第66回「新米国特許法は純粋な先願主義ではない」


 米国特許法が半世紀振りに大改革があったことはご存知の方も多いと思う。そして今までの日本のニュースは米国が始めて先発明主義から先願主義へ移行したと報告していると考えられる。


 先発明主義は先に発明した者に特許が与えられるから理想的な制度であることは間違いないが、いつ発明を完成させたという立証は非常に困難である。
 そのため米国企業は発明記録を克明につけて、毎日その記録に同僚研究者のサインをさせて信憑性を高めている。


 しかし、個人発明家の場合は同僚などいないから、とにかく新しいアイディアを手許にある紙に記録しておく事が多い。携帯電話に用いられる極小の抵抗器の発明はポーランド生まれでアメリカに帰化したユダヤ人のザンドマン博士であったが、彼は閃いたアイディアをナプキンに記載し、そのナプキンは今でもスミソニアン博物館が保管している(彼は、1年以上友人の地下室に隠れてナチスから逃れ、終戦後米国へ移住して世界的企業Vishay社を作った発明家/経営者)。


 とにかくこういう個人発明家が特許訴訟した場合、被告企業は世界中の先行技術を探して無効にしようとすると、突然法廷にナプキンを持ち出し、陪審員に「これが私の発明だ!私は世界のどの先行技術よりも前にこのアイディアをナプキンに記載し、その日付も記載している!」と叫ぶと弱小者を味方したがる陪審員は、なるほど彼が正しいのだろうと評決するから企業もたまったものではない(実際の立証はこんなに簡単ではないが)。


 そこでアメリカ以外の世界の国は特許庁に特許出願を出願した日を基にして、誰が先に出願したかで決着させる先願主義を用いている。アメリカは建国以来200年以上先発明主義できたが、上記した個人発明家やパテント・トロールの問題で先発明主義は特許の有効性が不確定過ぎる、立証コストがかかり過ぎる、世界の特許庁とハーモナイゼーションして審査協力しなければならないという事で、とうとう先願主義のAIA(American Invents Act)を2012年9月16日にオバマ大統領がサインしたのである。これは先願主義だけでなく、米国特許法のありとあらゆる問題点を抜本的に改正したので、その施行は改正点によって異なり、@オバマ大統領がサインした日、Aそれから1年後の2013年9月16日、そしてB18ヵ月後の2013年3月16日からという三段階に分けている。そして先願主義が始まるのはBの2013年3月16日からの米国出願であり、あと半年先である。


 ところがこの新米国特許法は純粋な先願主義ではない。


 それは6年前に最初の先願主義の改正案が発表された時、米国大学は「我々は学会で新しいアイディアをすぐ発表してから特許出願するから純粋な先願主義は受け入れられない。先発明主義では発明して発表したら必ず特許が取れたので、先願主義でも同じように発表しても特許が取れるような特許制度にしろ」と要求して先願主義が変形されたのである。


 変形点は、もし発明者が発明を発表して(世界のどこでもよい)1年以内に出願したら、自分の発表は自分の出願の先行技術にならないだけでなく(標準的グレース期間であり、世界の国々はほとんど6ヶ月のグレース期間を設けている)、その後に第3者が同じ発明を発表しても、米国出願をしても、先に発表した者に特許が得られるようにするという先発表主義の改正点が入ったのである(こういう絶対的グレース期間を用いている国は他にない)。


 米国企業は先発表主義を入れると発表合戦になり、他社にすぐにまねされるからと大反対したが、米国では特許制度については学会の方が発言力、政治力がはるかに強いので押し切られたいう背景がある。


 先に発表すれば、特許が取れる事(絶対グレース期間)は、結局米国は先発明主義の亡霊から抜け切れないのである。米国企業は世界で特許を取らなければならず、最初に米国出願日を確保し、1年以内に優先権主張して出願すれば互いに外国出願日を基準にするのでずっと前から先願主義で出願しており、コストがかからないから、米国も一刻も早く先願主義を導入したがっていたが、取りあえず学会の同意を得るために妥協したのである。


 ところが新米国特許法は、普通は自国の特許出願日のみに与えるグレース期間を世界の特許庁の出願日(優先日)に与えて世界初の平等制度にした。


 つまり、グレース期間を米国出願日から起算するだけでなく、外国特許庁の出願日にも同じ効果を与えたのである。しかも標準的グレース期間と絶対的グレース期間の両方ともである。即ち、米国人発明者が発明を発表して1年以内に米国特許庁に出願すれば、自分の発表が先行技術にならなくなる(標準的グレース期間)だけでなく、発表した日以降の他者の先行技術や米国出願を排除する(絶対的グレース期間)という先発表の効果は当然あるが、外国発明家が発表して1年以内に外国特許庁に出願して、それから1年以内(発表から2年以内)に優先権主張して米国特許庁へ出願すれば、その発表に両方のグレース期間の効果があるという特異なもののである。その場合、外国の発表から米国特許庁へ出願するまでには約2年も経っているが、それでも発表の効果はあるのである。逆に言うと、その外国特許庁がどのようなグレース期間を有しているかは米国出願の特許性に関する限り一切関係ないのである!


