第55回 「はやぶさの感動」



 「はやぶさ」は、往復路約60億km(地球/太陽の距離の約40倍)、約7年という宇宙飛行を終え、惑星イトカワから微粒子を持ち帰るという人類初の偉業を成し遂げた。これがどれだけ素晴らしいことか、どれほどの苦労があったかは、最近出版されたいくつかのはやぶさ関係の本を読まないと理解できないが、ここにそのほんの一部を紹介したい。


1.「はやぶさ」の名前
 宇宙開発研究所(現宇宙航空研究開発機構:JAXA)は、なぜ「はやぶさ」という名前をつけたか。


 「はやぶさ」の最大のミッションは、イトカワにほとんど着地せず、さっと地表の試料を持って帰るサンプルリターン計画だった。そこで、飛びながら地表の獲物をさっと確実に捕まえて巣に持って帰るハヤブサに夢を託したのだった。それ以外にも、固体燃料ロケットの開発の父である故糸川英夫博士が戦時中に名戦闘機「隼」を開発していたこと、開発者達が東京−鹿児島(内之浦ロケット基地)間の寝台列車「特急はやぶさ」を時々利用していたこともその理由だったという。ここに「はやぶさ」を作った研究者達のロマンと決心と英知が染み込んだ名前となった。


2. 「サンプルリターン計画」の素晴らしさ
 イトカワの微粒子が重要なのは、長さ約500mという小さい惑星で内部エネルギーがなく、従ってイトカワ創世記、つまり宇宙創世記の微粒子がそのまま残っていると考えられることである。


 小惑星の隕石自体は、日本は南極の昭和基地から世界で最も多く採取しているが、大気圏突入時に熱で変質しているので宇宙のイトカワの微粒子を分析し、比較する必要がある。そうすると宇宙創生の解明ができる可能性があるという。ここに小惑星を狙った「はやぶさ」のサンプルリターン計画の素晴らしさがある。


3. ロケットの固体燃料
 「はやぶさ」を打ち上げたロケットは、固体燃料ロケットは日本独自の世界一の技術である。宇宙ロケットのほとんどは液体燃料だが、それはコントロールをし易いからだ。固体燃料だと一旦点火すると止めることはできず、コントロールをし難いが、反面コストは安いというメリットがある。


 故糸川英夫博士は、『逆転の発想』というベストセラーを出版した博士で、技術開発する以上は世界一、世界唯一にならなければならない、諸外国が液体燃料なら日本は固体燃料で行くという、世界の常識を破って成功した。こういう孤高の信念が世界一の技術を生み出したのだ。


4. イオンエンジン
 ロケットに積まれた探査機「はやぶさ」の推進エンジン自体は、コントロールできるイオンエンジンを使っている。しかもその量は、7年間、60億kmの全てを走破できるイオン燃料(キセノン)約66kgを全て積み込んだ衛星である。わずか2m弱四方の衛星に7年分の燃料を積み込める技術も凄いが、逆にいうとこのイオンエンジンというのは、たったそれだけの量で気の遠くなる距離を飛べる効率のよいエンジンなのである。キセノンは、本来は40kgで十分なはずであったが、発射直前にタンクに詰めていたところ、重量に余力があったので予定の1.5倍詰め込むことになり、そのために後述するように今回の奇跡の帰還が可能になったのである。何が幸いするか全く分からない例の一つである。


 イオンエンジンのキセノンガスは電球の中にも使われるガスだが、これを+と−のイオンにすると、+イオンが−イオンの電極に向かって走り出す。放っておけば電極にぶつかるが、それを電極にぶつからないようにして外へ飛び出させて出力を得るのである。このエンジンの推力は、たった1円玉1個を動かせる力でしかない。しかし、無重力の宇宙で、何ヶ月、何年も加速を続けると秒速30km(時速約10万km:地球の公転速度とほぼ同じで、ジャンボジェットの約100倍のスピード)という超高速度が得られるのである。


