番外編「日本の南極海での捕鯨は調査捕鯨ではないので、条約違反であるとの判決」



オランダ・ハーグの国際司法裁判所は、日本の南極海における現在の多数の捕鯨は調査捕鯨とはいえず、商業とみられ、条約違反であると判決を下した。但し、調査捕鯨を一切行ってはならないとか、あるいは何頭ならよいというガイドラインは一切示していない。


この裁判には上訴が無いので鶴岡政府代理人は「国際法の秩序を重視する国家として判決に従う」というコメントを出しているので南極海捕鯨は当面非常に困難になろう。


日本の一部の報道には全面敗訴とか、鯨は食べられなくなるような報道をしているようであるが、これは若干早とちりであるといえなくはない。南極海まで行って、合計1000頭以上捕獲する捕鯨は調査とはいえない、提出された証拠では不十分であると判決したのであって、頭数を大幅に減少させたり、日本近海中における捕鯨に限定すればできなくなるわけではない。


ともあれ、この条約や調査捕鯨のことは分かり難いので、ここに私の知る範囲において簡単に説明しようと思う(とはいっても私も正確に知っているわけではないが。)


世界の海にいる鯨はミンククジラ(約100万頭)、シロナガスクジラ(約2千頭)、ザトウクジラ(約6万頭)、ゴンドウクジラ(約80万頭)等で、合計約200万頭いるといわれ(日本捕鯨協会のデータからの集計)、この内日本が捕獲しているのは合計で1045頭位(:日本捕鯨協会と水産庁データより集計)らしい。しかし、近年の捕獲の実際の頭数は、予算の問題やシーシェパードの影響で1000頭より大幅に減少している。判決は約1000頭を対象にしており、要するにこれは調査捕鯨としては多過ぎ、調査のためという確固たる証拠がない、というのが今回の判決である。


ちなみに、日本以外の国で鯨を捕獲しているのは下記の通りである。


 
注:ノルウェイとアイスランドはIWCのモラトリアムに異議申し立てして、勝手に商業捕鯨している。日本も一時は異議申し立てしたが、米国の圧力により撤回し、調査名目で開始した。


このように、米国やロシアやデンマーク等の先住民にはわずかな数の捕鯨許可が与えられている。日本は、古代の昔から捕鯨をしているので、先住民と同様に扱われるべきであると主張したが、IWCに受け入れられなかった。


ノルウェイとアイスランドはIW C のモラトリアム(10年間商業捕鯨禁止指令)に反対したのでその場合は拘束されず、商業捕鯨でき、また、今のところ問題にならないのはほとんど自国領海で行っており、南極海のような外洋まで行かないからである。(但し、シーシェパードは次にターゲットにするといっているが。)


日本も一時はモラトリアムに反対して商業捕鯨を行おうとしたが、米国が、その場合は米国200海里の漁獲割り当てを削減すると脅したので反対を撤回した。漁獲割り当ては1400億円に相当し、鯨による収入の110億円よりはるかに高かったので苦渋の選択であった(米国における捕鯨反対思想は強く、米国議会は、数年前まで米国特許庁の出願・登録料の収入の一部を捕鯨反対活動に補助金として与えていたほどである)。


そして、調査に限定した捕鯨を始めたが、広い海を回遊するクジラの生態を調べるためには自国領海内だけで調査するだけでは不十分で、広い海の異なる場所で調査しなければならないので南極海の捕鯨も必要であると主張し、実際、鯨の生態に関する様々なデータを作り、分析し、この成果はIW C でもかなり評価されている。つまり、理論的に言えば日本の主張はそれなりに正しい。判決もこの点を認めており、「大きな枠で見れば日本の調査捕鯨は科学的な調査だといえる」と書き出している。


しかし、それでも「裁判所に示された根拠からは調査の計画や実施方法が目的を達成するのに妥当ではないと考えられる」という結論になっている。つまり、ノルウェーとアイスランドのように領海にとどまらず外洋まで出て捕獲することが大きな問題になっているようだ。


また、ここで重要なことは、裁判というものは必ず原告(オーストラリア、ニュージーランド)か被告(日本)のいずれかに立証責任があり、日本は南極海まで行く捕鯨が調査捕鯨のためであるということを立証できなかったということが判決の結論なのである。


