第53回 「ジャーナリズム戦争時代 (2)」



 前回、これからの世の中はジャーナリズム戦争時代に入る(というより、もう入っている)と書いたが、正にその現象が起きている2、3の事例について述べたい。


 その第1がトヨタ問題(バッシング?)である。この大不況で、しかもアメリカ自動車産業がフォードを除くと破産の線上をさまよっている最中では、アメリカ政府や産業は何らかのスケープゴートが必要である。また、政治家としては、秋の選挙に備えてとにかく顔を売り、民意を掴まなければならない時期である。そういう流れがあることをトヨタは見誤って対応が遅れたといえる。


 アメリカのジャーナリズムは一旦火がつくと簡単にはストップしない。そこで彼らは、トヨタは安全を軽視している、アメリカを馬鹿にしている、舐めていると煽る。事故の件数を挙げているが、本来は販売台数を基にした事故率で比べなければ問題かどうかは判断できないはずである。カナダのあるジャーナリストは、これはトヨタバッシング、日本バッシングであり、昔はドイツのAudiにも同じようなバッシングがあったという。敗戦国の日本とドイツは、とかくターゲットになりやすいのだ。


 しかし、日本のジャーナリズムは、あたかもアメリカ議会全体がトヨタバッシングに走っているような報道をしているようだが、必ずしもそういうわけではない。議会は、各州議員の単なる集まりであり、一人一人の議員の利害は全て異なる。公聴会の最初に「我々は魔女狩り(witch hunt)をしているのではない」とか、「日本からわざわざ出席してくれて感謝している」といったり、質問の前に「コンニチハ」ともいったことも事実である(勿論、儀礼に過ぎないが)。


 トヨタ工場を有する3つの州の議員たちは、「トヨタには大きな問題はない。感情的に走るべきでない。」と議会をけん制したが、いかんせん利害がはっきりしているので効果は薄い。反対にデトロイト周辺の議員は、「トヨタは走る殺人車(killing machine)を作った。」とまでいったが、これも利害は明らかで、米国自動車会社のためのパフォーマンスであることは疑いもない。他のほとんどの議員は、実情がわからず、公聴会情報やジャーナリズム情報でどう反応すべきか迷っているのが本当だろう。


 但し、米国消費者が「政府は何をしている!どんどん追求せよ!」と煽ると、秋の選挙が近いので動かざるを得ない。しかも、公聴会で発言すれば顔がドアップで写るので、議員にとって選挙効果は大きい。


 レクサスの事故寸前で助かった宗教がかった女性は、「恥を知れトヨタ!」といったが、レクサス事故で本当に家族を失った女性(事故の因果関係も明確でないのにこういう人々を呼ぶ米国議会のパフォーマンスも常識を疑いたくなるが、これもアメリカなのだろう)は、「こういう悲惨な事故が再び起こらないように訴えに来た」と話し、トヨタが問題だ、とまではいっていない。


 いずれにしても、トヨタの米国副社長と豊田社長自身が証言した翌日のジャーナリズムは、若干和らいだ報道になっていることは間違いない。その要因になったのはトヨタの重役達が証言したということよりも、公聴会の最中に発表された米国費者団体専門誌「コンシューマー・レポーツ」の2010年の自動車評価レポートだろう。


 同誌は広告を掲載しない中立団体として有名で、発行部数700万部、新車販売に最も影響を与える権威ある媒体の一つといわれている。同誌は、1位がホンダと富士重工(共に77点)、3位がトヨタ(74点)とし、その上、トヨタのプリウスをベスト環境対策車と豊田社長の証言の1日前に発表した。同誌の自動車テストセンターのシニア・ディレクターのチャンピオン氏は、「このレポートは、トヨタのリコール問題も考慮しているが、トヨタのこれまで培った信頼性が防護服になった。リコールされたが、修理されるのだ。アメリカのジャーナリズムは行き過ぎだ。逆に他のメーカーがリコールを躊躇する事態を招きかねない。」と述べた。


 つまり、米国自動車消費者を代表するともいえる同誌はトヨタをむしろ支持しているといえる。何も知らない大多数の議員やまともなジャーナリズムは、この中立団体のレポートにかなり影響を受けるはずである。


 そのせいか、豊田社長証言後のWall Street Journal誌は、トヨタ社の急加速事件は多いものの、他社と比べてずっとそうだったわけではないという、NHTSA(米運輸省道路交通安全局)のデータを掲載している。このデータも見方によっては、いくらでもバッシング材料に使えるが、明らかに報道のトーンは変わっている。


