第16回 イノベーション後のイノベーティブな社会


 いよいよ、イノベーション・シリーズも社会構造まで入ってまいりました。またまた、舌を噛みそうなタイトルです。前回の内容を受けて、今回は新春大放談のイノベーショブな社会のイメージです。どうも頭の弱いSF作家の考えた2025年の社会のようで、ご紹介をするのは気が引けます。というのは嘘で、実は私はかなり自信をもっています。

 前回のコラムでも書きましたが、現行の医療制度は崩壊します(こんな断定していいのかいな?)。いわゆる財政当局の言われる社会コストの増加による圧迫要因は勿論ありますが、私は医療現場からの皮膚感覚として感じます。医師がたくさんいる都市では勿論維持は可能です。しかし、少子高齢化の中で過疎地域の一層の拡大があります。出生率の低下は、100年持つはずの年金制度を2年で崩壊させただけでなく、医療を支える医師の数も減らします。同じ国土面積で大幅に減少し高齢化した医師と大量に増えた高齢化して移動の困難な患者さんですから、当たり前だと思いませんか?

 勿論国家権力で医師を適正配置して過疎地域に貼り付ければ別ですが、そんなこと出来ると思いますか(できたら、少し怖いですよね)?適正配置という言い方は、きれいですが、過疎地域に行きたくないという医師の気持ちを無視した配属をするという意味でもあります。強制措置をすれば可能かも知れませんが、実質的には個々の生存権の侵害につながりかねません。あるいは、高給を払い続けて維持できますか?ありえません。従って、在宅医療でなく在宅管理(システム)へ移行すると予測しています。病院にいくのは、自宅で管理ができなくなった時でそれまではわざわざ通院しなくても、かなりの部分が在宅でできる管理システムを作るべきでないかという未来像です。

 某省の方とお話していると医療過疎地域に住むのは自由だが、それは自由意志であり、国がそこまで医療を保障するのは無理だといっています(平たく言うと、ダムで水没する村に住みたいという人に行政保障をするかというのと同じ問題だということです)。実際いわゆる医療効率の観点から言えば落ちてきますし(この言い方は個人的には好きでないですが)、財政の悪化の中で果たしてそこまでの保障ができるかは確かに疑問です。

 しかし、切捨てはできないのも、事実です。その解決策は、ITによる遠隔医療の充実しかないように思います。もちろん救急にどう対応するのかといった問題などは残りますが、2025年という長期タームで見た場合、混んだ病院にいかなくても大部分の医療が完結するのは、悪くないのではないでしょうか?

 たとえば、自宅で血圧や肝臓の酵素などバイオマーカーの測定を行い、遠隔で医師が診断し、注射や投薬も宅配便などで行う。自分のカルテは、病院でなく、自分で携帯電話のサーバー上に持ち、マイカルテを提示する。

 このようなシステムを構築すれば、病院への負担はぐっと減りますし、過疎地域でもある程度までは在宅で見ることが可能になります。ある意味、過疎地域こそIT化に真剣に取り組む必要があります。顔が見える医療が望ましいのは真実ですが、顔が見えるIT医療を作り上げればよいのではないでしょうか?

 マイカルテのアイデアについても、もう少し説明いたしますね。今の電子カルテは医療機関側にあります。ですから、各医療機関によって異なる様式になってしまいます。もちろん互換性はいずれできてくるでしょうから、それ自体は大きな問題になるとは思いません。

 むしろ情報量が大きくなりすぎることが、いずれ電子カルテを崩壊させるのではないかと思っています。現在のCTやMRIでも電子情報の容量が大きくなりすぎて十分使えていないのですが、これからPETやSPECTが本格的に普及し、いわゆる分子イメージングが進んでくれば、半端でない容量になります。既に大規模な病院では、5−10年ごとにコンピューター・システムの入れ替えが必須ですが、今後更に速度が速くなってしまいます。そうすると、財政的に大変な事になることは簡単に予想できますよね。これでは、到底管理できなくなります。

