第47回 恐るべきアメリカ訴訟のディスカバリー



 アメリカの訴訟は、ディスカバリーといって、あらゆる企業情報を相手側に開示しなければならないことと、それに基づく証人尋問があるのでコストと時間がかかることは確かであるが、そのために嘘を付いたり、情報を隠したりするととんでもないことになる。その最近の恐るべき例が、ここに紹介するQualcomm事件である。


 この会社は、知る人ぞ知る半導体、ソフトウェアに関する超大企業である。そのQualcomm社とライバルのBroadcom社は、世界中で血みどろの特許訴訟を行っていたものの、最近、全てを和解することが発表されたが、そのきっかけとなったのが、この事件である。


 米国では数年前に21世紀のビデオ技術を開発するためJVT SSO(Joint Video Team standard-setting organization)が作られ、世界中の企業が多数参加して開発された。参加企業は慣例により標準化に資する重要な技術や特許を機構に開示、開放し、その代わりメンバー企業は無料か安いローヤルティでそれらの技術を使える仕組みであった。そして、やがて標準技術が最終的に設定されたので、JVTの全メンバー企業のみならず、世界中の企業がその規格に基づいてビデオ装置を販売していった。


 一方、Qualcomm社は、ビデオ技術に関する米国特許をJVT SSOが作られる前に、既に取得しており、その特許と同じものを標準技術として設定することを密かに望んでいた。そのため、この機構が開発していった標準技術を注意深くウォッチングしていたが、メンバーになると特許を開放しなければならないため、当初はメンバーにはならず、標準技術が設定されてからメンバーになった(その場合、特許を解放する義務はないが、これが本当か後に争われた)。そして、メンバー企業のBroadcom社が標準技術を製品化して販売を始めると特許侵害で訴訟した。


 地裁で、Broadcom社は、Qualcomm社も本当は最初から、JVTのメンバーだった、その場合特許を開放しなければならなかったはずだと争った。Qualcomm社の訴訟弁護士は、当社は当初、JVTのメンバーだったことはなく、その記録(e-mail等)も当時の資料にはなく、またJVTに参加したのは標準技術が設定された後であるので、特許を開示する義務も当然なかったと争った。


 Qualcomm社の電子情報は何百万通もある莫大なものであり、訴訟弁護士が同社の莫大な電子情報を全てチェックして確認した上で、そのような主張をしたのかは定かではなかったが、少なくともQualcomm社は、訴訟弁護士にJVTに当初は参加したことはなかったと伝えていたようであった。


 Broadcom社は必死になって、Qualcomm社が提出した電子情報をチェックしたが、当初にJVTメンバーであったという記録は1つも発見されなかった(あまりに情報が多く、しかも細分化されているので本当に全の情報を当ったかはは専門家でも必ずしも理解できるものではない)。


 ディスカバリーでは、Qualcomm社の重役も当然、デポジション(証人喚問のような手続き)の対象となったが、彼らは皆、Qualcomm社は当初、JVT SSOのメンバーではなかったと主張した。しかし、JVT機構には、e-mailリストにQualcomm社の名が記載されていたので、Broadcom社は執拗にその証拠を捜し求めた。


 ディスカバリーが終了すると公判が始まり、陪審員がいる公判では、Qualcomm社に有利に進められ、特許侵害の評決とそれに基づく判決は時間の問題のようにみえた。Broadcom社の訴訟弁護士は、重役自身がJVT SSOと直接連絡を取る可能性は少ないだろうと考え始めて、法廷での尋問の戦略を変え始めた。


弁護士: 
Qualcomm社は、本当に当初JVTのメンバーではなかったのか?

重役:
何べんもそう答えているように我々がメンバーになったのは、
標準技術設定されたずっと後だ。

弁護士:
なぜそれがわかるのか?

重役:
なぜ…?

弁護士:
そう、あなたが直接JVT SSOと連絡を取るのか?

重役:
いや、私はもっと重要な仕事があるから、
そういう窓口的なことはしない。

弁護士:
では、誰がそれを行うのか?

