第71回「アメリカンドリームのワールドシリーズ」



 私はボストン・レッドソックスの野球ファンではないが、今年のワールド・シリーズは上原と田沢という日本人投手が活躍したので見ごたえがあった。特に素晴らしいのは両投手とも雑草のような生い立ちから全米のヒーローになったことである。


 上原は大阪体育大学の受験に失敗し、1年間浪人し、猛トレーニングを行ってやっと入学して大学野球ができた、という這い上がりの人生を送っている。それでも大学野球での活躍は目覚しく、当時松坂大輔と並ぶドラフトの目玉になり、巨人に入団して20勝4敗という新人記録を作ったからその頃は最早雑草ではなかったかもしれない。しかし、彼は巨人に入って背番号19を要求したのは、大学受験に失敗して猛トレーニングを積んだ19歳の1年間を肝に銘じて忘れないためだったといっている。


 一方、田沢は日本のプロ野球にも行かず、社会人野球からいきなりボストンレッドソックスに入団した経歴を持ち、日本で輝かしい実績があったわけではない。ともあれこの二人はイチロー、松井やダルビッシュのように大リーグでも活躍してもまあ当然、というような選手ではなかった事が彼らの飛躍を余計に壮快にしている。我々普通人も、自分だって頑張ればアメリカで活躍できるかもしれない(次元は違うが…)、と思わせるところにあの二人の意義がある。


 上原が大リーグ歴史でもほとんどないという救援投手がプレーオフでMBP (Most Valuable Player)になるほどのピッチングができたのは正に精密機械のようなコントロール(アメリカではcommandとかlocationとかいう)があるからである。ボールのスピードは145キロ/時位だから大リーグの中では遅い方で、しかも球種は直球とフォークボールしかない。


 しかし、大リーグの打者を相手には多少のスピードではほとんど役に立たない。何せ彼らのパワーはゴリラ並みかそれ以上である。その例がマック鈴木(彼も日本のプロ野球を経ないでアメリカに来た)で、スピードは150キロ/時以上楽に出せたが、結局コントロールやピッチングの幅に欠けたためほとんど勝てずに終っている。彼はむしろ若い頃日本のプロ野球で投げていたらそれだけのスピードが投げられればそこそこ勝てたかもしれない。


 大リーグの投手達はスピードは凄いがコントロールは日本人投手の半分位である。彼らはただがむしゃらにぶん投げる投手が多い。しかし、とにかく手が長くて大きく、指も長いから投げたボールは面白いように変化する。だから調子が良い時は凄い。上原はそれほどスピードもなく、ダルビッシュのように多くの変化球も投げられないが、コントロールが抜群で配球がうまいから勝てたのだ(田沢は大リーグ選手並みの体格があるのでスピードはある)。


 コントロールや配球で勝負するためには審判がしっかりボールとストライクを見極めてくれなければダメである。ところが大リーグの審判は実にいい加減な判定をする。ほとんど気合とタイミングでボール、ストライクを言い分けているみたいである。コーナーに切れのいい球がタイミングよく入ると、明らかにボールでも「ストライーク!」と大ジェスチャーで叫ぶ。バッターは下手に抗議するとすぐ「退場!」だからあまりバタバタ騒がない。審判によってどころか、同じ審判でも日によってストライクゾーンが違うのは日常茶飯事である。あの審判達を見ているとアメリカ製品の質の悪さがなるほどと理解できるほどである。よって、その日の審判の気分とコールの特徴を見極めるのが重要である。頭が良く、コントロールの良い上原ならそれを見極めさえすれば逆に利用できるのだ。とにかく大リーガーのピッチャーはコントロールが悪いから上原のコントロールの良さは余計に目立つし、ストライクからボールになるフォークボールには彼らは扇風機が回るように三振になって行く。だからコントロールの良さを示す三振/四球率では上原は大リーグで常に2,3位という驚くべき記録を示して来ている(ダルビッシュは今年三振奪取No.1だったが四球も多い)。


 上原はワールドシリーズの前のプレーオフでMVPになった時のインタビューで「緊張のため吐きそうになった」といっていたが本音だろう。とにかくアメリカのスポーツファンは良く言えば熱狂的、悪く言うと異常人格といえるほどの者が多い。勝てば官軍だが、負ければリンチもの(といっても物理的にでなくジャーナリズム的に)である。敗者を労わる精神はほとんどないに近い(全くないわけではなく、ボストンレッドソックスのファーレル監督はワールドチャンピオンになった直後のインタビューで開口一番、カージナルスは立派なチームだった、とまず称えていた。さすがワールドシリーズ・チャンピオン監督である)。


 従って私が気になったのは上原はプレーオフではMVPになったものの、今後はボストン市だけでなく、全米そして全世界に中継されるワールドシリーズで本当に緊張に耐えられるか、という点であった。


 第一試合はボストンが8-1の大差で勝ったため上原は投げていない。は第二試合で初めて投げたがこれは4-2で負けていたための場慣らしのためであり精神的負担は大した事はなかったはずである。本当のワールドシリーズの雰囲気で投げたのは第三戦だ。しかも球場はカージナルスの本拠地のセントルイス球場。カージナルスは二戦目に勝ったから雰囲気が凄い。上原は9回裏の4対4の同点で1アウト走者1,2塁の場面でマウンドに立たされた。一勝一敗の後だから恐ろしい程大事な試合だ。正にクローザーの真価が試される時である。


 マウンド場の上原の緊張感は恐ろしいほど顔に現れていた。「これはやばい」、私は一瞬そう思った。これほど緊張していて上原の精密機械のコントロールが保てるか…?そう思っていた瞬間に彼が投げたボールは内角高めの棒球だった。精密機械どころではない。


 ガキーン、という音とともにボールは外野に転々とし、二塁走者が猛然とホームに突っ込む。しかし、外野手の見事なバックホームで間一髪でアウト!


