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第26回 「旅先でのアクシデント」




 私の仕事は主に日米間の特許訴訟であるので日本出張は年に最低5、6回はあり、それに加えて米国内とヨーロッパ出張もたまにあるので、かなり出張が多い方といえようが、その分当然アクシデントも結構あることになる。1回の日本出張は大体1週間か10日間位しかないから日本での仕事はどうしても分刻みのスケジュールになるので、これも何かが起こり得る理由の1つである。

 日米は半日の時差があるから日米の仕事の両方を同時にフォローしていくと夜中も常に働くことになるのでホテルでの睡眠時間は著しく削減されるが、ジェットラグから日本の最初の一週間位は夜もあまり眠くならないから、数時間しか眠らなくてもぐっすり睡眠していれば大きな問題にはならならず、疲労を感じることはあまりない。

 しかし、そういう多忙の中で飛行機やホテルその他の場所でアクシデントがあると彼らがどのように対応するのかによってサービスに対する考え方が日本や外国でどのように違うかを知り、そこで日本文化、外国文化の違いを知る事になり、仕事に大きな支障が生じない限り面白い経験になる。

 ある時、東京出張があった。主な仕事は中国企業Bが日本企業Aのコピー製品を販売していることから、日本企業Aが日米欧の各国で特許訴訟を行い、その中でも米国訴訟が中心になったことからである。米国の特許訴訟は他の国と異なり、年に数億円は軽くかかり、差し止めもあるのでこれは相手に大きなプレッシャーとなる。しかも米国訴訟にはディスカバリーがあり、これによりお互いの社内資料を強制的に提出させられるので他の国での販売情報も手に入る可能性が高いので非常に有効である。

 この事件では訴状は一旦9月18日(月)に裁判所に提出する事を決定し、我々も準備していた。ところが前日の日曜日の真夜中に自宅に電話がかかってきた。
「先生、9月18日(月)に訴状を出すことは良くないということが分かりました!」
「どうしてですか?あれだけ検討してやっと9月18日と決まったのに。」
「ところが、色々調べたところ、9月18日は満州事変が生じた日ということが判明しました。中国企業Bがこれをタネに反日キャンペーンを起こすとまずいということです。」
「ああ・・・満州事変ね。そういう問題があるならしょうがないか。」
 訴状は既に18日(月)の日付で、我々弁護士もサインし、明日はパラリーガルが裁判所へ運ぶだけという全ての手筈は整えてあった。つまり我々弁護士が万が一急な出張でいなくなっても訴状を提出できるようにしておくためである。

 翌日出勤すると訴状の日付を訂正し、サインしなおして無事数日後に提出した。訴訟とはこのように単に訴訟テクニックを考えるだけでなく、政治的、社会的背景も考えざるを得ないことがあるものである。

 いずれにせよ、この訴訟対策が日本出張での主な仕事であった。訴訟対策ミーティングは会議室にこもったまま3日も4日も続いた。長時間座ったままの会議は実に長く感じられ変に疲れるものである。その上に、毎日のミーティングの後は必ず他の会社のディナーミーティングがあり、更に別の会社の2次会ミーティングがあることもざらである。それらが終れば直ぐホテルに戻れば良いのもの、クライアントが銀座でもう一杯ということもあるのでいつも深夜帰宅となる。

 そしてホテルで早くても夜2時頃まで、朝は5時30分頃からアメリカ弁護士チームの訴訟対策のメールのチェックやら日本からの司令を彼らに通達するメールを送ったりしていると、アメリカから
「Do you ever sleep?」
とか聞いてくる。そこで、
「Don't worry, I will take a nap between works.」
 とか何とか返事をする。 昼間に睡魔が襲ってくる事がないではないが、アメリカ人弁護士と一緒に出張している場合は電話を使う時にちょっと抜け出して、その間は彼らに任せ、ついでに会社の待ち合わせのソファかどこかで数分位目を閉じて仮眠することがないではない(アメリカ人弁護士は私が通訳をしている間は休めるからいい)。疲れを感じたら休む、そしていかに効率的に休むかが健康を保つ秘訣だ。

