第9回 日本学術会議からの勧告を巡る議論について

    


 8月25日に発出された学術会議勧告「総合的な科学・技術政策の確立による科学・技術研究の持続的振興に向けて」に対して、DNDネットワークで諸所意見交換がなされているのは大変好ましいことと思います。


 私自身、学術会議の2期目の現役である立場から、勧告に対して軽々には意見を述べることはできませんが、これまでに交わされてきたDND意見に関し、私見を述べておきます。


 経緯としては、6月頃に金澤会長の私見が発出され、それに対して各部門、部会等で検討がなされ、理学・工学からなる第3部では、8月10,11日に金沢大学で検討しました。そこでの原案はハードコピーなのでメールできませんが、その内容は僕が機械工学で纏めた添付の意見にほぼ同一です。


 これらを含めて、会長以下、「日本の展望」の取り纏め幹事会で今回の「勧告」を纏めました。僕自身は幹事会の一員ではありません。勧告については、会長が総理大臣に直接手渡しするので、その内容については会長に一任されたいこと、手渡し直後に勧告内容は会員に周知され、報道されました。


 まず、学術会議が行なう主要な事業には、会員による審議の結果、答申、回答、勧告、要望、声明、提言、報告があり、今回のものは「勧告」です。
「勧告」は日本学術会議法第5条で、日本学術会議は、左の事項について、政府に勧告することができる。
一 科学の振興及び技術の発達に関する方策
二 科学に関する研究成果の活用に関する方策
三 科学研究者の養成に関する方策
四 科学を行政に反映させる方策
五 科学を産業及び国民生活に浸透させる方策
六 その他日本学術会議の目的の遂行に適当な事項


 今回の勧告は上記一〜五項に対応する極めて重要な内容を包含しています。しかし問題は、 この「勧告」が内閣においてどのように処置されるかです。出口氏の意見にあるように、黒川先生が会長時代には、日本学術会議は科学技術に対する圧力団体、よって不要論が多く困惑したのですが、吉川先生、黒川先生等のリーダーシップにより、ようやくにして2006年の第20期から内閣府の所管の下、新生学術会議として再出発したのです。そこでは、学術会議と総合科学技術会議が両輪になって我が国の科学技術政策を決定する、学術会議は学術視点からの意見を表明し、総合科学技術会議が具体の政策決定を行なう、という方針です。従って今回の勧告についても、最終的には総合科学技術会議、ないしは政府の意思決定(場合によっては法改正を含む)によって、我が国の科学技術方針が策定されると考えられます。


 学術会議の範疇についてですが、そもそも英文が、Science Council of Japan (JSC) であって、Council of Academy ではないのです。日本学士院がThe Japan Academy と英文呼称していることも影響しているかもしれませんが、 先進諸国の影響かもしれません。例えば英国では、以下のように定義しています。
The Science Council agrees a definition of Science
Science is the pursuit of knowledge and understanding of the natural and social world following a systematic methodology based on evidence.


 Science=科学とは、自然のみではなく社会も対象にしているのです。多分、同様の考えで我が国においても、狭義には科学=自然科学ですが、広義には科学=人文科学、社会科学、自然科学、人工科学等、と合意されてきたのではないでしょうか。この辺については、19期に私が発出した「21世紀ものづくり科学のあり方」を参照ください。


 人間社会・自然界・人工界が混然一体化している現在、いわゆる文系と称するジャンルを除いて科学と技術を議論することは、人類の将来に対して間違った方向を取りかねないと僕は懸念します。文系の学術は全く分かりませんが、学術会議で文系の会員の意見に触れるたびに、科学と技術のみで人間社会を語ってはいけないことを実感します。


 

 次に科学と技術、工学の定義と相互関係についての私見です。


 (自然)科学:自然界の挙動の原理を解明すること。
技術:自然界には存在しないものを創出すること。製造技術、農業技術、医療技術を含む。
工学:(製造)技術に共通する事項を科学的に、未熟の段階では経験知的に体系化すること。


すなわち技術とは自動車、橋、ビル、携帯電話、ソフトプログラムなどの結果を対象とした呼び名で、工学とは、それらに共通の材料、変形、電導、通信など科学的(主に数学的、物理的、化学的、生物学的)に体系化した学問である。たとえば「トヨタの技術は高い」とは言うが「トヨタの工学は高い」とは言わないのは、トヨタのエンジンという結果の性能・信頼性・コストパフォーマンス等が高いことを意味し、決してエンジンに共通する熱工学等の学術レベルが高いことではない。逆に、東大の工学レベルは高いとは言っても、技術レベルが高いとは言わない(勿論、教育技術が高いとか、試作技術が高いとは言う)。また最近の工学には、アナリシスとしての工学と、設計・製造のシンセシスとしての工学も包含させているため、後者の設計・製造科学が実際の技術との境目を不明瞭にしているとも言えます。


