第60回 「特許損害賠償の評決を抜本的是正する歴史的ユニロック判決-米国特許法改革案の可決をもたらす-」


 米国特許訴訟における陪審員の損害賠償評決を抜本的に是正する画期的なユニロック判決が、本年1月に下された。このユニロック判決が何故画期的かを説明する前に、陪審員訴訟の実態を説明する。


1.陪審員が評決するのは2.7%

米国における特許訴訟の数は表1ないしグラフ1に示されるように2009年で2,295件である。これは日本における特許訴訟の数の10倍以上といわれており、米国がいかに訴訟大国であるかがわかる。米国訴訟は大体2〜3年位かかるが、その大部分の期間はディスカバリーといって、弁護士を中心にして互いに証拠収集を行う。この間は陪審員は関係ないどころか判事さえもたまに訴訟の様子を見たり、問題点を裁決したりするだけでほとんど関与しない。裁判所で行ういわゆる公判は2〜3年後の最後の2、3週間のみである。しかし、ディスカバリーが進み、証拠が集まってきて原告も被告も勝敗が微妙になってくるとコストがかかることから和解することが多い。ディスカバリーの途中で和解になる数は、2,032件(89%)もある。即ち、訴訟のほとんどは和解で終わっているのだ。和解に至らない263件(11%)が裁判所による判決が必要な本格的訴訟に進むことになる。


 それでも、その間一方の当事者の証拠が圧倒的に有利であれば最後の公判を行わず判事がサマリージャッジメントという略式判決で決着させることも出来る。この数は182件(7.9%)であり、陪審員公判前に決着する。ここまでの終了件数は2,214件であり、これは総訴訟件数の2,295件中の96.5%にさえなる。


 つまり、2,295件の内、判事と陪審員が法廷にいる公判に至るのは81件の3.5%にしか過ぎない。そしてこの81件の内、判事のみによる判決の数は18件(0.8%)もあり、陪審員が評決しなければならない公判(いずれの当事者が陪審員公判を要求すれば陪審員裁判となる)は63件で全体の2.7%にしか過ぎないのである。


 逆にいうとここまでもつれる事件は原告(特許権者)か被告(侵害者)のいずれが勝訴してもおかしくない事件、つまり特許有効性や侵害は、どちらともいえる事件でそれほど微妙な場合である。であるからこそ、陪審員の特許有効性そして侵害の評決には大きな問題はないといわれているのである。しかし、問題は損害賠償の額で、これだけは常に大きな問題になっている。


 2.損害賠償額の不明確性

 それは、ほとんどの事件において原告の要求額と被告が認める額には常に大きな差があり、陪審員は被告が大企業だと大きな額を認めたがるからである。


 また、特許の価値の判断も難しい問題である。


 たとえば、自動車そのものに関わる基本的大特許であれば、自動車の価格に基づいて平均的ロイヤルティー率(普通5〜10%)で計算すればよいから、比較的問題は少ない。しかし、特許がラジアルタイヤやハイブリッドエンジンのような部品特許である場合、損害賠償をタイヤやエンジンの値段(部品の値段)で計算すべきか、あるいは車全体の価格(製品の値段、エンタイア・マーケット価値という)で計算すべきか、あるいはその中間の価格で計算すべきかということが常に問題になる。


 ラジアルタイヤ特許がいくら素晴らしくても、消費者はそのために自動車を購入することはまずないし、そもそもタイヤはそれ自体で販売される。


 すると損害賠償は車の値段でなく、タイヤの値段にリーゾナブルなロイヤルティー率を掛けて計算すべきということになる。


 しかし、ハイブリッドエンジン特許の場合は、消費者がガソリン消費の少なさという点に魅力を感じて、車という製品を購入していることはあり得る。その場合、たとえエンジンという部品特許でも、「車の価格(製品価格、エンタイア・マーケット価値)で計算すべき」と原告の特許権者は主張するだろう。


 それに対して、被告は、たとえハイブリッド特許が素晴らしいとしても、やはり車のスタイルや形の好みの影響があるはずで、「エンジンあるいは、それと車の中間位の価格で計算すべき」と反論するだろう。