 こうして超過密の一週間の仕事を終えてパッキングをして帰る準備をする時は、重い書類を航空便で先に送り返したり、直ぐ読むべき書類を選択し、しかも緊急度合順に整理してカバンに入れたりするのでギリギリまで片付けができず、最後の晩でさえも完全に終えることはまずない。真夜中に立ったり、しゃがんだりして整理しているといつの間にか腰にしびれがきた。腰がどんどん痛くなる。
「腰痛だ!」
 と、ぎょっとなった。腰痛はこれまでに3度程経験しているが、持病というほどのものではなく、6、7年に一回位軽く出る程度だ。ほとんどは、1、2週間で回復するが、直後は結構痛む。

 何故こんな時に突然生じたのか全く見当がつかないが、恐らく今回は何日も長時間、座ったきりの仕事だったからだろう。普通の出張は一日に何箇所も違ったところを訪れて動き回るからこういうことはない。
どの程度体が動くか?」
とゴルフのスイングをしてみたら、とても体をねじれるものではない。
「これでは帰った日の時差調整のゴルフができないかも・・・」
と心配になってきた。  それに明朝、悪化する可能性もあり、重い荷物を考えると憂鬱である。とりあえず鎮痛剤を飲み、ゆっくり風呂に浸かって体をほぐしながら寝た。

 翌朝起きると腰痛は特別悪化していないものの、やはりゴルフスイングは無理だ。帰国はほとんど必ず朝11時に出発する全日空の直行便で帰るため朝6時50分のリムジンバスに乗るので朝5時30分に起き、まず朝風呂をゆっくり浴びて腰をさすったりして、それからメールをチェックし、そして最後の荷造りをする。

 こうしてバタバタ整理していると部屋の温度を最低の20度以下にセットしても汗がどんどん出る。体の汗をタオルで拭いながら、やっとズボンやシャツを着始める。靴下を履くために手を伸ばす時が一番苦しく痛いので、座ったまま壁に背をあてて何とか履く。

 荷造りと着替えが終わると、ニューオータニに置いておくべきテニスバッグ(日本でいつもテニス、ゴルフができるようにニューオータニにはテニスバッグとゴルフバッグを預かってもらっている)と、持ち帰るためにリムジンバスに詰め込むべきバッグの2つがあった。

 バッグを持ち上げられるか確かめると、ヒザを折ったまましゃがめば腰にそれほど痛みを感じずに持ち上げられる事がわかった。何とか成田まで行けるとホッとする。

 新人のベルマンがギリギリになって取りに来たので、彼に2つのバッグ処理を指示して、自分は支払いを済ませるために先にフロントデスクに歩いて行ったが、真っ直ぐ歩いている分にはそう痛みはない。しかし、横を向く時は上半身をねじらずに体全体で向かないとかなり痛む。フロントで手早く支払いを済ませたが、まだそのベルマンはフロントデスクのところまできていなかったので、そこにいたベルデスクのマネージャーに聞くと、
「時間がありませんから、リムジンバスに入れるべき荷物は我々の方で処理しておきますので、先生はどうぞバスにお乗り下さい。」

「それはありがたい。」
といってバスに乗り込んでいるとやがて新人ベルマンがバスに乗り込んで来て、
「バッグはリムジンバスの荷物室に入れました。これが引換券です。」
といって券を手渡してきた。
「これで後はバスに乗って帰るだけだ・・・」
とバスの中で安心して朝刊を読んで寝るだけである。リムジンバスが成田空港に着くとバスから荷物が出されてきた。
「あっ!」
と思ったのは出てきたバッグがホテルに置いておくべきテニスバッグだったからだ。肝心の持ち帰るべきバッグはない。
「どうしようか。」
とまず考えた。こうなると腰痛どころではない。テニスバッグは空港からホテルへ送り返せば良いから簡単だ。ホテルに置いてあるバッグはホテルに頼めばアメリカまで送ってくれるだろう。しかし、そうすると帰りの飛行機の中で処理すべき書類がその中に入っているので、それができないことになる。

 普通、帰りは日本出張の激務から体を休めるためにできる限りファーストクラスにアップ・グレードして(まともに買えるわけがないので)、あまり働かないことにしているが、最低の仕事だけはしておかないとアメリカに戻ってからの仕事が遅れるどころか間違いも生じ易い。

 仕事が中途半端だと、アメリカに帰った日の時差調整のゴルフもゆっくり楽しめない。特に今回は最近自分のゴルフが以前の良い時のレベルに戻りつつあるためゴルフ気違いの(と、人のことは言えないが)若いアソシエート弁護士数人と一緒にすることになっていた。しかし、今はとにかくできるだけゴルフができる体にしなければならない。いずれにせよ仕事に関わるバッグの問題が先なのでホテルに電話を入れてみた。
「もしもし、ベルデスクですか。さっきリムジンバスに乗せるバッグを間違えたようですが。」