 1塁走者は三塁へ走ったのでキャッチャーは三塁へ投げる。よし、これでダブルプレーか! と思った瞬間、ボールはそれてレフトのファールグラウンドへ転々と転がった。やばい!


 ところが走者はそれたボールに届こうとして倒れた三塁手の足に躓き、前に倒れ、やっと立ち上がってホームに突っ込む。外野手がファールグラウンドにダッシュして転がるボールをつかんでホームに投げる。ボールはややそれたがタイミングはアウトだ!よし!ダブルプレーで上原は救われる。


 と、思った瞬間、審判は何とセーフというではないか!冗談じゃない、やっぱりアメリカ精度の審判なのか、と思ったら審判は三塁手の走塁妨害のため走者はセーフになったのだという。ワールドシリーズ初の走塁妨害によるエンドである。そんな馬鹿な判定があるかと思ったが審判の権限は絶大である。こうして上原のクローズは失敗した。


 しかし、二人の走者は前のピッチャーが出した走者だったので、彼らが敗戦投手になり、上原は記録上は無傷に終ったのである。クローズに失敗したものの上原には運があるなとは感じた。


 これでボストンは一勝二敗になり、第四戦は絶対勝たなければならない試合になった。ボストンは9回まで4対2で勝っていた。私が一番興味を持ったのは果たしてボストンのファーレル監督が上原をまたクローザーに使うかということだった。前夜失敗し、しかもあのコントロールのよい上原が棒球を投げたことは、やはり日本人ではこの緊張下では投げられない、と監督は感じたかもしれない。それに熱狂的なボストンファンはやはり白人に投げさせろと言い出しているかもしれない(それで負けたら彼らも仕方がないと諦められる)。ところが監督は何の躊躇も示さず、9回裏、審判に「ピッチャーは上原」と告げたのである。マウンド場の上原の顔は、果たして超緊張で蒼白だった。顔の半分はクラブで隠しているが目は完全にうつろだ。


 上原は何とか二死を取ったが、ヒットを打たれ二死一塁となった。これは本当は二塁打の当りだったが、打者がホームランと思って走らずに一塁でとまったので上原は救われた。上原にツキがあると感じられた。代走のワングは超俊足。虎視眈々と二塁を狙っている。嫌な展開だ。ただ上原は二死を取ったせいか若干落ち着いて来た。3球目にワングがいよいよ盗塁と体がちょっと二塁へ傾いた時に上原はさっと一塁へ振り向き、見事にワングをけん制球で刺した。クロスプレーではない、完全なアウトだ。ワールドシリーズ初のけん制球によるエンドで、この牽制球がシリーズの動きを完全に変えた。


 第五戦の上原は落ち着きを取り戻しどんどん凄くなった。試合はボストンのエース、レスターが投げ8回裏まで3対1だが一死の後レスターは走者を二塁まで出した。8回だから本当はクローザーの上原には早い。しかも二番手は田沢や他のピッチャーもいくらでもいる。しかしファーレル監督何の躊躇もなく「ピッチャー上原!」と告げた。ピンチヒッターは嫌な左の代打。ところが上原はいとも簡単に三球三振。球は全て低めのコーナーぎりぎりで圧巻の投球だった。それ以上に感心したのは、「あの監督は上原を完全に信じている。あの第三戦の幕切れがあったがやはり昨夜の牽制球アウトがきいているのだろう」ということだった。監督が信じれば選手もふるい立つのである。だから今年のボストンは強いと実感した。


 3勝2敗になってボストンに戻った最終戦は6-1だったから9回裏は余裕の三者同退。この時は風格さえあった。人間修羅場を越えると大きくなるものだとつくづく感じた。ヒーローインタビューで上原は通訳と子供(7〜8歳?)と一緒に答えたが、英語が全くできない上原はやっと「緊張した」、「夢の中にいるみたいだ」というだけだった。インタビュアーの女性が何を聞いていいかわからなくなった様子で、ひょいと子供を見て「どうやってお祝いするの?」と聞いたら子供は「クレイジーに祝う!」と通訳なしで叫んだ。


 インタビュアーも観客もどっと笑った。米国に来て4年の上原ファミリーは、お父さんは未だに英語が全くわからない生粋の日本人だが、子供はインタビュアーの英語に即答するアメリカンドリーム・ファミリーになっているのだった。


 翌日のボストンの新聞は一面トップに上原の雄たけびの写真を掲載して、「上原はスタークローザーになった」と報じた。これを見て日本からずっとスタープレイヤーであるがチャンスに恵まれないイチローとダルビッシュは「次は俺も…」と思うだろうし、松井(2009年のワールドシリーズMVP)は「俺と同格になったな」と考え、松坂は「俺も来年メジャーで投げる機会があれば…」と感じるのだろう。


 それにしても元巨人だった上原の10月30日の最後の試合の投球を見とれなかったと思われる、巨人そして日本球界の球聖、川上哲治氏が10月31日に死去されたタイミングは実に残念であった(私は一応巨人ファンである)。



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