 いずれにせよ、議会がスケープゴートを探してきた様相は明らかなようだが、ここまでジャーナリズムに叩かれるトヨタの被害は甚大である。


 こういうジャーナリズム・リンチが他にもある。それは、タイガーウッズだ。不倫で大騒ぎになっているが、先日の一方的ステートメントの発表で、Golf Writers Association of America(米ゴルフ記者協会)はボイコットし、ジャーナリズムは逆に益々悪化したと騒ぎたてている。


 どうも釈然としないのは、この問題はタイガーの不倫という個人的問題で、本来はタイガーとエリン夫人の問題であり、低俗なタブロイド誌ならともかく、一般的ジャーナリズムがしゃしゃり出る問題ではないはずだ。


 バッシング派は、要するにタイガーはスーパースターで金持ちで有名だから、ジャーナリズムで叩く権利があると思っているのだろう(黒人、アジア人の血があることも否めないのではないか)。ニクソンがウォーターゲートで、クリントンが「不適切な行為」で叩かれたのと同じで、ここにアメリカの言論の自由の素晴らしさがあるといいたいのかもしれない。


 しかし、政治家は我々の税金で生活する公人であり、国の政策や我々の生活をコントロールするので、批判されるのは当然であるが、タイガーのような私人の場合は、いくら著名で社会的責任があるとはいっても、次元があまりに異なる、低い人材である。


 要するにタイガーバッシングを行う者は、嫉妬しているにすぎない(これはトヨタバッシングにも通じる)。しかし、そのジャーナリズムも、タイガーを血祭りにすることによって金になるからであって、タイガーが金持ちというのと同じ理由であり、同罪ということになるはずだ。


 それに、タイガーを批判する記者、読者たちは、一体全体、不倫や脱税やその他の社会的違反等を何もしていない高潔な人物なのだろうか。恐らくそういう連中の99%は、何かしらの社会違反をしている連中に間違いない(大体そういうポストに上るものは正統派ではない者が多い)。ただ、単に有名でないから誰も気にしない、ばれない、捕まらないというだけだろう。


 ともあれ、こういうアメリカのジャーナリズム・リンチがこの世の中に蔓延していいのだろうか。トヨタ問題でもわかるように、日本はすぐターゲットになる。日本(とドイツ)は、敗戦国だから戦後の世界の世論の中でほとんど発言権がないから叩きやすい。これも不可思議な話である。


 世界のまともな国の中では、民主主義、基本的人権、平等、言論の自由等が最も重要な基本的事項になっている。しかし、国の外になると互いにバッシングしあうことが常識になっており、力の論理のみが働く。この非常識はいつまで続くのか。


 その上、戦後の65年間に外国で人を殺したのは、政治不安の中小国は無数にあるが、同時に欧米主要国、韓国、中国等の国連の常任理事国を含む戦勝国も当然行ってきたことだ。ところが、少なくとも日本は、この65年間に外国で1人も殺していない超平和国である(ドイツは結構派兵して殺しているらしい)。


 しかし、戦勝国は、この65年間の自らの何十万人という殺戮は無視するか、平和の維持のための必要な戦いと詭弁し、日独に対しては65年前の戦争犯罪を常に持ち出して、口を封じる。日独は戦後から今日まで個別の国々や国連で膨大な経済援助をしながら、一部の常任理事国たちの拒否権で常任理事国にはまずなれない。


 どうも、国の外に一歩出た世界の中では民主主義も自由平等も何もないのである。これも主として欧米戦勝国、そしてそれらのジャーナリズムが世論を操作しているからといえないこともない。つまり、戦後65年以上しても戦争は終わってないのである。国内の過度の民主主義と平等と、国外のあまりの非民主義とそれを操る現在のジャーナリズムほど危険なものはない。


 そのアメリカジャーナリズムの怖さのせいか、日本のエコカー減税では、アメリカ車はエコ水準に達していなかったが、アメリカ政府が差別だ!とプレッシャーをかけたところ、直ちにわざわざエコ水準を下げて、入るようにしてしまったではないか。何という腰抜け政策なのだろうか!


 エコカーを開発するからこそ、減税になり、社会のためになるのであって、反エコカーに対して基準を下げることは、技術開発や減税の目的、原理もあったものではない。


 こういう腰抜け政策では、アメリカの属国であると蔑視され、いくら世界に平和貢献しても認められず、常任理事国になるなどは夢の夢である。


 と、考えるのは、私が余りにペシミズムに走っているせいなのだろうか。





記事一覧へ