第13回 「市町村訪問大作戦って面白い!」の巻

 コンチキチン、コンチキチン。ああ、お囃子が聞こえてくる。いよいよ、今週末は京都の祇園祭です。夏祭り、夏の甲子園、お盆というこれからの季節は、多くの日本人にとって、ふるさとを想う季節ではないでしょうか。私のふるさとは九州の宮崎県です。夜の席で焼酎を飲むときは、宮崎県のものがあれば、必ずそれを頂きます。日向夏という柔らかみのある甘酸っぱさの夏みかんは、代表的な宮崎県の果物ですが、最近では、マンゴーも特産品になっています。さて、この宮崎県、生まれてから18年間過ごした県なので、それなりの事は知っているつもりでいた私が、実はその経済・産業の実態をほとんど知らないことに気づかされたのは、旧通産省に入省して約5年経って、立地公害局という地域振興を担当する局で課長補佐を務めたときでした。局の総務課長が、宮崎県の商工労働部長を約4年務めた方で、宮崎県に関係する案件がしばしば総務課長に直接持ち込まれ、その度に私が呼ばれたのですが、いつも初耳のことばかりでした。18年も住んでいたのに、意識をしていないと、本当に何も知らずに過ごしてしまうものなのだなと痛感した次第。その時の思いを胸に抱きつつ、関西での2年余りを過ごして参りました。ちょっと名前が大仰で気恥かしいですが、本日は、市町村訪問大作戦についてです。

 私は、霞ヶ関以外の国内勤務は、現在の関西が2回目で、1回目は北海道でした。赴任した年、1997年の11月17日のことは忘れられません。この日は、岡野選手のゴールで日本がワールドカップ初出場を決めた日で、私も多くの日本人と同様、時計の針をまたいでの放送にかじりつき、大喜びして眠りにつきました。そして、朝、やや眠い目をこすりながらTVをつけたら、何と北海道拓殖銀行(以下、「拓銀」)の頭取が頭を下げていました。都市銀行が初めて潰れた日にもなってしまったのです。名前の通り、北海道開拓100余年の中核機関であり続け、北海道内に圧倒的規模の資金的・人的ネットワークを張り巡らしている銀行の破綻は、北海道の方達に、甚大な経済的・精神的打撃を与えました。その日以降の約1年半の私の任期中の仕事のほとんどは、拓銀破綻後の北海道経済・産業の全面倒壊防止のためのものでした。

   そういう中で、少しでも前向きの話、将来の再生の種になるような案件がないかを探すとともに、折角初めて住んだ北の大地をくまなく歩いてみたいという個人的思いでもって、市町村訪問大作戦を実行しました。北海道の市町村は、今回の市町村大合併で180くらいになったそうですが、私が在職した頃は212ありました。2年間の在任中に、この212市町村を全て回り、JR北海道の路線に全て乗りました。例えば、当時の北海道通産局の職員が、「A市が前向きな中心市街地活性化策を考えて相談してきました。駅のこちら側の部分を抜本的に再活性化したいということです。」と案件を持って来た際、「ああ、あの美味しい天丼の店があるところね。あの店にあれだけお客さんが集まって来るのだから、周りの商店の方達も、あのお客さんを惹きつけるように頑張れば良いのにね。」などと答えると、「総務課長、何でそんなことを知っているんですか?」と驚く職員に、「2週間前の土曜日に行ってきたから。」という会話をする度に、さらに、色々と行ってみようという気持ちになりました。本州とは植生が違うので、珍しい花を求めて回ったりもしました。苦労して探し歩いてやっと数輪花が咲いているのを見つけて大喜びしたりもしましたが、後年、カナダに赴任して、自宅から約15分の森林公園で、その花が群生して咲いているのを見て驚いたこともあります。

 それでは、関西における第2回市町村訪問大作戦の実行状況はいかに。現在、着任後、2年と2週間が経過したところですが、当局管内2府5県のうち、大阪府、京都府、兵庫県及び滋賀県の4府県については、全市町村に足を踏み入れました。奈良県、和歌山県及び福井県については、市は全て行きましたが、町村で足を踏み入れていないところが数ヶ所ずつあります。2府5県にあるJR西日本には、一昨年夏の集中豪雨後の復旧が終わっていない福井の越美北線を除いて全線乗りました。これまでこのコラムで書いてきたことですが、そういうように各地に出向いて、優れた技術を持った企業に出会ったり、経営者の方々の含蓄のあるお話を伺ったり、面白いプロジェクトのアイデアを伺ったりできたことは、本当に面白く、また有難いことでした。こういう皆様の前向きの話を、少しだけ後押し申し上げて、それが結実していくのを見るのは、本当に国家公務員冥利に尽きます。

 市長にも何人かお会いできました。兵庫県豊岡市の中貝宗治市長は、豊岡鞄の地域ブランドとしての確立に向け、リーダーシップを発揮されていますし、コウノトリの野生復帰にも大変な情熱を傾けておられます。滋賀県高島市の海東英和市長は、琵琶湖の西側を県都大津市と二分する大きな面積を持つ形で誕生した同市において、アドベリーという果物の生産・加工(先月オープンした道の駅”藤樹の里あどがわ”で同製品を味わえます)やバイオマスの活用を進めておられます。縁あって、複数回、お会いできた市長もおられます。大阪府堺市の木原敬介市長は、最も新しい政令指定都市の誕生に漕ぎ着けられたところです。兵庫県尼崎市の白井文市長は、アスベスト問題が発生したり、JR西日本の大事故の現場になる等、大変な状況に見舞われましたが、きりりと陣頭指揮を取って来られました。和歌山県有田市の玉置三夫市長は、大手銀行員としての職歴を全うされた後、「当初は故郷でゆっくり過ごすつもりが、こうなっちゃって。」と穏やかな笑顔で話されたのが印象的でしたが、この有田のみかんは、私の中では、故郷の日向夏と双璧を成す美味しいみかんです。本当に、市町村訪問大作戦って面白い!(今回は、ここで一旦中締め)

 さて、最後の締めは、北海道勤務時代に伺った最も感動した話で。拓銀が破綻してから約10日後、当時の荒井寿光特許庁長官(現内閣官房知的財産戦略推進事務局長)による特許関連施策説明会を札幌で行った時のことです。御挨拶に立たれた当時の戸田一夫北海道経済連合会会長が、荒井長官に対する歓迎の辞を述べられた後、以下のような話をされました。「今回の拓銀の破綻について、拓銀のこんなところ、あんなところが悪かったという話や報道ばかりが行われている。確かに、拓銀にも問題はあったと思うが、同時に、拓銀が北海道において優良な貸出先に恵まれておれば、好き好んで本州に出かけて行って、不良債権を積み重ねる事態に陥らずに済んだはず。すなわち、北海道において、産業を育て、経済を活性化する努力を十分に行ってこなかった我々北海道民全員に今回の破綻の責任がある。この事を肝に銘じて皆が努力していくことが、同銀行の破綻を乗り越え、北海道が再生していくための唯一の道である。」