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第7回 「Show and Tell」




●米社会におけるプレゼンテーションの威力

 アメリカの小学校の教育課目の中に「show and tell」というのがある。これは生徒が何かを作ったりしてそれを見せながら皆の前で発表し、説明するプレゼンテーションの訓練のためのものである。目立つことを嫌う日本の教育システムではあまりない方法だろう。この「show and tell」はプレゼンテーションが大切なアメリカ社会の中で非常に重要な教育方法である。物を書いたり読んだりすることも勿論重要であるが、それ以上に喋って、ディベートして自分の考え方を明らかにする方がはるかに大きなウェートを有している。

 そこでこういう教育を小学校時代から行っているのである。数ヶ月前までは圧倒的に劣勢であったケリー大統領候補が今やブッシュ現大統領と同じか、あるいは若干凌いでいる州さえある。これはまさにテレビ討論会の賜物だ。
 ケリーはこうしたディベートが得意中の得意で、反面ブッシュは大のディベート嫌いである。従って両者の側近は、ケリー側は出来るだけ多くテレビ討論を行おうと提案し、ブッシュ陣営は出来れば一切行いたくなかった。しかし、このテレビ時代に全く行わないということは国民に不信感を与え、不可能だ。

 このため、不承不承承諾したブッシュ側はテレビ局に様々な制約を付けさせた。一つは相手が喋っている間は、他の候補者の顔を映さないという取り決めがあった。ところが、いざとなるとテレビ局はその契約を破ってブッシュが苦虫を噛み潰したような顔をしてケリーの演説を聞いているのをどアップして映してしまった。
 恐らくブッシュ側は契約違反としてテレビ局を訴えようとすれば訴えられるだろう。しかし、そんなことをすればブッシュの株は更に下ってしまう。従ってブッシュは2回目のテレビ討論会から強いリーダーという印象を与えるための必死の演出を用いた。イラク戦争は必要だったと強調し、ケリーが喋っている間に移される表情は極力ゆとりがあるような表情を繕っていたのである。

 アメリカの大統領がテレビ討論会という一種の政治ショーで決定されかねない国なのである。

●米陪審制度ではプレゼンテーションの表現力が重要

 しかし、このような「show and tell」の必要性は実は裁判でも同じなのである。
 特許という独占権は特許証という書面にその内容や範囲の記載がある。この書面をどのように解釈して特許が有効かあるいは特許侵害があるかないかが決定される。
 日本の特許裁判であると特許証や各種証拠に記載されている内容を事細かに弁護士が文書で説明し、提出する。判事は年に4、5回の公判を行って書面の内容の質疑を行うが、それはほとんど形式的といってよく、判事が判事室に引っ込んでそこで各種書面、証拠等をじっくり検討し判決を起草して行くのだ。つまり、判事は判決を下すまでに1、2年間書面や証拠をじっくり検討するのである。

 ところがアメリカの裁判は全く異なる。特に陪審員裁判はそうだ。判事や陪審員が出廷する公判はたった2週間位である。その公判に提出された証拠で、その期間内で全ての問題を討議し、評決そして判決を下すのである。しかも、特許証のような書面や他の物的証拠は用いるものの、それらの説明、解説は全て発明者、技術者といった事実証人そして特許や技術の専門家証人の証言によって行われるので、必然的に彼らの証言内容、性格あるいは正直であるかといった印象が圧倒的に大きな役割を占め、こういう観点から評価される。

 勿論それらの証人に対しては相手弁護士そして専門家の周到に用意していた反対尋問攻めにあるから嘘を付いていたり事実を曲解すれば、証人はたちどころに立ち往生してしまうから、陪審員でさえもいずれの証人が正しそうだ、あるいは正直そうだということは案外わかるものなのである。

 日本人得てして、そうは言っても専門家証人は金で雇われているからいくらでも嘘をつけるのではないかと危惧してしまい勝ちである。
 それは反対尋問の恐ろしさを知らないからだ。それに嘘をついたことがバレルと(以外にバレルのである)、証人にも制裁措置が課せられるからウカウカと事実を曲げたりすることはできない。

 判事も陪審員も一日中両サイドの証人の証言を聞き、反対尋問への対応を見ながらいずれのサイドの証人が正しそうか、正直そうかで評決を下していく。つまり特許証の書面、証拠のウェートは実に小さくなってしまう。

 従って「show and tell」というプレゼンテーションが裁判でもやはり大切になるのだ。この点ほとんど書面試験のみで学校を卒業する日本人は表現力が圧倒的に下手であり、ましてや英語でプレゼンテーションをしたことのない日本人には不利になるのは当たり前だろう。勿論通訳を使うことは出来るがそれでは通訳の英語力、表現力が前面に出てしまう。
 日本人や日本企業がアメリカ裁判や社会で本当に一人前になるためにはせめて日本語で、あるいはできれば英語で「show and tell」が出来るようにならなければならない。