 今日の特許のほとんどは、こうした部品的特許が多いので、本来は超多額の損害賠償になるべきではないのであろうが、この点は陪審員は特許弁護士の弁論や専門家証人の証言によって左右され易いので問題になるのである。


 3.マイクロソフトはターゲット

マイクロソフトのWindowsやMS Officeは、この問題の恰好のターゲットになってきた。表2は2005年〜2011年の損害賠償評決額のベスト10(ワースト10?)である。


 これを見て明らかなように全産業での評決は160億円から1338億円までになっている。日本の損害賠償の1億〜4億円に比べるといかに米国が特許訴訟大国であるかが分かる。


 次の特徴点は損害賠償が高い分野はバイオ(含薬品)と情報(含コンピューター)のみに偏っている点である。この内バイオは技術開発に天文学的な費用がかかるので特許の価値が高く、損害賠償が高いのは当然である。情報(含むコンピュータ)は特許の価値というより、パソコンやそのソフトウェアのように販売数が多く、総販売高も高いので、それに引きずられて高くなっている。


 そして、情報分野で驚くことはマイクロソフトがベスト10の4つも入っていることである。これは上述したように同社のWindowsやOfficeなどのソフトがターゲットになっているからである。ここで問題になることはマイクロソフトが侵害した特許はWindows製品のほんの一部の技術に過ぎないことが多いことである。


 4.ユニロック対マイクロソフト

310億円の損害賠償評決が下されたユニロックの特許はWindows(製品)そのものをカバーする特許ではなく、Windows製品の不正使用を防ぐための単なる認証システムに関わる特許(部品特許)であった。


 Windows製品を購入したユーザーは、パソコンに入れるとそれだけで直ちにWindows製品が起動するわけではない。マイクロソフトはWindows製品が不正使用されないように認証システムでロックしており、ユーザーが認証番号をマイクロソフトに報告するとマイクロソフトはユーザーのWindows製品を認証し、ロックを解除して使用できるようにしている。


 ユーザーはWindows製品の認証システムなぞは全く無関心で、あくまでWindows製品全体の機能の良さで購入している。つまり、Windows製品の認証システムは、Windows製品が売れている要因ではない。


 ユニロックの認証システム特許の場合、損害賠償の計算の仕方は、その認証システムを開発するまでの価値(部品価格)程度であることが普通で、Windows製品の販売高や販売数が(エンタイア・マーケット価値)には直接関係ないものである。


 ユニロックに訴訟されたマイクロソフトのNapper専門家証人は認証システムの価値はせいぜい6億円であると主張した。しかし、ユニロックのGemini専門家証人はWindows製品ごとの認証システムの単価に基づくべきであると主張し、それによると1つは最低でも10ドルで(約800円)、それに長年用いられている25%ルール(リーゾナブルなロイヤルティーは特許侵害品の価値の25%という理論)を適用すると1つに付き2.5ドルとなり、Windows製品の販売数2億3000万個(エンタイア・マーケット価値)をかけると約470億円の損害賠償の額になると主張したのである。


 そして470億円がリーゾナブルな価値か否かをチェックするためにWindows製品の総販売額1兆6000億円(エンタイアマーケット価値)に比べると2.9%のロイヤルティーにしかならず、普通ソフトウェアのロイヤルティーは10%前後なので470億円はまともな額であると主張した(このチェックの仕方は明らかにWindows製品の総販売数や総販売額、つまりエンタイア・マーケット価値を参考にした計算の仕方である)。