もし、逆にオーストラリアに日本の捕鯨は調査が目的ではなく、商業が目的であることの立証責任があるとすると、その立証は同じように極めて難しいだろう。何故ならば条約では鯨を捕獲したり、殺したりしても本当に調査目的ならよく、そして捕獲した鯨を捨ててはならず、全てを出来るだけ活用しなければならない、即ち販売、転売してもよいとなっているので、結果的に商業になっていたとしても調査が主体なら問題にならないからである。


ともあれ、これで日本で鯨を食べることが出来なくなるわけではないが、南極海での調査捕鯨はまず出来なくなるので、その分かなり減少し、果たしてそれで鯨商業が成り立つかの問題はあろう。


我々は、何故日本は色々な問題で世界から追い詰められなければならないかという素朴な疑問をもつ者も多いであろう。どうも日本がすることは何でもかんでも世界から叩かれるようであこれは私が回答できることではないが、それでも私なりに思いつく点はある。


まず、第一に日本はそれほど大国であるということだ。日本は日本人が考えているよりはるかに大きく、目立つ国なのである。ノルウェイやアイスランドでも捕鯨をしているが自国領域内に限定しており、南極海まで行く捕鯨ではない。IW C のメンバーも日本が捕鯨を領域内に限定しているなら文句は言わないという者もいる。その上、ノルウェイとアイスランドの鯨のほとんどは日本が購入している。日本の消費量はそれほどすごいどころか、日本の鯨ビジネスは明らかに商業となっているとみられることになる。


日本はモラトリアム反対を撤回せざるを得なかったが、それは米国とのビジネスのためで、一方、ノルウェイやアイスランドの漁業活動は小さいから米国のプレッシャーは関係ないので勝手に行動できる。日本の漁業・経済活動はそれほど大きい。


わざわざ南極海まで来て捕鯨することについても、当然、オーストラリアやニュージーランドには自国の周りの鯨の生存量が影響を受けるという心理的圧迫であるに違いない。日本政府はこの点を考慮したことがあるのだろうか。


日本は日本人が思っている以上に大消費国であり、外国への影響も大きい大国であるということは、数年前に韓国の前大統領が竹島や慰安婦の問題でもめた時に言った言葉ににじみ出ていた。「我々が日本を問題にするのは日本は日本人が考えている以上に大国だからだ。


中国はGDPは世界2位になったといっても、一人当たりの収入や生産量はまだまだで、日本の方がはるかに上だ。我々は戦前日本にやられたが、それは決して忘れることができない。それはちょうど小さい頃我々をいじめたガキ大将に対しては、大きくなっても恨みが残るのと同じだ」と言った。この発言を聞いた時、私はこの大統領は自国を矮小にみなしているとして韓国内で糾弾されるかと思ったが、そういう騒ぎは韓国で全くおこらなかった。恐らく、韓国民も皆、同じような気持ちを持っているのであろう。


とにかく日本の捕鯨量の約1000頭は、世界の鯨の生存量約200万頭の0.0005%でしかなく生態系に影響は全くないにしても(この日本の理論は正しい)、南極海まで来て数10頭ならまだともかく、何百頭も捕ることはどうしても調査とは認め難いのだろう。ある意味では両者とも正しいのだがIWCは後者しかみないのである。日本は捕獲数を一時は500頭位にしていたが、数年前に1000数頭まで上げた。恐らく生態系に全く影響しないからいいのではないかという理由なのだろうが、ちょっと安直過ぎたのではないか。もし倍増していなかったら、ノルウェイの捕獲数と同じ程度なので今回の訴訟にならなかったはずである。この点は大きな判断ミスである。


また欧米人は自分の文化、食習慣は尊重するくせに、他国の文化、食習慣は無視することは横柄過ぎると考えるものも多い。しかし、捕鯨反対が正しいか否かは論評しても残念ながら何の意味もない。とにかく今の世界は捕鯨反対の国々がコントロールしているのである。


反論として、では、ビーフも食うな、チキンも食うな、カンガルーも食うな、カエルも食うな…といっても彼らは単に無視するだけだ。これは、代表民主制、多数決原理の民主主義の良いところでもあり、悪いところでもある。


