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第35回 米国特許庁の新規則、連邦裁判所で仮処分差し止めになる


 米国特許庁は行き過ぎた米国特許制度を適正化するために過去3年間新しい規則を検討し、特許業界の意見を聴取し、この8月末にやっとその新しい規則を発表し、この11月1日施行されることになっていた。しかし、新規則はあまりにドラスチックで米国特許法違反の恐れがあるということでバージニア州連邦裁判所が施行の3日前に仮処分で差し止めるという青天の霹靂の事件が生じた。

 官庁(連邦政府)が長年検討して作成した規則を裁判所が止めるというのは正にアメリカならではの出来事である。これが日本の経産省特許庁が新しい新規則を発表した時に、果たして裁判所が特許法違反の恐れがあるといって差し止めを行う可能性があるであろうか。

 ない、ない、ない、絶対にない、である。

 日本で特許庁を含む諸官庁の施行規則が裁判所で止められたという話は、小職がアメリカに来る前に通産省特許庁に17年在籍した私の記憶には全くない。

 何故こういう前代未聞のことがアメリカでは起きるのだろうか。実はここにアメリカの三権分立が日本の三権分立とは全く異なることに起因している根本的問題があるのだ。その三権分立の根本的問題を議論する前に米国特許庁のドラスチックな新規則についてちょっと述べなければならない。

 米国特許制度では世界でも唯一の先発明制度という発明日の立証が実に大変で、コストがかかる制度を有しているが、それだけでなく、出願の出し直しがいつでも自由にできる継続出願や一部継続出願という独自の制度を有している。発明者が新しい発明について出願しても、米国特許庁には滞質が多いため、審査に着手するまで2年位かかるものである。その間、新しい発明の改良はどんどん進み、実際の製品ができると最初の特許出願の明細書の説明では十分でない点が出始めたり、かなり変ってくる事さえ多くなる。そうすると、特許がたとえ許可されても開発された製品を十分カバーできない問題が生じる。米国以外の国ではしょうがないので新しい出願を行って実際の製品をより有効にカバーしようとするが、そうすると出願日が遅れるので2回目の出願に対して自身の最初の出願が先行技術になり自爆する恐れが生じる。

 米国特許制度では最初の出願が何年前であってもそれが米国特許庁でペンディング中(審査中)である限り、いつでも、いくつでも継続出願(や一部継続出願)ができるという世界でも異例の制度となっている。これはアメリカのように新発明が次々に生じ、どんどん改良していく上では、改良製品を守るためには絶好の制度とも言える。

 しかし、問題は、古い出願でもペンディング中でもあれば何年経っても元の出願に発明の記載があれば、そこから新しい出願として特許にできるため古い技術について突然強大な特許権が生じることである。

 その典型的例が以前に本稿で紹介した発明王レメルソンである。彼は1954年頃にバーコードを含む膨大な技術の出願を行い、内容があまりに複雑で多岐にわたるため米国特許庁の審査が遅れ、その時に継続出願を何回も出していた。その内に、彼の特許弁護士が1980年代になって元の1954年の出願にバーコードに関する記載があることに気付き、「バーコードについて継続出願(正確には分割出願)を行え、そうすれば現在のバーコード技術は全てカバーできる!」とアドバイスし、レメルソンもそれを了承して直ちに継続出願を行い、しばらくしてバーコードの基本技術について特許が成立した。元の出願は1954年のため、その特許をつぶす先行技術は1954年前にはなかったためである。

 勿論、特許が成立した頃ではバーコードは当たり前で全産業が用いていたので格好の餌食になった。当時米国特許の独占権は出願日にかかわらず特許が成立してから17年であったためレメルソンは世界中の企業から何千億円という収入を製品を1つも作らず得たのである。レメルソンの特許出願を全て成功報酬で行ったホイジャー特許弁護士にも、何百億円という収入が入った。

 その後、それを見た野心家は、陳腐な発明を継続出願を何回も行い、審査官が根負けして特許を発効すると、その特許で大企業、特に日本企業を強請るパテントトロール化としていったのである。最初は日本企業がターゲットになっていたが、その内マイクロソフトやIBMというような米国大企業もターゲット化し始めたのでパテントトロールは社会問題化し始めた。

 そこで連邦裁判所(司法府)はレメルソンが死去してからやっとレメルソン特許は、あまりに継続出願が遅いのでラッチスにより特許権行使できないと判断した。同時にプロ特許にブレーキをかけるため、差し止めは自動的でなく特許権者が特許を用いて生産しているかも考慮に入れなければならない等の画期的判決を近年次々に打ち出し、特許制度の正常化に努めてきた。また、議会(立法府)は、特許権を出願から20年で打ち切る、出願を公開する制度等を導入して特許法の改正を行ってきた。

 しかし、アメリカの三権の中では最も権力のない行政府の米国特許庁は、ほとんど何も行ってこなかったに等しかった。ところが近年のパテントトロールの深刻な問題から米国特許庁も何か行うべきという圧力が産官学から出されたのである。

