第61回 「なでしこジャパンの勝利は世界が望んだ勝利」


 なんと日本のなでしこジャパンがワールドカップで優勝してしまった!アメリカではこれは「ミラクル・オン・アイス(Miracle on Ice:氷上の奇跡)」に等しいという。


 「氷上の奇跡」を知らない人にちょっと説明しておこう。1980年にアメリカニューヨーク州のレークプラシッドで行われた冬季オリンピックで、アメリカのアイスホッケーチームは当時の王者であったソビエト連邦を破って金メダルを獲得した。アメリカの喜びは狂喜乱舞そのものであった。


 とにかく、ソ連はそれまでのオリンピックで4連覇しており、オリンピック前哨戦も42勝0敗、圧倒的な強さだった(そのオリンピックで日本にも16-0という大差で勝利している)。ところが、負け犬(underdog)のアメリカは銀メダル候補だったチェコを7-3で破ってから勢いづいた。


 それでもニューヨークタイムスのスポーツライターのデーブ・アンダーソンは試合前、「氷が解けるか奇跡でもない限り、ソ連が優勝するだろう」と書いていた。ところが、アメリカはソ連に対しては4-3で逆転優勝し、アメリカ中が大騒ぎとなった。


 中継したABCのアル・マイケルズの絶叫は今でも語り草になっている。「後11秒! 10秒! カウントダウンが始まった。モローからシルクへパス。後5秒だ! 奇跡を信じられるか! (勝った瞬間)信じられるぞ! (Eleven seconds, you've got ten seconds, the countdown going on right now! Morrow, up to Silk. Five seconds left in the game. Do you believe in miracles?...Yes!)」
 これ以来、弱者が奇跡の逆転勝ちをするといつも「ミラクル・オン・アイス」というようになっている。


 しかし、なでしこジャパンの勝ち方も何と似ていることか。日本はそれまでベスト8があるだけでそれ以上の成績はない。ところが、今回のなでしこジャパンは福島のために戦う、日本の復興のために戦うという精神的支柱があった。人間、こういうときには本当に強くなるのだろう。


 きっかけは対ドイツ戦。とにかくドイツは1999年アメリカ大会準々決勝でアメリカに敗れて以来、この12年間ワールドカップで負けたことがない。アメリカと並ぶ優勝候補だった。しかもドイツは開催地である。ところが、日本はそのドイツに1-0で勝ってしまった。ここでドイツのみならず世界があっと驚いた。


 一方、アメリカは、女子ワールドカップで1999年以来久しく優勝しておらず、今大会もアメリカでの人気はパッとしなかった。ところが、準々決勝で強敵ブラジルを破ってからアメリカのジャーナリズムに火がついた。アメリカは優勝できるかもしれない!このときからアメリカの報道は過熱し始めた。


 今回の女子ワールドカップで非常に大事な点はここにある。アメリカのジャーナリズムは、世界のジャーナリズムでもあり、ここで報道されると世界の注目を浴びる。やがて日本はスウェーデンを3-1という大差で破った!ミラクルはドイツ戦から次々と大きくなっていった。アメリカのホッケーチームがチェコを破ったときと同じ勢いだ。


 そして、いよいよアメリカとの決勝。アメリカは世界ランク1位だけでなく、対日本は21勝0敗3分、とにかく日本には負けたことがない。日本は間違いなく負け犬だ。どこまで健闘できるかが世界の見方だった。


 私はちょうどそのとき、家族と家内の母親とナイアガラ旅行の帰りでJFK空港での乗り継ぎだった。ワシントンDC行きのフライトまで40分近くあったので、娘のユリエとスポーツバーのカウンターで中継を見始めていた(娘はテレビはちょこちょこで、ほとんどDS)。 。


 試合は予測どおりアメリカが圧倒していた。とにかく大人と子供の体格の差である。アメリカはボールを取ると日本陣営にいとも簡単に突っ込みシュートを何本も打った。特にアメリカの最初のシュートは凄まじく、わずかに上方のバーに当たって外へはねていったが、これは日本にとって運が良かったとしか言いようがなく、もし入っていたらアメリカは勢いに乗り雪崩のように点を入れていただろう。


 結局、両サイドとも点が入らず、DC行きのジェットブルーに乗った。幸い機内のテレビで中継されていたので見続けることができた。そして、後半24分、とうとうアメリカが先制点を決めた。ほとんどの乗客はアメリカ人で、ワーッと万歳をして叫んだ。一瞬飛行機が傾くかとギョッとしたが、さすがに立ち上がらなかった(というよりシートベルトで立ち上がれなかったのだろう)。


 「パイロットだけは万歳するな!」と祈っていた(パイロット席にはテレビ画面がないだろうが、ラジオで聞いているかもしれない…)。それほど、アメリカでも今回の女子ワールドカップは盛り上がっていたのだ。