それより国際司法裁判所の判決というお墨付きによって日本のイメージが落ちることになる。このダメージの方が大きいと心配する者がいるが本当にそうだろうか。


国際司法裁判所の判決に従うという我が国の姿勢はこれから非常に重要になる。それは竹島や尖閣島の問題は究極的には国際司法裁判所で争って解決するしか日本には道が無いからである。今のところ韓国は国際司法裁判所で争うことを逃げている。恐らく敗訴が恐いのであろう。しかし、そうして逃げていれば世界が韓国の主張を認めなくなる。尖閣島は今のところ日本がコントロールしているのでまだその必要性はない。


しかし中国は日本が尖閣を略奪したことや、南京での30万人の虐殺を今更になって国際社会に報道し、日本がいかにひどい国であるかのプロパガンダを行っている(ちなみに中国はIW C では日本と同じ捕鯨国メンバーであるが、日本の捕鯨は調査捕鯨ではないと反対票を投じている)。その意図は、恐らく、10数年後に中国軍事力が圧倒的になっていった時に武力で尖閣を奪い、世界には当然の制裁をしたまでと賛同させようというのが狙いなのかもしれない。それでも、日本は武力行使に躊躇するだろうから国際司法裁判所が重要になる。そういう意味ではこの国際司法裁判所というものを理解するためには今回の訴訟や判決は非常に良い教訓になる。とにかく日本は国際司法裁判所の性質、使い方を真剣に研究する必要があり、これは良いきっかけになる。


ともあれ、鯨の方に話を戻すと、捕鯨を認めさせるためには鯨料理を世界に理解させることしかないが、この点で最近読んだ本で、「英国人一家、日本を食べる」というベストセラーは面白い。これは英国人のフード・ジャーナリストが日本に3ヶ月間家族で滞在して、英国で働く友人日本人シェフの紹介で日本中のレストランで食べ歩いた日記である。


高級レストランだけでなく、札幌ラーメンのような庶民料理も食べ、日本料理、文化の奥深さ、日本人社会の秩序正しさ、親切さに感銘して日本をより理解して行く旅行記でもある。


彼の弁によると「私の人生には許し難いことが2つあり、1つはサッチャー首相で、もう一つは鯨を食べること」であったという。しかし、日本に来て、日本料理と日本文化に感動していく間に、人生観が変化し始め、たしかに鯨も牛もチキンも同じ動物だ、全ては地球上の料理の1つにすぎない…では試しに食べてみようか、という気になって、新宿の有名な鯨店で鯨を食べた。さすがに家族の他の連中は怯えてか試していない。結論は、それほどうまいとは思わないというものだった。しかし、何より大事なことはあれだけ捕鯨に大反対していた彼が日本の真の姿を見てからとにかく鯨を食べてみようという気になったことである。それほど日本料理、日本文化に魅入られたからである。


彼はミシュランの三ツ星レストランもフランスのパリより日本のほうが倍多いことも理解できると述べている。こういう連中が世界に増えればいつか、鯨を食べることも自然の「業」と理解できるようになるのかもしれない。


判決は最後に「日本が今後、条約に基づいて調査捕鯨を行うことを検討する時は今回の判決の内容を考慮してもらいたい」と記載していることは、やり方や量を穏便にして調査が主体と理解できれば捕鯨O K ということを示しているのである。当面、鯨の料理は大幅に減るかもしれないが長期的に戦うしかない。


と、書きながら私が自宅でたまたま、何を食べていたかお分かりだろうか。鯨のベーコンである。先月、日本に出張して長崎空港に行った時、空港の店で鯨を真空パックで販売しているのをみつけ、早速購入した。アメリカに来てから30年になるので、鯨を食べるのは30数年振りである。日本酒で食べていると12歳の娘が、「パパ、何、それ?」というので「まあ、食べてみろ」というと小片を口に入れ、「おいしいね」という。「何の肉?」というので「これが鯨だよ」というと、目をぱっと見張り、ペっと吐き出した。そこで「かわいそう」と悲しい顔をした。「ああ、娘は半分以上アメリカ人なのかな」と私も悲しい顔になった。そして、「マクチキンは食べてよくて、鯨は食べてはいけないというのは人間の身勝手な好き嫌いに過ぎないんだよ」、「いただきます、とか、ごちそうさま、という言葉の意味は料理してくれた人に感謝するだけでなく、料理になってくれた、チキン、ビーフ、草食類の全ての地球の材料に対して感謝するためだよ」と諭したら、神妙な顔をしていた。普段はちょっと注意すると猛反発する娘だが、あまり怒って来なかったので、「完全なアメリカ人ではないな」とほっとした次第である。



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