 このイオンエンジンそのものは、NASAが先に用いているが、電極にぶつかる恐れがあるので、短期的な姿勢制御にしか用いていない。それをJAXAは、電極に無数の穴を開けることでイオンが電極にぶつかることを防いで長期用エンジンにした。しかし、それが何ヶ月も何年も使って、本当に電極にぶつからないかは「はやぶさ」を宇宙に飛ばさないことには分からない。「はやぶさ」は、イトカワに行くだけではなく、こういう実験を数々行ってきたのだ。


 これで、イオンエンジンが宇宙ロケットに超長期間飛行に用いることができることを実証した価値は計り知れないものがある。 しかし、イオンエンジンは高圧力は出ない。地球の軌道から飛び出したりするときは地球の自転に伴う遠心力を用いる「スイングバイ」という現象を用いたが、それでも色々な状況で高圧力が必要である。そこで、「はやぶさ」は、そのために化学燃料エンジン(ヒドラジン)を積載し、ここぞというときのみに用いられている。化学燃料エンジンは、「はやぶさ」がイトカワを離れてから漏れがあり、その後は使えなくなり、JAXAは様々な工夫を凝らして何とか帰還した。


 いずれにせよ、この2つのエンジンの組み合わせて長距離用にしたのは世界初であり、見事としかいえない。


5. 小惑星イトカワ
 小惑星は、分かりやすく言うと、あのサンテグジュペリの「星の王子さま」がちょこんと乗っている小さな惑星である。しかし、小惑星イトカワは、最初からそう命名されていたわけではない。


 発見者はアメリカのMITの地球接近小惑星研究プロジェクト(LINEAR)で、仮符号は1998 SF36で、正式名は発見者のLINEARが付けられることになっていた。そこで宇宙科学研究所が、2003年5月5月9日に「はやぶさ」の打ち上げに成功したので、LINEARにイトカワという名を要請したところ、LINEARは故糸川博士の名声、プロジェクトの素晴らしさから、2003年8月6日に許可をしたのである。このアメリカのLINEARの懐の深さに感謝すべきだろう。


 そして、イトカワは、地球の公転速度とほぼ同じ時速10万kmで太陽の周りを回っている。「はやぶさ」が時速10万kmに達しなければならない理由はここにあった。併走すれば互いに静止したのと同じだからランディングができるのである。しかし、地球から3億km(地球と太陽の距離の約2倍)も離れていると、電波が届くだけでも17分かかり、その制御技術は感嘆するしかない。


6. イトカワへのランディング
 前述したように「はやぶさ」自身は、イトカワにランディングせず、着地したのは試料採取筒であるが、そのときも実に絶妙な技術が使われた。イトカワは、あまりに小さいので重力は地球の10万分の1(!)しかない。これは、「はやぶさ」を引き付ける力が、非常に小さいことを意味するので、イトカワに近づくことも、ランディングも非常に困難なのである。


 そこで、「はやぶさ」は2005年11月20日にイトカワの表面に近づくにつれ、その距離を自動的に測定してフィードバックして自分で刻々と速度制御しなければならない。しかし、イトカワの表面は、暗く測定があまりに難しい。


 そのため、JAXAは、目標となるターゲットマーカーをまずイトカワ表面に落とし、それに電波を当てて測定したのだ。そのターゲットマーカーには「はやぶさ」プロジェクトに賛同した88万人の名前が刻んであり、その中には映画監督スピルバーグ、俳優ポールニューマン、そして長嶋茂雄等がいる。しかし、イトカワの重力はあまりに小さいので、ターゲットマーカーがもしバウンドすると、その勢いでイトカワから離れ、宇宙へ飛び出してしまう。そこで、JAXAは、ターゲットマーカーの内部をお手玉構造にして、地表でぐしゃっと平らになり、弾まないようにしたのである! この発想も素晴らしい。


