責任とチャンス、「戦略的互恵関係」の三つの柱、アジアと世界のよき未来についてゆっくりと論じ続けた。
福田総理の講演は中国中央テレビによって全国生中継され、1時間にも至らなかった講演に聴衆からは10回も大きな拍手が送られた。福田総理は最後に以下のように結語(一部)を述べられた。
「・・・これからも、日本と中国との関係は必ずしも平坦な道ばかりではないかもしれません。そのような時にこそ感情的な言論に流されることなく、世界の潮流や大義に沿って、しっかりと日中関係を一歩、また一歩と、着実に前に進めていかなければならないと思います。・・・『思うに希望とは地上の道のようなものである、もともと地上には道はない、歩く人が多くなれば、それが道になるのだ』(魯迅)。皆さん、共に歩き、共に道を造り、共に私たちの未来を創り上げていこうではありませんか。」(大きな拍手!)
日本のある新聞記事では、福田総理の講演に「質問時間が設けられていない」と書かれているが、実際は違って、限られた質疑応答時間ではあるが、福田総理は下記旨の3問に対し丁寧に答えたことなど、中国の記事では描かれている。
すなわち、1.日本とアジア諸国、日本と中国の関係強化についての具体的な考え、福田総理の主張と福田総理のお父様のそれとの比較、2.日中間の「戦略的な互恵関係」の下ではどのような領域/分野での協力が可能か、具体的な実行計画の有無、3.今回の訪中に期待される成果など、である。
ところで、同日夕方7時から、福田総理は山東省の「山東大厦ホテル」において李建国山東省党委書記と会談した。
2001年11月に当時陝西省党委書記を務めていた李書記が訪日した際に、当時官房長官を務めていた福田総理が李書記と会談を行っていたことから、福田総理より「6年ぶりに再会できて嬉しい」旨を述べたことに対し、李書記は「覚えていて下さり非常に感動した」旨を述べた。近況、地域の特徴、省エネ事業や農産物輸出などに関し、予定を20分超えて行われた会談に終始笑いが絶えない極めて和やかなものであったという。
中国は昨年10月の安倍晋三総理(当時)の訪中を「氷を砕く旅」、今年4月の温家宝首相の訪日を「氷を溶かす旅」と位置付けているのに対し、福田総理は今回の訪中を「迎春の旅」と表現した。TVでも活躍されている中国清華大学国際問題研究所教授の龍氏もその表現に共鳴した1人であり、人民日報に特別寄稿し論評を展開したのである。
心理的距離の縮まりも!温故創新の風とともに・・・
福田総理が山東省の曲阜孔子廟で揮毫した「温故創新」という四文字には多様な気持ちや思いが染み付かれているかもしれないと筆者なりに推測しているが、それは過去形、進行形、将来形を繋げ、未来志向の日中関係を創造的に発展させていく時代的なキーワードとなるのではないかと考える。
今日、日中間では未解決の歴史的な問題が存在するとともに、東シナ海のガス田開発を巡る新たな問題も生じていることはしばしば指摘されている。時空を限定して考えた場合、日中のそれぞれにとって重要または急務と認識される問題も必ずしも全部同一なものであるとは限らない。福田総理は「温故知新」でなく「温故創新」と揮毫し、「知」から「創」へと表現したのは「世界の潮流や大義に沿った」「創造」が重要だと謳っているように感じられる。
周知のように、「温故知新」は「故きを温ねて新しきを知る」というか「昔のことを研究し新しい見識や道理を得る」ことであるが、「温故創新」とは「故きを温ねて新しきを創る」の意味と捉えてよかろう。本連載第9回のとき、日本語に「創新」という単語は存在しないが、「創新」はInnovationの中国語訳であり、「創造的革新」を意味する旨を述べた。未来志向の日中関係の具現化には「温故創新」が不可欠となろう。
ところで、温故創新が可能にするためには信頼関係の確立が重要であり、信頼関係の確立には市民レベルの心理的距離の縮まりが必要である。昨年4月に中国の温首相が訪日の際、東京市民との太極拳を通じた交流シーンはいまなお記憶に残っているが、今回福田総理が訪中の際に民間人とのコミュニケーションに惜しまずに時間を割いたことは忘れられない。
例えば、12月29日午前10時、福田総理夫妻は北京オリンピックで日本を応援すると指定された北京市内の「花家地実験小学校」を訪問した。総理夫妻の到着を約100名の生徒が出迎えたことを皮切りに、同校生徒と北京日本人学校の生徒による合唱、総理夫妻と生徒による折り紙、プレゼント交換等が行われた。そして、特記すべきなのは、福田総理は同校小学生が書いた「中日友好」の書に総理自身の名前を記したとの一幕である。
福田総理と北京の小学生、日中両国に住み、50数年も開かれる違う世代の人が一緒に1枚の作品に集結した暖かい思いはきっと強い応援の新風をもたらすことになるであろう。
筆者はなぜ今回の標題に「掛け算関係」という表現にしたのか、天津経済技術開発ゾーンとはどのような位置づけのところなのか、日中両国のいずれにおいても「イノベーション」が強く求められている中でどのように「協力と競争」の源流を発見し、そしてそれを保つのか、「中国人の日本観」にどのような点で変わってきたのか、日本における中国へのアプローチにどのような問題点や課題が存在しているのか・・・。
<了>
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