 この辺に、安藤氏が指摘された「理学部は高邁で、工学部は卑しい」という日本に固有の社会的誤解が生まれた根拠があるかもしれない。ドイツのテクニカルホッホシューレやMITのInstitute of Technologyに見られるように、技術を発祥としたネイミングになっているが、それらのファカルティはEngineeringであるように、欧米でも工学は学術の中にあって最重要の一つの定位置を持っていると思量します。

 黒川先生のご指摘のように、「東大に世界最初の工学部が設置されたのではないか」との意見もあるが、僕はそうは考えない。前記のようにテクノロジーを発祥としているが、工学はローマ時代のCivil Engineeringに起点があり、そのエンジニアリングを技術専門大学と呼称したに過ぎないと思う。科学者=Scientist、技術者=Engineer、技能者=Technician、technologistは元来は単語としては無かったが、僕が勤務先の職業大学分野で、技術領域までの知見がある技能者との意味合いでテクノロジストを用いていますが、最近では、米語でもtechnologistが使用されています。私見では以下のように考えています。
科学者の定義は:「科学的にものごとを処理できる能力を持つ職業人」
技術者の定義は:「ものの創造を工学的に実施できる能力を持つ職業人」
技能者の定義は:「機械と道具を用いてものを具現できる能力を持つ職業人」
 当然、大学教授は一律に科学者であり、また民間企業においてもEngineerにプラスしてEngineering Scientistが存在します。また科学者と技術者の境目、技術者と技能者の境目が明確に線引きできない分野もありますし、さらに一人の科学者が技術も技能も持っている場合もあります。


 従来から、総合科学技術会議を初めとして、我が国では、「科学技術」という単語でよいのか否かの議論が盛んであったが、そのほうが科学であったり技術であったり、あるいは工学を、関係者の都合のよい解釈に持ち込めるから、結果として利害関係者が同居できてきたように思われる。科学技術をScience based Technologyと翻訳して海外に紹介した事例はないのではないか。むしろ欧米と同様に、Science & Technologyとしてきたのが実体である。従って、従来からの誤用の指摘を総合科学技術会議が真摯に受け止めて、今年の春先から「科学・技術」と両単語を併記の形式を取ったのであろう。


 他方、第3期総合科学技術基本計画の最終年度にあって、来年度からの第4期を創始するか否かの議論がある中で、とりわけ第3期において、「我が国の科学技術政策は投資対効果が少ないのではないか、とりわけバイオ分野では市場効果が少ないのではないか、もっと出口(市場性)意識を明確にするべきではないか」との議論に流れてきた事実がある。そんな中で我が国の基礎科学分野に属する研究者は、「これまで比較的自由にやれてきたのに、炭酸ガス削減効果はどうか、市場形成性はどうかなどの出口の質問にはウンザリだ、事前・中間・事後評価も、第三者評価も面倒だ」との反意を、「基礎研究を軽視し、手元の効果を期待し過ぎると、10年後、20年後の我が国の立国が危うい」との美辞で反論してきたように思われる。


 時同じくして政権が交替し、児童手当を中核とする社会保障制度に予算をつぎ込む方針となり、政府の事業仕分けで基礎科学軽視が顕在化してきた。当時、現在の菅首相は、「国家戦略室にて国家の基本戦略を、総合科学技術会議を科学技術戦略室などに包含し、省庁間での類似予算の重複・無駄を避ける」と発言していた。この発言の背後には、民主党の科学系議員に、「学術会議は不要かもしれない」との思惑が見え隠れしていた。「このままでは学術会議の存続は危うい、基礎科学予算をばっさりと削減されかねない」との危惧から、この4月の総会にて金澤会長が、「学術会議の役割を、Science for Societyにプラスして、Science for Policyを強調したい」と会長提案されたと思う。これは一種の政府への擦り寄りとも受け取られかねないが、会長としては当然の行動である思量する。従来から学術会議は、Science for Scienceの色彩が強かったが、前記したように第19期からの新生学術会議はScience for Societyを標榜してきたので、僕自身は、Science for Science にもScience for Policyにも重点を移すのには反対である。そもそもICUS(International Council for Science、国際科学会議:各国のアカデミー組織から構成され、日本学術会議も会員)は、Science for Societyを宣言し、学術会議もその決定に賛同してきたのである。


 また金澤会長提案には、「米国のように我が国でも、学術会議から内閣のサイエンスアドバイザーを出したい」とあるのは事実ですが、安藤氏意見にあるような「科学領域のことは自分たちに任せろとか、科学を聖域化しよう」と主張しているとは到底思えません。そんな実行力がないのが現実ではないかと思います(以上)。


※pdf 日本学術会議の機能強化について(機械工学委員会)