7. 奇跡の修理
 「はやぶさ」が満身創痍で帰還したという理由は、真空というか超過酷な環境(太陽が当る部分は100℃、当らない部分は−100℃)の中で長期期間飛行のため、精密機械の探査機のあらゆる部品が故障し、その上、4年の飛行計画が7年にも延び、益々部品が痛んだことにある。それをJAXAは大変な努力と知恵で一つ一つ克服してきた。


 「はやぶさ」がイトカワから離陸した直後に化学燃料エンジンの燃料が漏れ、使えなくなったどころか、姿勢を保つためのリアクションホイール(RW:アメリカ製の一種のジャイロ)が故障したため「はやぶさ」の回転が止まり始めた。宇宙空間では重力がないため「はやぶさ」安定させるためには自身を回転させ、コマの原理で安定を保っている。JAXAはRWを何とか修理しようとしたが、アメリカ会社との契約で内部構造をリバースエンジニアリングすることは禁止されていたため、手の施しようがなかった。


 イオンエンジンでは、1円玉1個の推力だから回転させるためには、推進力が小さすぎた。そこでJAXAは、イオンエンジンからキセノンガスを直接生噴射させることを試みたのである。幸いキセノンガスは予定の1.5倍積載していたので燃料はまだ十分あった。JAXAは新しいプログラムを猛烈なスピードで作り、それを「はやぶさ」のコンピュータに送り、イオンエンジンからイオンガスでなく生ガスを2ヶ月にもわたって噴出させたところ、ようやく回転が得られたのである。


 その間使ったキセノンガスは9kgで、残りのキセノンガスは35kg。地球に帰還するまでに必要なキセノンガス12kg(往路は22kg使っている)であるから、十分に帰る余力はある(帰りは地球の強大な引力があるので燃料は少なくて済む)。この生ガス噴射は全く設計にない突発的試みで奇跡に近い成功だった。


 これで一応「はやぶさ」は、安定し、地球にアンテナが向けられ試料採取のコンピュータデータが地球に送られ、初めて弾丸が発射されなかったことを知ったのである。しかし、何らかの粉塵が採取できている可能性があったので、地球帰還が試みられた。


 しかし、その直後ももっと深刻な問題が生じた。化学燃料エンジンが全て故障したため、「はやぶさ」は宇宙に漂い始めた。JAXAは1ヶ月半「はやぶさ」を見失ってしまい、絶望の淵にあった。


 それでも「はやぶさ」はフラフラになりながら、電波は自動的に発信しており、たまたま地球にアンテナが向いた瞬間に届いた電波を奇跡的にキャッチしたJAXAは、再び姿勢制御を試みようとしたが、帰還を考えるともう生ガスを使う分はなかった。そこでJAXAは、太陽から送られる輻射圧(光の粒子による圧力)を利用するためにそのプログラムを作って送り、何とか姿勢を元に戻したのである。そうして太陽電池パネルも太陽に向かって動き出し充電が可能になり、アンテナも地球に向かうようになって常時の交信も可能になった。


 「はやぶさ」は、ようやく2006年6月3日に地球に戻る軌道に乗ったが、3年半後の2009年11月に今度は4つのイオンエンジンが全て故障するという大問題が生じた。イオンエンジンなしには飛行は当然続けられない。イオンエンジンには、キセノンガスをイオン化したり、中和させたりする部品がいくつかあるが、4つのイオンエンジン全てがそのいずれかの部品が故障したためだ。JAXAは一時、絶望的になった。


 ところが、イオンエンジンの設計者は、万が一のために全てのエンジンをバイパスで繋げて設計していたのである。そこで2つの動かないイオンエンジンを連結させ、故障していない部品同士を利用して並列イオンエンジンとなるプログラムを作って送ったところ、それが見事成功したのだ!


