第6回 イノベーション政策の系譜 その1



 イノベーションの本質に関して、知的に高いレベルの議論が進んでいる中で恐縮ですが、筆者の能力と指向から、若干懐古的な課題を続けたいと思います。今回は8年前の「イノベーション研究会」報告書です。筆者を含め、産学連携施策担当者の遺伝子ともいえる報告書は、当時の通産省産業技術課本部課長の思いから生まれたものです。氏の思いについては、別途ご紹介したいと思っています。

「1998年のイノベーション研究会中間報告から」
参考資料:「イノベーション研究会中間報告(本編)」(tif形式 2MB)
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 イノベーションという概念が政府文書に示されたのは1956年の経済白書が最初といわれています(*i)。(この白書は、「もはや戦後ではない」で有名です。)その後、いろいろな政策議論でイノベーションという言葉が使われたのだろうと思いますが、筆者の知る限り政策の検討の場としての「イノベーション研究会」として一番古いのは1998年6月に中間報告が出されたこのイノベーション研究会(以下、研究会と呼びます)ではないかと思います。賢明な読者から、新しい事実があれば是非事務局にお知らせいただければ幸いです。

 この研究会報告書を久しぶりに手にしたのは、昨年、筆者らが「サービスイノベーション研究会」を立ち上げた時です。この研究会の存在を思い出して、当時どんな提言がされているか見直すと、改めてその内容に感嘆しました。その後の産学連携や知財戦略、人材育成などの政策、いわゆるイノベーション政策で実現してきたことが、すべてこの報告書で触れられ、「予言」されていたからです。今回連載でこの研究会を取り上げたのは、そうした理由によります。

 研究会は、当時、通商産業省産業政策局内に新設された産業技術課の初代の課長本部和彦氏(現在経済産業省官房審議官)が立ち上げたもので、座長は、東工大学長から学位授与機構(当時)の機構長になられた木村孟先生、ほかに(所属は当時)故小野田武三菱化学専務、生駒俊明日本テキサスインスツルメンツ社長、長岡貞夫一橋大学イノベーション研究センター教授、同西口敏宏教授、富山哲男東京大学教授、丸島儀一キャノン専務、岸輝男工業技術院融合研究所所長と錚々たるメンバーで、わがNEDOからも光川寛理事が参加しています。最近、北朝鮮核問題でテレビ解説をされている鈴木達治郎教授もオブザーバー参加されています。

 研究会の動機は、今回改めて本部もと課長にお聞きしたところ、概略以下の点でした。
(前述の様に、詳細は別途。)

1.本来異なるべきである「科学政策」と「技術政策」が区別されずに企画立案されていた。技術政策が目指すべきは、シーズの創出ではなく、それが製品の形となって、社会や市場に供給され、経済社会をより良きものに変革していくことと定義したかった。

2.当時の技術政策は、わずか数十億の予算を配分することと誤解されていた。当時の産業技術課には予算なるものが存在しなかったことが、本質的に、予算を必要としない政策とは何かを考えざるを得ない立場に置かれていた。

3.むしろ、イノベーションをシステムとして捉えることによって、そのどこに課題や限界があり、これをどう変革していくかを考えることこそ、技術政策の根幹であり、そこを直すための政策を企画したかった。(例えば、予算をどこにどう配分するかではなく、配分を決定するための情報の量と質、決定機構、予算制度に問題があるのではないかを検証することが大切)

4.我が国のイノベーションシステムを見た場合、大学の改革はどうしても不可欠であった。国立vs私立、旧帝vs地方、理系vs文系、研究vs教育、成果の実用化、そのどれをとってもあまりに特殊な我が国の状態は、国際競争力あるものとは考えられなかった。

 こうした問題意識のもと、研究会では、イノベーションを「技術革新」ではなく、「新しい技術の創出等の創造的活動によって生み出された新しい財やサービスが社会に普及し、経済社会の変革がもたらされること」と明確、かつ正確に定義し、イノベーションが次々に起きる社会の実現に向けて「技術」政策の提言を行っています。ここで技術政策と限ったのは、先の科学政策と技術政策の関係に起因していますが、さらに言えば、事務局が産業技術課で、産業政策の中での技術政策をちゃんと位置づける、端的に言えば同じ局内の他の課との差別化を図ったものとも考えられます。というのは、当時の産業政策局は(も、というべきでしょうが)政策のるつぼで、産業構造課、産業組織課、新規産業課などが、それぞれ激烈な政策提案の競争を行っていたからです。省内・局内でも差別化が必要だったのです。また、産業技術課は、工業技術院という技術政策の担当部局が存在している中で、新たに戦略的に作られた課であったことも背景にあります。筆者は当時、産業技術課内の大学等連携推進室長で、ミッションが比較的はっきりしていた上、こうした政策競争に参加するよりは目の前の課題を解決していくのに精一杯でしたが、そのほかの課長連中は、毎年毎年、新法案を提出しかねない勢いで日夜激走していました。本部産業技術課長も、大学技術移転促進法案はすでに提出した上で、その次の政策目標に向けて走っていたのです。その中で「イノベーション政策」を正面に取り上げたのは、とても正しいことでした。しかし、当時イノベーションという言葉はあまりポピュラーでなく、「なんか表面的でかっこいいことを言っているな」、と受け止めた同僚も少なくなかったかもしれません。イノベーションという言葉が、経営学や技術経営の関係者ではなく、一般に通用するようになったのは、案外ここ数年のできごとではないかと思います。