 外国特許庁がどのようにグレース期間を有しているかはその国の特許法の問題で、今のところどこの外国特許庁も他国の出願日に標準的グレース期間を認めていないどころか、ましてや絶対的グレース期間というものは一切認めていない。つまり、外国特許庁ではその特許出願は1年前の自己の発表によって無効になるかもしれないが(6ヶ月の基本的グレース期間しかないので)、それでも米国特許は問題なく得られるという制度である。


 しかし、この制度は米国発明者にとって最悪の問題が生じることになる。


 それは米国発明者が発明を発表し、1年以内に米国出願すれば特許は取れるものの、それから外国特許庁に優先権主張して出願すると、外国特許制度の全てはその国の特許庁の出願日から6ヶ月のグレース期間しか有していないので、2年近く前の米国発明者自身の発表は先行技術になり、その外国では特許は取れなくなるのである。


 つまり、外国特許庁が今回の新米国特許法と同じように外国出願日(米国出願日)にも1年のグレース期間を認めない限り、米国の発明者は外国では特許が得られなくなる。このため、新米国特許法案は、オバマ大統領がサインする前までは、日本とヨーロッパ特許庁が自国の出願日だけでなく、米国出願日にも同じようなグレース期間を法改正で認めた時に新米国特許法も発効するという保留条項を設けていたが、両院で可決される寸前にその保留条項は削除されたのである。つまり、外国特許庁が先発表主義を導入するかは賭けとなったのだ。


 保留条項が落とされた理由は不明であるが、恐らく日欧特許庁だけでよいのか、中国・韓国特許庁にも認めさせるべきではないのか、更にはカナダやオーストラリア特許庁はどうするかというような問題が生じて限定しきれなくなったのではないかと推察される。あるいは他の特許庁(特に中韓特許庁)が、日欧特許庁だけをターゲットにして扱うのは許せないと抗議したのかもしれない。


 米国にとって不利な点はまだあり、それは米国特許を先行技術として用いる場合、先行技術になる日は外国出願日(優先日)まで遡る事である。今までは米国出願日までしか遡らなかったが、これで外国企業の米国特許は先行技術として大幅に強化されたといえる。米国特許を取得する外国企業は、日本企業が圧倒的に多いので、日本に非常に有利になる。


 米国企業が新技術をどんどん発表し、米国では特許が取れても外国で特許を取られなければ外国企業はコピー製品を作れるから一部の国(特に中国・韓国)にとってはこれほどありがたい制度はない。


 今後、他国の特許庁がこのような特殊なグレース期間を認めるかはまだ全く白紙である。ましてや世界の生産地の中国は自国産業を保護するため、まず認めないだろうと考えられていた。


 ところがこの先発表主義はノーベル賞を考えると悪くはない、という理論が出始めている。
 中国・韓国は、欧米以外では何故日本がノーベル賞をとれるのかは不思議であり、羨望の的でもある(平和・文学賞を除く科学的ノーベル賞を取った国は、アジアでは日本18名、インド4名のみ)。


 そして最近彼らが気が付いた理由の1つは、日本の研究者、特に大学の研究者はすぐ論文を発表し、しかも英語で発表するからだということである(欧米の学者は当たり前だが)。論文の良否の客観的評価の1つは、その論文が他の論文でいかに多く引用されているかという点である。そのためにはアイディアを発表する、それも英語で発表した方が引用され易いのは当然である。


 よって先に発表すると特許が得られる先発表主義は学者にとっては決して悪くはないどころか大歓迎できることであるのだ(そもそもアメリカの学会が主張して導入された制度である)。そこで中韓の学会では標準的グレース期間や先発表主義の絶対的グレース期間を見直して、導入しようと検討している動きがあるというから世の中は面白いものである。


 いずれにせよ、この新米国特許法の先願主義/先発表主義は2013年3月16日の米国出願から適用されるので、審査が始まるのは数年先でそのメリット・デメリットが判明するのはまだ先である。そのころまでに世界の特許庁はこの特殊なグレース期間を導入するかどうか決定することになろう。


 ところで今回の山中教授のノーベル賞受賞について中国では「日本人は嫌いだが、東アジア人が欧米に列強に劣らない事を証明した。日本人に感謝しなければならない」という声が出ているが、同時に「国際的な反中勢力が、中国に対する悪意を膨らませ、ノーベル賞を利用して日本を持ち上げ、中国人の自信を抑え込もうとしている」といった陰謀説も出ているらしい。


 何とも情けないことをいう国で、よくもまあここまで曲がった解釈ができるのか呆れてしまう。ともあれ、とにかく日本を羨望視していることは疑いもない事実である。 (続く)



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