 5.ユニロック訴訟弁護士の反対尋問

 そのうえ、マイクロソフトのNapper専門家証人が主張する約6億円がいかに少ない額であるかを示すために陪審員の前で以下のような反対尋問を行った。
Q: 特許侵害したマイクロソフトの製品の総販売額は、約200億ドル(約1兆6600億円)であることをご存知ですか?
A: それがユニロックの専門家証人のGemini博士の計算した額であり、エンタイア・マーケット価値です。
Q: あなたの計算による一括金の支払いでは、700万ドル(約6億円)ですね?
A: はい。
Q: そうすると、ロイヤルティーは0.000035%ということになってしまいますね?
A: まあ、もし、誤ってエンタイア・マーケット価値を考慮するとそうなります。
Q: Uniloc社が特許を有していたのは、マイクロソフトは知っていましたね?
A: はい。
Q: マイクロソフトは、WindowsやOfficeを市場に出して侵害しましたね?
A: 侵害があったことを前提とした計算です。
Q: 仮にあなたの一括金の理論が正しいとしても、マイクロソフトは特許侵害を行い、200億ドル(約1兆6600億円)の販売額を得ましたね?
A: エンタイア・マーケット価値からいえばそうです。
Q: マイクロソフトは特許を侵害して販売額の99.999965%も得て、特許権者のユニロックは0.000035%しか得られないということになりますね?
A: う〜ん、エンタイア・マーケット価値から見ればそうです。
Q: あなたはそれでもリーズナブルだと思いますか?
A: それは…そう思います。


 この質疑は、マイクロソフトが主張する6億円が総販売に比べるといかに少ない価であるかを陪審員に印象付けるための、訴訟弁護士の典型的な誘導尋問である。


 6.陪審員評決はユニロック寄り

 こうして損害賠償はマイクロソフトが主張する6億円かユニロックが主張する470億円か、またその間の何らかの額ということになった。判事は、陪審員が評決の討議に入る前に、「損害賠償の額を決定する時にWindows製品の販売総数の2億3000万個や販売総額の1兆6000億円を参考にしてはならない、その点はマイクロソフトもユニロックも同意している」と指示した。


 しかし、陪審員は損害賠償を何と310億円と評決したのである! この評決額は6億円より圧倒的に高く、470億円に非常に近い額なので、総販売数や総販売額に影響された値であることは明らかであった。


 普通、陪審員の評決額310億円を支持する実質的証拠(例えばユニロックのGemini専門家証人が計算した470億円という証拠を減額した値)があると判事は抱束され、評決を棄却したり、更に減額することは出来ない。


 しかし、ここ何年か陪審員の損害賠償は裁判でも、特許法改革でも大きな問題となっていたのでマイクロソフトは公判をやり直すことを要求し、地裁判事もそれに同意した。


 ユニロックは評決を支持する証拠はあるので、310億円は正しいとCAFC(高裁)に控訴した。


 7.CAFCの大逆転判決

 するとCAFCは驚くべきことに、これまでの裁判所が全て認めてきた25%ルールをまず破棄した上に、総販売数やその額というエンタイア・マーケット価値に影響された可能性が高いことから310億円の評決も棄却し、新しい陪審員で損害賠償の公判を一からやり直すように命じた。


 この新しい公判ではWindows製品の総販売数や総販売高を証拠として用いたり、反対尋問で言及することは、一切許されないことになる。そうすれば陪審員は6億円前後の評決しか出せないことになるので、リーゾナブルな額になるだろう。


 このCAFC判決は全米で大波紋を呼び、マイクロソフトや情報産業は「これで情報産業における損害賠償がまともになる」と両手を挙げて喜んだ。


 陪審員裁判は証拠範囲さえ制限していればその範囲内で評決を下すことになるので評決もまともになることは間違いないといわれている。


 8.米国特許法改革もパス

 このユニロック判決の影響は多大に出ている。


 米国議会は、米国特許法を世界の他国に同調すべく先願主義へ移行する改革案を2005年から提案してきたが、マイクロソフトを中心とする情報産業が、損害賠償の284条の改正の方が最重要と主張してきたため、それに反対するバイオ・薬品業界との対立のため、この6年間、日の目を見なかった。


 しかし、このユニロック判決のため、「もはや284条の改正は必要ない」と2月初めに米国特許法改革案から完全に削除され、先願主義/異議申立てが中心となった。


 そのため、上院案は3月8日に95対5という圧倒的多数で可決され、下院案も6月23日に304対117という大差で可決され、米国のみならず世界の特許業界を唖然とさせた(米国特許法改革については次回報告の予定)。


 ユニロック判決がいかに大きな良い影響を米国特許業界のもたらしているかを示している。


 同時に、米国では訴訟自体のみならず法律改正でさえも適切な判例が必要な訴訟大国であるとつくづく考えさせられる。






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