 これらは数々行った奇跡的な修理のほんの一部に過ぎないが、何億kmも離れた「はやぶさ」にプログラムを送って、異なる作動をさせるという修理は、日本の部品会社と何度も相談し、地球上で数々の実験を行いなが修理と新しい運転方法を見出し、新しいプログラムを作って「はやぶさ」に送れたからである。それができなかった米国製のRWは、復元させることはできなかった。ともあれ、JAXA技術陣と部品会社の執念と知恵の見事さは信じられないほどだ。


8. 「はやぶさ」の帰還
 「はやぶさ」が満身創痍で帰還したという理由は、真空というか超過酷な環境(太陽が当る部分は100℃、当らない部分は−100℃)の中で長期期間飛行のため、精密機械の探査機のあらゆる部品が故障し、その上、4年の飛行計画が7年にも延び、益々部品が痛んだことにある。それをJAXAは大変な努力と知恵で一つ一つ克服してきた。


 「はやぶさ」は、2007年に帰ってくるはずだったが、数々の故障の修理が成功したときは、地球から離れつつあったため、次にイトカワが再び地球に近づく2010年6月まで待たなければならなかった。そして、「はやぶさ」は、その後3年余り地球からどんどん離れ、イトカワと一緒に太陽の周りを2回公転し、それから再び地球に近づく軌道に乗ったときにイオンエンジンを再起動させたところ見事に動き、帰りの軌道に乗ったのである。


 地球の軌道に入るときは、地球の引力を利用するが、最後のイオンエンジンによる調整は、月から約5倍離れたところで行われたが、それだけでオーストラリアのウーメラ砂漠の目的の場所への帰還が確実になったということから、恐るべき精密機械制御といえる。元の計画では、「はやぶさ」はカプセルを地球に放出した後に再び宇宙飛行する予定であったが、数々の故障でその余力はなく、JAXAは「はやぶさ」を大気圏に突入させて、燃え上がらせて、隕石突入時のデータを収集することに用いることに決定した。


 大気圏に入ると、「はやぶさ」は燃え上がり、使命を果たしたさすらいの用心棒が「これが土産だ」と言わんばかりにカプセルをポイと地球に投げ、「さらばだ」とでもいうように自らは火の玉となって燃え尽きた。カプセルがランディングしたのは、日本と捕鯨等で揉めているオーストラリアのウーメラ砂漠(軍事基地でもあり、NASAの施設もある)というのも皮肉である。


9. 「はやぶさ」がもたらしたもの
 「はやぶさ」がもたらしたものは、イトカワの粉塵だけではなく、7年という宇宙飛行の中に得られた莫大なデータである。


 その中には、壮大な宇宙や小惑星イトカワの数々の写真や、「はやぶさ」の部品が超長期間の宇宙飛行に耐えられるという実証データと、更に改良するための必要なデータ等がある。これらの莫大なデータがいかに凄いものであるかは、NASAでさえカプセルが大気圏突入する時の熱データを収集するためにわざわざ飛行機を飛ばしてデータを収集していたことからも理解できる。しかし、「はやぶさ」が我々人類にもたらした本当の最大の贈り物はこういう「もの」ではなく、「感動」ではないか。


 わずか数メートル四方の「はやぶさ」が気の遠くなるような宇宙飛行を続け、数々の故障を全て克服し、JAXAの必死の操作に最後まで反応し、満身創痍で帰還し、本来は更に宇宙に行くところを燃え尽きた「はやぶさ」は、とても単なる探査機とは思われず、ドラマそのものでもある。またその素晴らしい日本の技術力を世界に示した貢献はとても言葉では尽くせなるものではない。しかも宇宙開発という全人類のための平和技術であるから、これほど日本に適したものはない。ともあれ、イトカワの粉塵が解析結果がでる正月ごろには再びビッグニュースになることが期待される。


 私は本当はウーメラ砂漠でカプセルの落下を見たかった。しかし、もしそこに行っていれば、見上げるのはカプセルでなく、「はやぶさ」の燃えカスが散る大空の方を見ていたであろう。


参考文献:
『小惑星探査機 はやぶさの大冒険』 山根 一眞 (著)
『はやぶさ―不死身の探査機と宇宙研の物語』 吉田 武 (著)
『はやぶさと宇宙の果てを探る』 二間瀬 敏史 (著)



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