第62回 「オバマ大統領、新米国特許改革法をサイン―世紀の新米国特許法は先願主義ではない―」


 オバマ大統領は、2011年9月16日に、これまで6年間討議されてきた米国特許改革法をサインし、新しい米国特許法が成立した。


 サインした場所は、Thomas Jefferson (トーマス・ジェファーソン) High School for Science and Technologyという全米No. 1の公立高校で、特に科学技術の教育の点で有名である。しかも、ジェファーソンは第3代米国大統領だが、初代の米国特許庁委員会のメンバーであり、初代審査官でもあり、且つ発明家としても有名である。


 現在の特許法は1952年法であるが、この60年ぶりの大改革の記念のサイン場所として、Jefferson High Schoolを選んだオバマ大統領のセンスもシャレたものである。今回の改革がなぜ画期的であるかは、米国が230年続いた先発明主義を放棄して、とりあえず先願主義を導入したことである。


 先発明主義は、先に発明した者に特許が与えられるので理想的ではあるが、発明に至るまでの研究資料を分析してどの日に発明を完成したかを立証しなければならないので、コストと時間がかかりすぎる。それどころか、企業資料がない個人発明家は、手帳やナプキンに記録を残すことも稀ではないので、信憑性にも問題が生じるが、陪審員はどうしても個人発明家を味方する。この特許の多くがトロール問題に発展し、マイクロソフトを中心とする情報産業を悩ましてきた。


 この煩雑さを取り除くため、米国を除く世界の国は特許庁に最初に出願された明細書に依存する出願日を発明日とする先願主義を用いているので、発明日の立証には時間もコストもかからない。


 米国が先願主義に移行すると世界の全ての国が先願主義となり、世界統一特許制度を作ることが可能になり、現在のように国ごとに特許出願する必要がなくなり、コストは激減されることになるので、世界の特許業界はこの日を待っていたともいえる。よって、今回のニュースは米国のみでなく、世界にとって画期的ともいえる。


 ところがところがである。この新しい米国特許改革法は、実は純粋な先願主義ではない。


 2004年に米国アカデミーズが、米国も先願主義を導入した方がよいとするレポートを発表してから、米国議会は先願主義を柱とする最初の米国特許改革法を2005年に打ち出してきた。


 ところが、米国特許制度に最も大きな発言力を有する者は、企業(情報・バイオ・医薬等)でも、軍でもNASAでも銀行・証券会社でもエンターテイメント産業でもない。それは州立、市立、私立からなる米国大学、学界である(米国には憲法上、国立大学というものがない)。米国学界は、世界のトップの研究者が集まり、明日の技術を開発し、次世代の産業の基礎を作る場所でもある。


 経済不況の昨今は、大学を運営するための寄付金は集まりにくい。そうした状況の中で基本技術を基にした特許ライセンス収入は至高ともいえるほどに重要である。米国大学の特許件数、特許ライセンス収入は世界の大学を圧倒的にリードしている(上位10大学の特許件数(8年間の累計):米国9292件(1998〜2005)/日本1025件(2001〜2008)、大学特許ライセンス収入(2007年):米国約1800億円/日本約8億円(文部科学省データ及びUSPTOデータ))。


 大学の研究者や学者は研究成果がでると(つまり、新しい発明を行うと)、直ちに発表するものである。そこで、米国学界は、発明を発表して1年以内に出願すれば、その間に他の第三者が同じ発明を独自に発表したり、特許出願しても先発表者に特許が与えられる制度にせよと要求した。これは出願前に先行技術が発表され、先願の出願があっても先発表者(先発明者でもある)に特許を与えよ、という先願主義の例外の規定である。しかし米国大学が主張すると、米国産業界もそれに同意せざるを得なかったのである。


 つまり、今回の米国特許改革法は発表しなければ、世界で共通の純粋な先願主義であるが、先に発表して1年以内に出願すると、必ず特許が与えられるという先発明主義(先発表主義)が混在しているハイブリッド特許法なのである。


 米国の企業や産業界は、先に発表すればライバル企業に模倣され、周辺技術を開発されるので発表することはまずなく、これを行うのは学界のみといわれている。しかし、ライバル企業が万が一発表しだしたら、発表の競争は止められなくなるだろう。


 次に、発表してから1年以内に出願すると特許が与えられるということは、自分の発表は先行技術にならないというグレース期間を意味することになる。この1年間のグレース期間は、現在の米国特許法にもあるので、目新しいことはないが、現行米国特許法は米国出願日から遡って1年である。


 ところが、今回の改革法では米国出願日のみではなく、最先の出願日(外国出願日でも良い)という有効出願日から遡って1年である。つまり、日本出願して1年以内に優先権主張して米国出願すると、その米国出願には日本出願日から1年遡ってグレース期間が与えられることになる。


 これは外国出願してから米国出願する外国出願人にとっては大変な朗報となる。しかし、世界の国々の特許制度では外国出願日までのグレース期間は与えていない。日本もヨーロッパも各々の国の出願日から6ヶ月遡った期間のみである。


 ということは、米国企業は発表してから1年以内に米国出願し、それから優先権主張して1年以内に外国出願すると、外国特許ではその国の出願日から6ヶ月のグレース期間しか与えていないので、米国企業の外国出願は自身の発表(外国出願日から2年近く前)によって拒絶になるわけである。即ち、今回の米国特許改革法は、米国企業にとっては著しく不利な特許法である。


 このため米国は、現在躍起となって外国特許庁がこの有効出願日(外国を含む最先の出願日)に基づくグレース期間を各国の特許法で認めよとプレッシャーをかけている。


 日本特許庁は、このためもあり、この6月にとりあえず自分の発表は先行技術にならないとの改正法を成立させた。次に6ヶ月を1年に延ばさなければならないが、日本出願日からではなく、外国出願日から1年遡ることを認めなければならないので、日本の産業界や国会がおいそれと認めるかは分からない。


 韓国は、米国方式のグレース期間を認めて改正することに同意している。しかし、問題なのは中国とヨーローッパである。


 中国は技術レベルについては、まだ中進国を自認しているから、これほど大それたグレース期間は軽々に認めないだろう。すると、米国企業は中国では自分の発表で自爆となって特許が取れなくなり、中国に模倣され放題になるかもしれない。


 ヨーロッパのグレース期間は非常に制限されており、今でも万国博覧会での発表から6ヶ月以内にヨーロッパ出願しなければならないので、米国式グレース期間を認めることは大変に遠い道といえる。


 もし、世界の主要国が米国式の特殊なグレース期間を認めないとすると、米国は外国で特許が取れないという自爆の可能性がでてくる。この特許改革法の絶対グレース期間付ハイブリッド特許法の部分が施行されるのは、1年半後の2013年3月16日の後であるが、この特異な米国特許制度が米国や世界でどのように発展していくかは、正に見ものである。


 いずれにせよ、米国は先願主義へ一歩踏み込んだとはいえ、世界の特許制度のハーモナイゼーションはまだまだ遠い道のりである。



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