 では、どうすればよいか?情報を病院外に出してしまえば、当然病院のシステムは軽くなります(言い換えれば、長持ちをします)。患者さん本人が情報を持てば、病院は楽になります。また、個人情報の漏洩も、本人管理ですので、病院側の責任ではありません。

 アイデアとしては、携帯電話を利用してサーバー上に患者さん本人の情報を置いておきます。医療機関受信時には、患者さんが携帯を診察室の端末に接続すると、PC上に検査データや画像データが読み出せるようになります。また、各医療機関で測定したデータは端末を介して携帯電話のサーバーで自動更新できるわけです。

 実現可能か?といわれると、実は現在のIT技術でも可能です。既にマイカルテは、携帯電話の着メロの大手のフェイスの子会社であるメディカル・コミニケーションがプロト・タイプに着手しています。マイカルテになることで、個人情報保護や保管期限も関係なくなるなど病院側のメリットも大きくなります。あるいは、保険支払い側もカルテが共通化されるので、医療費の無駄が減ると思います。後は、医療システムの問題ですが、おそらく今後の情報量の増加を考えると医療機関側での管理は破綻すると思っています。

 この議論でいつも指摘されるのは、携帯電話を使えない人の切り捨てになるので、無理だという意見です。ここで、問題なのは、議論の時点では今ではなく2025年ということです(イノベーション25で常に意識しておかないといけないのは、ここです)。その時には今の20歳の方が40歳です。私が64歳、今の50歳の方が70歳です。その時の携帯電話はどうなっているでしょうか?

 たまたま先ほど開いたMSNのホームページで「ネット君臨:第1部・失われていくもの/5 ケータイ無しで、生きられますか…」という記事を見つけましたが、今の20歳にとっては携帯電話がないことは生存にかかわる問題のようです?(本当かといわれそうですが・・・)。

 その意味で、我々が今思っている携帯電話のイメージではないというのが、私の考えです。最も、もう携帯電話自体ないかもしれません。最近読んだ本では、携帯電話の次のポケタミと呼ばれる端末が使われているという設定でしたが、どうなっているでしょうか?

 既に財布と携帯は一体化しています(これって、すごくありません。命の次に大事なお金?を携帯に預けているわけです!)。時計とも一体化していますよね(既に時計型の携帯電話はNTTドコモから発表されていますし、時計を持っていない若い方も結構多いです)。個人情報や年金情報なども、一体化しているかもしれません。また、音声入力も進んできていますので、キーで入力できなくても、言葉で出すだけです。血圧を測ってといえば、自動的に時計型の情報端末で血圧を測定して、中央の情報サーバーで個人情報が更新され、病院へ情報が送られ、今日注意することが連絡される。もし、異常があれば病院へきてくださいという連絡がある。こんな将来像はどうでしょうかね?

 情報通信の専門の方と話をすれば、持つ情報端末というのは古いのではないか?オソラク、ウエアラブルな情報端末じゃないの?といわれます。皆さん。ウエアラブル・コンピューターって、ご存知ですか?携帯のようにもつのでなく、メガネとか服の中にコンピューターや端末があるというイメージですね。一度私も試作機をつけたことがあるのですが(メガネ型でした)、もうスパイ大作戦です。夜寝ている間にシャツについている端末で血圧や血糖値を測定して、起きると今日の最適な薬の量が決まって、用意されている、こんな在宅管理はどうでしょうか?

 また、介護もロボット技術を利用したパワーアシスト・システムの開発が進んでいます。省力化を図ることもこれから大事になると思います。もちろん、今後、地域社会などで受け皿を作ってきちんと支えるシステムを構築することも大切ですね。

皆さん。どう思われますか?2025年には私が詐欺師か、それとも石原良純さんクラスの気象予報士か、わかります(最も、どう違いがあるの?といわれそうですが・・・。石原さん、ごめんなさい)。乞う、ご期待です!

大阪大学大学院医学系研究科臨床遺伝子治療学教授
知的財産戦略本部 本部員
アンジェスMG社取締役
森下竜一