 そして、日本が後半35分に同点ゴールを入れた。私は1人でワーッと叫んで両手を挙げると、家内が「よしなさい! 機内はアメリカ人ばかりなのだから。」と忠告した。機内には他にも日本人が数人いたが彼らはおとなしかった。きっと本物の日本人なのだろう。


 延長戦は正に夢のショータイムともいえた。日本のキャプテンは澤選手、アメリカのキャプテンはワンバック選手でともにアメリカのプロリーグで一緒に戦ったチームメイトである。


 そのワンバックが延長前半14分にヘディングシュートを決め2-1となった(この瞬間は機内のテレビが消えていて再開されたときに娘のユリエの画面のほうが最初に気がついて「パパ、2-1になっているよ」と言ってわかった。娘はその後アニメチャンネルに変えていたが)。
 そして、延長後半12分に澤選手が芸術的右足でのシュートを決めて同点とした。
 何という2人の運命だろうか。
 その同点ゴールが決まると、私は両手を挙げず、ワーッとも叫ばず、手を握り締めて「よしっ!」っと静かに呟いた。


 そうして最後にPK戦となった。それが、なぜ「ペナルティー」キック戦と呼ぶのか、サッカーとは不思議なゲームであると思っていたが、後で調べると、ペナルティーマークからキックを打つためらしい。


 PK戦は最初の1発が勝負といえ、ここで決めると勢いに乗る。
 アメリカの最初のキックに対し、ゴールキーパーの海堀選手は右側コーナーへのシュートとみて右へ横っ飛びに飛んだ。
 ところが、キッカーは最後の瞬間、右狙いから左へ変えた。ボールは体が完全に水平になった海堀選手の右足のやや上へ飛んでいった。
 「これは入る!」と思った瞬間、海堀選手の右足がすっと上に挙がり、ボールは挙げた足に当たって跳ね返りノーゴールとなった。信じられない反射神経にみえた。
 その直後日本は、最初のゴールを決めるとアメリカは3本連続で外したりし、結局、日本が3対1で勝ったのである。


 私はサッカーをやったことがなく、ルールも知らないが、PK戦で勝ったのは、あの右足だと思っている。その後、あの右足は意識的に挙げたのか、無意識に動いたのかのコメントを読んだことがないが、もし意識的に動かしたとしたらあの精神力、集中力こそがなでしこジャパンに勝利をもたらしたといえる。


 ゴールキーパーのホープ・ソロ選手は試合前に「日本はゲームより、もっと大きく、より良いものに対して試合している。それだけ感情と心をこめた相手と試合するのは大変だ(They're playing for something bigger and better than the game. When you're playing with so much emotion and so much heart, that's hard to play against.)」と言っていた。


 それに対して、日本は押されっぱなしの試合展開にもかかわらず、永里選手は「今日の決勝は戦っている間、一度も負ける気がしなかった。」とさえ言っている。この差からみると、あの試合は戦う前からアメリカは精神的に負けていたとも言えるようだ。


 「勝って当たり前、勝たなければ何を言われるかわからない」というアメリカの立場と、「私たちはサッカーだけをやっているだけではない。日本の復興のために役に立たなければ、日本には帰れない。」という気概でプレーすれば、迫力が違ってくるだろう。しかし、負けたアメリカのジャーナリズムは実に爽やかだった。


 アメリカでは普通優勝しなければ人として扱われないが、ウォールストリートジャーナルは、「1年の精神を濃縮した1日−アメリカ女子チームは日本に負けたが、女子ワールドカップの最終戦のスリルは誰も否定できない−(A Year's Worth of Nerves in a Day−The U.S. Women's Team Falls to Japan, but No One Can Deny the Thrill of the World Cup Final−)」という見出しで、「大リーグのオールスターなんて糞くらえ、ストばかりするフットボールやバスケなんかどうでもいい、この女子ワールドカップほど素晴らしい試合はなかった。試合は終わったが我々の記憶には永遠に残る。」と日米両チームを褒めちぎった。


 そしてアメリカ人も他の外国人も、「アメリカが勝つと思った。でももし他の国のチームが勝つなら、日本に勝って欲しかった」と言っていた。つまり、なでしこジャパンの勝利は世界が望んだ勝利でもあるのだ。


 その上、素晴らしいのはフェアプレー賞(6試合で警告5、退場1)も取ったことである。勝つためにはがむしゃらに何でもするというのではなく、フェアプレーで堂々と勝ち取ったことに更なる意義があるのである。


 それに引き換え、管首相は、なでしこの優勝にあやかって「私もやるべきことがある限りは諦めないで頑張らなければならないと感じた」と述べたそうだが、ちょっとピントがずれていないだろうか。


 なでしこは世界があっと驚く業績を上げ、国民栄誉賞も獲得したのである。早期退陣という国民不名誉賞が問われている管首相は、どんな業績を上げたので首相の座にしがみ付きたいというのだろうか。



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