第64回 「新しいアメリカン・ヒーロー バッバ・ワトソン」


 今年のマスターズ・トーナメントは、日本ではほとんど無名に近いバッバ・ワトソンが奇跡的な曲芸ショットで逆転優勝した。もう、アメリカのゴルフファンは大騒ぎである。その理由はいくつかある。まず、彼はアメリカ人であるということ。プレーオフで争ったのは南アフリカ人のルイ・ウェストヘーゼンだったのでアメリカ人は大喜び。


 このウェストヘーゼンも、日本ではほとんど知られていないかもしれないが、2010年全英オープンを制覇した強者である。いつも沈着冷静で、落ち着いたプレー振りを解説者のジム・ナンスは、「まるで禅修行者のようだ」とウェスヘーゼンの最後の「ゼン(zen)」と引っ掛けていた。とにかく、昨年のマスターズはやはり南アフリカのシャール・シュワーツェル(今回は8オーバーの50位)だったから、アメリカ人としては嬉しいのは当然だ。


 次の理由は、何といってもバッバ・ワトソン(本名はGerry Lester Watson, Jr.)は明るい性格である。そもそもバッバ(Bubba、日本ではブバと呼ぶらしい)というニックネームはアメリカでは珍しくなく、簡単にいうと「兄貴」という意味に近い(ビル・クリントン元大統領も小さい頃の愛称はバッバだったという)。


 とにかく大らかに、ゴルフを楽しむ男で、マスターズを含むメジャー大会に勝つというような野心はあまりなく、PGA大会も今までに3回しか勝っていないダークホースであった。背は高く(191cm)、PGAの中でも最も飛ばす豪快なかっこいい男である。


 物事にこだわらず、今までコーチについたこともなく、自己流であらゆるショットを打つ才能溢れる男だ。タイガーとは意外と仲がよく、自己流でなぜあそこまで上手になれるのか調べるため、タイガーは何回も一緒に練習ラウンドをしていた。


 ともあれ、こういうアメリカ人が優勝したのだから全米が喜ぶのは当然だ。しかも、プレーオフの内容がすごかった。


 最初の18ホールは二人ともパー。


 次は10番のミドルホール。まず、バッバ・ワトソンはあまりに力が入り、飛ばしすぎてフックし、林のど真ん中に(これもバッバゴルフの1つ)。


 ジム・ナンスが「オーマイゴッド!」と叫ぶ。「我がブッバが危ない」という気持ちなのだろう。それを見たウェストヘーゼンは安全に真中を狙ったが、これも手元が狂ってラフに入れた。冷静沈着といっても緊張しているのだろう。


 2打目は、ピンまで235ヤードもあるが、真直ぐで障害はないので簡単そうに見えた。とにかく、彼はその前のパー5の265ヤードのセカンドショットをホールインしてダブルイーグル(アルバトロス、マスターズ大会で史上4人目)をしているから、何でもなさそうな距離にみえる(最も、我々素人には200ヤードのセカンドを乗せることなど考えるだけ無駄だが)。しかし、彼はラフに捕まったようで、ショートし、グリーンに乗せることはできなかった。


 次は、バッバ・ワトソンの番である。グリーンまで155ヤード位だが、林のど真ん中の空き地で、木の間を抜いてドフックをかけない限り、グリーンの方向へさえ飛んで行かない状態である。


 とてもグリーンに届くようなショットはあり得ないように見えた(It appeared he would have no shot at reaching the green.)。絶体絶命であったが、幸いウェストへーゼンもショートしているので、バッバ・ワトソンも無理をピンを狙わなくてもよいのではないかと思う。


 ところが、彼はウェッジをフルスイングし(155ヤードをウェッジだって!?)、しかも大フックをかけたボールは林を抜け出すと、右へ大きく曲がり(彼は左利き)、何とグリーンに乗っただけでなく、ボールはピン側3メートルについたのである!


 これだけ曲がって飛ぶボールを正確に捕らえたカメラワークも大したものである。大観衆が割れんばかりの拍手をしていたのは当然だ。


 このときの状態を二人のプレーヤーは、以下のように説明していた。


 「ぼくはああいうことをするのに慣れているんだ(I am used to it.)。何に直面しているか知っていた(I knew what I was facing there.)。ボールのライは良かった(とてもテレビではそうは見えなかったが)。林の間にギャップはあったが、そこからフックさせて40ヤード位いかなければならなかった(I had a gap where I had hook it 40 yards or something.)。でも、ぼくはフックは得意なんだ(I'm pretty good at hooking it.)。」とバッバ・ワトソンは翌日の新聞が「奇跡のショット(a miracle shot)」と呼んでいたのを非常に簡単なショット(pretty easy shot)だったと説明している。