 さて、中間報告では、問題点として以下の3点を上げています。

1.創造的活動の不足:製品改良技術、プロセス技術などhow to makeは発達しているが、what to makeつまり創造性が低い

2.社会(市場)における競争環境の未整備:社会の多様なニーズによって供給側が新分野挑戦の意欲を刺激するメカニズムが働かない分野(規制、商慣行などによる)が存在する

3.創造的活動を支える基盤の未整備:三つの基盤(人材)、知識(知的基盤)、社会(標準)が未整備で政策科学研究の蓄積がない


「イノベーションに向けた具体的政策提言」

 これに対し、技術政策の新たな視点をあげつつ、報告書では具体的方向性として以下を提言しています。そして、注記に示したように、これらの提言の多くが具体的な検討に移され、実行されたのです。

1.創造的活動に対するインセンティブ
 知的財産権の実効性の担保、グローバル化に対応した知財制度の整備(*ii)
 研究開発税制(*iii)
 創造的活動を担う個人へのインセンティブ(*iv)
 研究開発の戦略的実施(*v)

2.社会ニーズを反映した技術開発と普及
 政府調達等による新技術開発・普及(*vi)
 規制緩和・制度整備(*vii)
 技術移転・事業化の促進(*viii)
 技術経営管理の一般化(*ix)
 技術リスク政策の充実(*x)

3.創造的活動を支援する基盤整備
@人的基盤 規制緩和による大学への競争原理の導入(*xi)やMOT(*xii)などによる社会ニーズに適合した人材の輩出を目標とした、大学システムの活性化(*xiii)
A知的基盤 政策科学研究充実、知的基盤の整備、政府データベースの公開・活用、特許情報の提供・電子化
B社会基盤 技術開発と標準政策の連携強化

4.情報化・サービス化の進展に対応した政策対象の拡大
 標準・認証制度の非製造分野への拡大
 知的財産の保護の適正化(デジタルコンテンツなど)
 営業秘密の不正取得に対する刑事罰創設(*xiv)
 裁判手続きにおける営業秘密の保護

 このように、大学の規制緩和やMOT、知財戦略や研究開発促進税制など、こうして項目を眺めるだけでも、その後の政策を指し示したものがいかに多いか、驚かれませんか?さらに、大学のシステム改革は、その後の法人化の議論へとつながっていくのです。

 この報告書は、いわゆる審議会の報告や政府の決定文書として位置づけたものではなく、このあと、注記に示した各種政策の立案当事者は、筆者も含め、この報告書そのものの存在はほとんど忘れてしまったのではないかと思いますが、関係者の頭の中には何らかの形で「遺伝子」として残り、引き継がれていったものと想像します。まさに政策分野のイノベーションの連鎖ではないでしょうか。


「イノベーション政策への道半ば」

 もちろん、提言に示された中で、例えば「情報化・サービス化の進展に対応した政策対象の拡大」などは、筆者が前職で苦労した分野ですが、なかなか思い通りいかなかった分野もあります。前述の「サービスイノベーション研究会」のほうも、この報告書のインパクトに比べるとまだまだ、という感じが否めませんが、ご批判をいただくため、いつかこの欄でご紹介したいと思います。

 また、本部もと課長からは、「...研究会は開催され、その後様々な政策が進められて来ましたが、その多くが道半ばであると考えております。まだまだやることは多いはずですが。」とした上で、具体的に@大学改革はまだ途上、A予算配分至上主義のさらなる改革、B社会・市場・企業からのフィードバックや技術ローマップの作成などへの学界の役割強化などの宿題をいただきました。

 黒川清座長のイノベーション25の指し示す政策提案が、10年後に達成感をもって同じように回顧出来ることを心から期待します。



(i) (昭和31年経済白書 抜粋)「技術革新と世界景気」 ...このような投資活動の原動力となる技術の進歩とは原子力の平和的利用とオートメイションによって代表される技術革新(イノベーション)である。技術の革新によって景気の長期的上昇の趨勢がもたらされるということは、既に歴史的な先例がある。(後略)
(ii) 審査機関の短縮、米国との特許制度の差違に対応した戦略など。その後の知財戦略本部設立、知財法により知財戦略に結実。現在は先発明主義の米国制度の改変により抜本的なハーモナイズが進行中。
(iii) 2002年度になって研究開発投資減税制度が恒久化された。
(iv) 発明者への報奨制度の整備など。知財戦略で実施し、昨今の法廷闘争でも実現してきたもの。
(v) 重点化については、第2期科学技術基本計画で「重点4分野」として実現。 (vi) 日本版SBIR。ここでは、環境・省エネ規制にとりいれたトップランナー方式にも言及している。
(vii) 例示では薬事審査、電子商取引等が挙げられている。
(viii) 1998年5月TLO法公布で実現。
(ix) 技術経営(MOT)のことを含む。Japan as No.1を意識した暗黙知の形式知化の概念。
(x) リスクコミュニケーションの活発化などを指摘。
(xi) その後、学部学科の設置一部自由化を経て、大学評価及び法人化への動きにつながる。
(xii) 2003年からMOT一万人計画を実施。
(xiii) 大学システム改革の具体策としては、学部学科の設置自由化、インターンシップ、技術者資格のアクレディテーション(外部評価)、文理融合、アントレプレナー人材育成、海外人材の導入などが指摘されており、その後の産学連携施策の中枢となった。その後の大学法人化への議論につながっていくものでもある。
(xiv) 以前ご紹介したとおり、不正競争防止法の改正により実施。