 これを受けて米国特許庁が作成したのが上記新規則である。この新規則の作成過程において、米国特許庁は2年位前にとりあえず継続出願は原則として1回以上できない、特許出願のクレームを大幅に制限する等の抜本的規則改正のドラフトを発表し、業界から意見を聴取してきた。

 ところが、最初のドラフトはあまりに特許出願に制約があるため大反対の声が上がり米国特許庁はドラフトを約半年間に大幅に改正して万を持してこの8月末に発表し、11月1日から施行という段取りになっていたのである。

 その間、最終ドラフトは秘密のままで最終案が8月21日に発表されるまで、内容は誰も知らなかった。発表された新規則はその説明ページも合わせて合計するとFederal Register(連邦官報)で100ページを超える莫大なもので、内容はまた非常に難解であった。

 とにかくそれによると継続出願は原則2回までで、それ以上は特別の理由がなければ不可、クレームは原則25までで、それ以上の場合は精緻な有効性レポートを提出する、類似出願は全てレポートしなければならない等々の出願人に多大な負担がかかるものだった。

 この新規則に対して大製薬メーカーのグラスコ社(バイオ特許が多く、明細書は100ページ以上がざらで、クレーム数も100〜200は当たり前)と一発明家のTafasという者が、「新規則は特許法違反、出願人と米国特許庁との契約違反(トレードシークレットを開示する代わりに独占権を得るという特許出願時の暗黙の契約理論)、特許制度を不安定化させる」等の理由から差し止めを求めたのである。またこの訴訟にはAIPLA(全米知的財産弁護士協会)、IBM、SanDisk等の著名企業約10社、そして元米国特許庁長官さえ大反対という有識者見解を提出していた。

 裁判所が仮処分差し止めを認めるかは以下の4つの点から検討される。(1)勝訴する可能性の高さ、(2)仮処分を認めない場合の取り返しのつかない被害の可能性、(3)原告と被告に生ずる被害バランス、(4)公共の利益

 原告のグラスコ社は、この規則は出願人と特許庁の契約に反する(トレードシークレットを開示して特許の保護を得る等)、過去100年間の判例、運用に反する、実質的に手続き的な規則ではなく、特許法主題に関するもので米国特許庁の権限外である、既に出願されたものもカバーすることは違法である等を主張した。

 これに対し、米国特許庁は、この規則なしには滞貨が増加して審査が遅れ特許庁にも出願人にも取り返しのつかない被害が生じる、手続きに関するものであり特許法そのものに関するものではない、1年以上前から公共のコメントを十分に聞き反映したものでフェアある等の反論を行った。

 (1)勝訴の可能性
 グラスコ社は、a)継続出願の数を制限する新規則は米国特許法120条に違反する可能性が高い、b)規則を過去の出願に適用することは契約に違反する可能性が高い、c)規則の過渡措置の一部の運用を8月21日の発表後に変えたことは規則が不明瞭であることを示唆している、という点でグラスコ社が勝訴する可能性が高いことを示した。

 (2)取り返しのつかない被害
 新規則は不明瞭でこれにより出願人の出願戦略が変更され、出願意欲も削がれることもあり、もし新規則が無効となった時にグラスコ社等には取り返しのつかない被害が生じる可能性が高いことを示した。

 (3)被害のバランス
 仮処分差し止めによる特許庁の被害は滞貨が少しずつ増大するだけでグラスコ社等の被害より小さい。

 (4)公共の利益
 安定した特許システムが必要で、仮処分差し止めを認めれば新規則による不安定さがなくなり、安定した現状が保てる。

 以上の地裁判決により、今回の新規則は当面適用されず、従来の規則がそのまま用いられることになったのである。つまり、米国特許庁は3年近く検討してきた新規則が連邦裁判所によって仮処分差し止めになるという大恥をかいたのである!

 一体何故こんなことになるのか。まず米国官庁には日本の官庁のように優秀な学生の人材はまず行かない。行政権限が少なく、給料が安いのでまるで魅力がないからである。米国特許庁で毎年1000人近くの審査官が無試験で採用され、半分の500人位が退職したり首になる。とりあえず審査官に使ってみようか、という採用である。日本特許庁のように上級公務員試験のパス率が何十人に1人という難関では全くない。

 要するに米国という国は基本的に議会(立法府)と裁判所(司法府)が運営する国なのである。米国憲法が行政府(含大統領)に経済権限や強い行政権限を与えなかった理由は、権限を与え過ぎると独裁国家になり易いからだ。そうなり易いことは、今日の日本でさえ行政官庁の接待ゴルフ、指名人札、天下り等の腐敗化からも明らかである。

 しかし、日本の官庁にはエリートがそろっているので官庁が作成した規則が裁判所で認められるようなことはない。それほど日本官庁の規則というものは厳しく議論され、評価された上で発表される。要するに日本の三権分立は官庁主導型なのである。何はともあれ米国の三権分立がいかに日欧と違うかを示す実に面白い裁判所の仮処分差し止め判決であった。