 一方のウェストヘーゼンは、言っていた。「一体、彼が(林の中の)どこにいたのか全くわからなかった(I had no idea where he was.)。私がいたところから見ていて、ボールが飛び出したとき、それはまるでカーブみたいに曲がって飛んでいた(Where I stood from, when the ball came out, it looked like a curve ball.)。信じられないショットだ(Unbelievable shot.)。あのショットで彼がトーナメントに勝ったのは間違いない(That shot he hit definitely won him the tournament.)。」と彼は、あのショットは簡単なショットでなく、ミラクル・ショットであることを認めていた。


 しかし、バッバ・ワトソンという男は、フィル・ミケルソンと似ていて、大変な飛ばし屋だけでなく、そういう曲芸ショットを難なく打てる男なのである。それでも、マスターズに勝てるという噂は全く出ていなかった。それほど下馬評の高かったタイガー・ウッズやフィル・ミケルソンはすごく、ローリー・マキロイやフレッド・カプルス達は才能があるのである。


 しかし、マスターズのような大大会に勝つためには運が必要なのだ。ワトソンのボールは、林の真中でもスタンスが十分あったので、曲芸ショットが打てた。


 一方、前半で崩れたミケルソンの林の中のボールはスタンスを取るどころではなく、右打ちして(彼は左打ち)、2打目はチョロ、3打目でやっとラフに出て、結局トリプルボギーで、この時点で優勝から脱落したのだ。同じ林の中でも運が大きく左右する例だ。


 バッバ・ワトソンが最後のパットをタップインして、ボールをカップから拾い上げた顔は泣き顔寸前になっていた。あいつは泣く奴ではない、と思っていたのに。


 キャディーが抱きつき、ワトソンを放さない。そこにお母さんが入って3人で抱き合った(お父さんは昨年死去していた)。バッバ・ワトソンはもう涙、涙である。


 ワトソンの奥さんは、フロリダの自宅にいた。理由は、ワトソン夫妻は子供ができないため、赤ちゃんの養子を数週間前にもらったばかりで、手が離せなかったのだ。


 ワトソンは言った。「早く家に帰って子供の顔を見たい。ぼくは有名になろうとするためにスポーツはしない(I don't play the sport for fame.)。有名になろうとしてトーナメントに勝とうともしない(I don't try to win tournaments for fame.)。ぼくはそういうことはしないんだ(I don't do any of that.)。ぼくは単にぼくなんだ(It's just me.)。ぼくはバッバなんだ(I'm just Bubba.)。ヘラヘラしたり、冗談言ったりするんだ(I goof around, I joke around.)。ぼくはいつもぼくでいて、ゴルフをしたいんだ(I just want to be me and play golf.)。」


 こういうマイペースで明るい兄貴的性格が、アメリカン・ヒーローになる最大の理由の1つだ。


 これに対し、タイガーは勝つことしか人生の目標がないような伝道師的ゴルフをしようとする。そこには余裕が全くない。しかし、彼にはその理由がある。タイガーは黒人だから証明しなければならないのだ。


 バッバ・ワトソンは白人で実にカッコイイ、ハンサムボーイである(ちょっと中年にはなっているが)。だから、タイガーを非難するのは、アメリカ人がアメリカの醜さを指摘するのと同じである。


 タイガーは、優勝したバッバにすぐにツイートした。「バッバ、おめでとう(Congrats Bubba Watson.)。すごい創造的ショットじゃないか(Fantastic creativity.)。来年のチャンピオン・ディナーの創造性はどんなもんかな?(Now how creative will the champion dinner be next year?)」


 マスターズ・トーナメントでは、大会前にチャンピオン・ディナーという前年のチャンピオンが主催するディナーがあり、そこには歴代のチャンピオンが招待される。来年はバッバ・ワトソンがタイガーやミケルソン達を招待することになるのだ。


 むかし、タイガーが優勝した時、ファジー・ゼラーが「タイガー、来年用のチャンピオンディナーはフライドチキンやコラードグリーン(南部の代表的な黒人料理)でも出すのか?」と冗談を言って、大騒ぎになり、結局、彼は公式に謝罪したことがある。


 タイガーは、今回は散々な調子で、ミスショットごとに悪態をついていたが、彼の性格は決して悪いものではない。アメリカ社会における黒人であるからこそ、強くならなければならない運命にあるのだ。


 ともあれ、タイガーにミケルソン、そして新ヒーローのバッバ・ワトソンとアメリカのプロゴルフはこれからが楽しみになってきた。


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