「え!先生!それで残ったバッグはどのようなものですか?」
手短にそのバッグの形状や色を説明した。
「ちょっと待って下さい。今すぐ調べますから。」
といって、1分後には
「ありました。確かにいつものテニスバッグではありません。どうしましょう、アメリカに送りましょうか?」

「しかし、それがないと機内で仕事ができないので困るんだが・・・。それにテニスバッグは置いておきたいし・・・」

「う〜ん・・なるほどねぇ。・・・ところで出発までどの位時間がありますか?」

「あと3時間近くあるけれど・・・」

「・・・わかりました。それなら私がバッグを持って次のリムジンバスで参ります。テニスバッグは持って帰ります。」

「そうしてくれるか!それは実にありがたい。」

「では万が一のため先生の携帯の番号を教えて下さい。」

「OK。僕にも君の携帯の番号を教えてくれないか。」
こうして彼の到着を待つことになった。その間に一通りの買い物を済ませると日本での最後の食事となる生姜焼肉定食を食べるために第2空港へ行った(新しい第1空港にはそれを出すレストランがない)。

 私が日本を発つ前に最後に空港で食べるのは生姜焼肉定食で、ラーメンや寿司ではない。理由は空港のラーメンや寿司は東京の一流店ほどうまくないからである。アメリカの日本食レストランにも生姜焼肉はないことはないが、本当にうまい店は私の知る限りではない。

 そこで第2空港にある「イナバ和幸」という馴染みの店へ行く。この店の生姜焼肉定食はしじみの味噌汁が付き、ご飯、味噌汁、キャベツはお代わり自由である。全てのお代わりはさすがに朝でもあるのでしないが、しじみの味噌汁だけはお代わりする。店に入ると、まあ、またいらっしゃい、とおばさんに笑顔で迎えられる。これを食べていると1週間の激務の出張が全て無事に終ったせいもあり、いつも幸福感に満ちる(座っている時は腰痛を忘れ、食事に浸れる単純な性格だから健康でいられるのだ)。

 食べ終える頃に電話が入って、
「もしもし、先生只今第二空港のANAのカウンターに着きましたが。」

「わかりました。只今行きます。」
といって和菓子の大きめの箱のお土産を1つと湿布薬を買った。

 第2空港の全日空のカウンターに着くと彼はいない。電話を入れると彼はANAの別のカウンターにいるという。
「もう1つのファーストクラスのカウンターにいますから。」
この2つのカウンターはかなり離れている。しばらくして彼があたふたと駆け寄ってきた。
「先生、この荷物ですか?」

「やあ、それそれ!ありがとう。では代わりにこのテニスバッグを持っていって下さい。それからこのお菓子は皆さんで食べて下さい。」

「先生、それは受け取れません。これは我々の責任で生じた問題ですから。」

「いや、僕も自分自身で荷物をチェックしなかったのがいけなかったんだ。」
押し問答があって、やっと彼は和菓子を受け取ってくれた。

 ニューオータニにはゴルフバッグとテニスバッグを預けっぱなしにしているので私にも負い目はある。飛行機に乗る前に更衣室で湿布薬を貼り、鎮痛剤も飲んでおいた。機内では半分位仕事をし、半分位は休んで寝ていた。気が付くとファーストクラスのほとんどの乗客はひたすら寝ており、明かりがついているのは私の席くらいのものだった。

 こうしてワシントンD.C.に着くと腰の状態は多少良くなり、一応ゴルフスイングも何とかできるようになったので、家からそのままゴルフ場へ行き、若いアソシエート弁護士達とプレーし、6時に夕食を取るとぐっすり翌朝まで寝れ、時差はほとんどなくなっていた。腰痛も靴下はなんとか履けるようになっていたが、姿勢を変えると痛み、完治にはもう少し時間が必要だろう。

 それにしてもバッグの件は、もしこれが外国のホテルだったらどうなるだろう。責任の押し付け合いになって、喧嘩になるばかりなのは明らかである。ともあれ、バッグは無事に戻り、しじみ味噌汁をお代わりして生姜焼肉を食べ 、その上腰痛も多少良くなってゴルフも何とかできたので実に気持ちの良い帰国になった。

 これも日本のホテルの卓越したサービス精神の賜物である。