エポックメイク、忘れることなき産学連携!
 ―第5回産学連携推進会議への想い―


で、どうして科学技術なのか?
 「風が吹けば桶屋が儲かるの逆図式で、子供が減れば年金が減る」が時代の関心で、目下は社会保険庁の保険納入者率引き上げが大問題になっていますね。NHK料金の不払いも同様の社会現象かも知れません。これらは日本国という公共に対する信頼感が薄れている表れでしょう、特に若者はそうです。

 このDND通信の編集局長の出口さんとの酒飲み話で恐縮ですが、僕達が20代の時はドル360円、ポンド1000円でして、横浜の波止場からナホトカ、モスクワ経由でやっとヨーロッパに入るのに20万円も掛かったのです。持ち出し外貨は300か500ドルでしたから、懐に泣けなしの万札を忍ばせての外国旅行でした。外国に旅するという気鋭と、日本国の弱さが身に沁みたものでした。

 それが今やドル100円、ネットでニューヨーク便が3万円なんてのがあるのでしょ。バックバッカーになってチューブに乗り、コロンビア大学の途中で降りてクラブでブラックジャズにドライマティニを傾ける、てのは日本の若者にとって六本木に居るのと同じ感覚なのでしょう。で、彼らのパスポートは誰が保障しているのか分かっているのですかね、日本国旅券ならば疑うことなく入国できるのは何故か、と一度くらいは考えて欲しいものです。全て国力のお陰です、それも概して経済力。僕達が旅した頃の'70年代日本のGDPは100兆円台でしたが、それでも今の中国よりは多い。 近時ではバブル経済が崩壊したにも拘わらず、'96年に初めて500兆円を超して、その後、ほぼ500兆円をキープしているのです。今日生まれた赤ん坊も、ニューヨークで勝手している若者も一様に日本人ならば400万円のGDPで、これがパスポートフリーの根源といっても過言ではない。なのに、その恩恵を受け止めないのが現実です。

 GDP500兆円でも、その100兆円の加工製造業が日本国の富の源泉です。だから製造業、モノづくりを強化しなければならない必然があるのです。トヨタ自動車の売り上げ20兆円超は大したものです。

 日本国政府の凄さは、'96年にGDPが500兆円を超えたと同時にバブル経済が崩壊したのを感知し、このままでは経済が立ち行かなくなると判断したことです。当時のクリントン大統領が、「日本は基礎研究ただ乗り、自動車、TVなど先端製品30数点の特許の大半は欧米に依存」の批判と、欧米技術に真似するものは何も無くなった民間企業の現実に直面し、日本発の独自技術が求められたのです。多くの人たちが同様に思っていたのでしょうが、矢張り尾身幸次衆議院議員は偉かったですね、国論を纏めて議員立法として'95年に科学技術基本法を制定したのです。これに準拠して'96年からの第一期科学技術基本計画、'01年からの第二期、そして今年'06年からの第三期へと引き継がれ、新しい国力づくりを標榜しているのです。

産学連携のエポック
 科学技術革新(イノベーション)による産業創出は、従来のような大学研究や企業開発では儘ならない現実を反省し、産学の協力が謳われたのもこの頃です。当時、科学技術担当大臣に就任された尾身議員の肝いりで、5年前の2001年に第一回の産学連携推進会議が創始されたのです、早いものです、あれからもう5年も経ちました。第一回のときは私自身もわくわくドキドキの感じで地域振興関係の分科会を司会したものですが、2回3回と司会しているうちに慣れっこになってしまい、このままでよいのだろうかと自問。幸いというか昨年は地域イノベーションの専門家である石倉洋子先生(現学術会議副会長)が司会に当たられ、地域産業振興関連の分科会も随分と刷新されたようです。それなのにまた私がカムバックとは如何なものかと自問自答。 

 このニュースを担当されている原山優子先生や森下竜一先生などのご常連が論説されておられるように、この会議にも新しい風が必要に思います。常連は身を引くべきかもしれませんが、身を引く前に、この5年をエッポクとして総括し、次の5年に引き継ぐべきでしょう。

 何を総括すべきかといえば、産学連携活動が我が国の国力強化にどれほど寄与できたのか、の一点に尽きると思います。私の立場で申し上げれば、地域産業技術の振興フレームとしての産業クラスター(2001年開始)と知的クラスター(2002年開始)が地域をどれほど活性にできたかにあります。私自身、昨年一年間をかけて産業クラスター研究会を主催し、これを基礎に経済産業省は産業クラスター第二期計画をこの4月に発表しました。やや嬉しいことですが、産業クラスターに参加した中小企業は6100社、大学は250、その結果、一万件以上のニュービジネスが創出され、参加企業は元来元気が良いこともあるのでしょうが、2000年に比べて2003年では売上高利益率が60%も上昇(全国平均は10%)したのです。知的クラスターも中間評価を行い、技術シーズ創出に相当効果があったことを報告しています。

 いろいろある産学連携施策にあって、クラスター計画は着実に地域に根付き、この5年間で組織化されたようです。地域による若干の時間差はあるのですが、最初の5年間を第一期とし、クラスターの組織固めが出来たことは多とすべきですね、次なる5年間には、各クラスターが地域産業経済に貢献できることを定量的に示せる成果を挙げなければなりません。私が会長を務めている首都圏産業活性化協会(TAMA)はクラスターのモデルと評価され嬉しい限りですが、既に第二期5ヵ年計画の4年目にあります。少し卑近な言い方ですが、最近では産学官にプラスして産学官金と呼んで、金融機関の取り込みも図っています。いずれは国の支援が無くても各地域クラスターは独立運営できなければなりません。そのためには金融機関との連携は必須でしょう。

 実は6月8,9日は韓国の第一回クラスターウィークで、私も基調に伺い、その帰りに京都に参加するのです。隣国もクラスター施策によって地域の科学技術・産業振興を進めています。この辺の状況も正確に把握して分科会の司会に当たりますので、皆様のご参加を切にお願い申し上げます。