重役:
それは…、私はそう細かいところはチェックしないからわからない。

弁護士:
では、当初はJVT SSOのメンバーではないとどうして知っているのか?

重役:
それは…、それは…、そう聞いているからである。

弁護士:
誰から聞いたのか?

重役:
それは…、それは…、今は覚えていない。

弁護士:
会社の中でそれを行うとしたら誰か?

重役:
うーむ。組織が大きいからそれはよくわからない。

弁護士:
自分の会社のことがわからないのか?

重役:
部下の全ての責任や業務を覚えいるわけではない…。

弁護士:
全ての部下の責任を聞いていいるわけではない。
今の自分の部下でそれを行ったとしたら誰か?

重役:
…。

弁護士:
自分の部下の名前もわからないのか?

重役:
それは…、恐らく…、パラリーガルのKimberly女史(仮名)だろう。


 その証言の後にBroadcom社の訴訟弁護士は、Kimberlyパラリーガルを証人喚問する要求を出し、判事も直ちに認めた。その日の法廷が終わり、Qualcomm社の訴訟弁護士が事務所で、Kimberlyパラリーガルと明日の法廷での証言の対策をしていた時に、彼女は、数年前にJVTとe-mail交信した記憶がある、調べるべきでしょうか、と訴訟弁護士に聞いた。


 訴訟弁護士は、ちょっと考えてから、彼女の過去のe-mailを直ちにチェックせよとは指示しなかった。翌日の法廷で彼女は、正直にその通り証言すると、Broadcom社は直ちに休廷を要求し、判事に彼女に昔のe-mailを検索することを命令するように依頼した。判事は当然e-mailを早急に探すように命令し、翌日、Kimberly女史は、20通のJVTとのメールを古いファイルにあることを発見し、提出した。


 Broadcom社は、公判終了後、陪審員が評決の討議に入ることを中止させ、もう1度ディスカバリーをやり直す要求をし、判事も直ちにそれを認めた(普通は公判終了後は評決、判決を待つだけでディスカバリーはない)。その結果、数日後に実に20万ページに及ぶJVTとのe-mail交信がアーカイブ・ファイルにあったことが判明した。


 地裁は、Qualcomm社の訴訟での行為はJVTに対して悪質な不公正行為があったことから、その特許は一切特許権を行使できなくなるとし、同時にBroadcom社に対して弁護士費用8.5億円を支払うこと、訴訟弁護士は全員、カリフォルニア・バーアソシエーションの倫理講座を受講すること、同バーアソシエーションは訴訟弁護士全員に対し制裁措置を検討することを要求する判決を下した。


 この控訴を受けたCAFCは、Qualcomm社の特許は、一切行使できなくなるのではなく、この標準技術製品に対してのみ行使できなくなると修正したが、それ以外は全て地裁判決を支持した。


 このように、CAFCは特許権が権利行使不可になることは、米国特許商標庁に対して不公正行為があった場合のみならず、特許成立後でも独禁法違反に例示されるように、特許の不正使用によって、権利行使不可になることがあり得ることを示した。


 いずれにせよ、米国連邦裁判所の権力がいかに強いかを示す事件である。


 Qualcomm社の訴訟弁護士がなぜこのような危険な訴訟戦略を取ったのかは、判決からは明らかでないが、莫大な電子メール情報の全てをチェックすることは不可能であったことも一因であったかもしれず、ディスカバリーでの電子メール情報の扱いがいかに重要になることを示した事件でもある。


 そして、Qualcomm社とBroadcom社は、その判決の数ヶ月後に全世界での特許訴訟を和解し、そのためにQualcomm社はBroadcom社に対して、今後4年間の間に891億円支払うことになっている*。
*http://www.qualcomm.com/news/releases/
2009/090426_qualcomm_broadcom_settlement.html


 この判決をレポートしている筆者には何の支払いもない…。
(法廷での重役の質疑は筆者が脚色しています)



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