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第15回 全英オープン観戦記(知財ニュース番外編)



 全英オープンは一見タイガーウッズの楽勝に終わったように見え、メディアもそう報道していたが、私は必ずしもそうであったと思っていない。 ただし、最後の4ホール位しかテレビで見なかったので、私の今回の意見がどれまで正しいかわからないが。

 いずれにせよタイガーは2日目で4打差でリードしていた。最初の2日間で4打差と言うのは大差といってもよい。しかし、3日目には71を叩き、2打差に縮まったのである。これはタイガーファンにとって不吉な兆候である。タイガーが最終日にリードしている時は絶対勝つという神話は1年位前だ。ここ1年位はリードしていても勝てない時さえある。だから2打差でスタートした最終日はどうなるか全く分からないと考えていた。
 最終日の日曜日が面白くなりそうだからテレビ中継を最初から見るべきか、朝早くゴルフをしてから見ようか、若干迷った。しかし、日本に行っている家内と娘は間もなく帰国する予定になっており、bachelor lifeは数日しかなかったのでゴルフ場へ行くことにした。テレビ中継の最後の何ホールまでには戻れるはずだ。

 こうして朝6時30分頃にメンバーコースであるPenderbrookゴルフ場に着く。勿論予約は取っていないのでいわゆるwalk onと言うやつだ(建物に入るような場合はwalk inという)。こんな朝早く来る連中は皆同じことを考えているに違いない。チェックインするとちょうど3人だけのパーティーがあり、直ぐそこに入れという。こいつはラッキーだ。早く行っても一杯で待たなければならないと何にもならない。3人に近づき自己紹介すると、やあやあと彼らも屈託なさそうに挨拶してきた。

 性格はいい連中らしい。知らないグループに飛び込む時はいつも気になる点である。しかし、彼らにしてみればアメリカ人ならともかく、日本人が1人で入ってくるとこいつはどんなやつかと多少は疑心暗鬼になるに違いない。だから表面的にはやあやあといっても、最初のティーグラウンドで立っている時は3人だけで話していることが多い。そこでとにかく彼らの名前を早く覚えて、なるべく色々と声をかけるようにしている。

 「私はバックティーからプレーするつもりですが…」
 と、私はどんなグループに入っても、大体はそういって1人だけバックティーになってもかまわず勝手にプレーしている。

 そういうとかなりのアメリカ人は
 「じゃあ、俺たちもバックティーから打つ」
 と返事してくる。そういう連中はまず下手な連中である。

 今日の3人の中で一番若いネルソンという男が、「我々はホワイトティーからプレーするが、君は自分の好きなティーから打って全くかまわないさ」と返事してきた。
 こう答えるやつは、本当のど下手か、あるいは逆にかなり上手なやつである。案の定、ネルソンは最初のティーショットをフェアウェーのど真ん中に250ヤードくらい飛ばしていた。

 最初の3ホール位はお互いに淡々とプレーする。何となく互いの性格や技量を推し量っているみたいな点もある。それでも、いいショットをした時や惜しいパットの時にはそれなりに声をかけてできるだけ彼らの心情に入れる様にする。その内に、このゴルフコースにはよく来るのか、とか話しが出て、更に、今はバチェラーだから朝からゴルフをやっているんだ、仕事は何をやっているんだ、どこそこのコースは面白いぞ、というような話も出て来る。こうなってくると他人の垣根は取り払われた気もする。

 7、8ホール目だったろうか。
 〜そういえば全英オープンはどうなっているだろう?〜とふと考えた時、3人のうちの最も年配のダンが言った。

 「そろそろ全英オープンのテレビ中継があるはずだ」
 そうしてイヤホン付きのラジオを取り出した。
 彼らもそれほどのゴルフ狂いだったのだ!

 ダンは、「今タイガーがボギーになってモントゴメリーと一打差になった」
 と我々に伝える。モントゴメリーはまだアメリカのPGAやメジャーには優勝したこともないくせに、痛烈なアメリカ批判をガンガン言うので有名で、アメリカでは最も嫌われているスコットランド人ゴルファーだ。

 「モンティーはイギリスでも嫌われているのかな?」と聞く。
「いや、あいつはイギリスじゃあ大人気さ、イギリスの代弁をして、アメリカ批判をするからね」
とネルソンが答える。

 彼は腕前だけでなく相当のゴルフ通だ。こういう話をするとお互いのゴルフの力量、知識の深さを理解するようになって一気に親密になっていく。

 しかし、差が一打差でしかも相手が全英の期待を荷うモンティーだと…いよいよタイガーも危ないか…と心配になる。今回も逆転の可能性があるようだ。
しばらくして、

 「タイガーがバンカーに入れた。かなりやばい。ボギーで収まればいい方らしい」とダンが言う。
 ちょっと心配になり、自分のショットも気が気でない。
 案の定、タイガーのバンカーショットはまあまあだったものの、2パットになりボギーになって、差が縮まったようだ。

 ダンは、自分がボールを打つ時はイヤホーンを耳から外してラジオをカートに置いて行くのでその時は私が勝手に聞き、私が途中経緯を3人に説明することにした。
 その内、モントゴメリーやオラサバルがボギーを叩き出し、12番ホール位で差は広がり始めた。

 「いよいよバックストレッチだ。この調子ならタイガーは大丈夫そうだな」
 ネルソンがつぶやく。

 …そうかもしれないがゴルフはわからない…タイガーはマスターズで勝つには勝ったが最後の2ホールでボギーを叩き追いつかれている。4打差位はあっという間だ。それに我々はテレビを見ていないからタイガーの表情がわからない。どの程度自信を持ってプレーしているのか見当がつかない。

 こうして我々は全ホールを終了したが、ネルソンは85で回り、私は87だった。彼が「君はどの位のスコアなら良いと言えるんだ?(What's good for you?)」と聞く。

 「バックティーから回って85を常に切るのが目標なんだ」
 「ここのバックティーはえらく難しいからな。でも全英オープンを聞かずに自分のゴルフに集中したら君は間違いなく85を切っていたろうな」
 「まあそう願いたいね」

 ゴルフカートで駐車場に行くと我々4人はもう10年位の知己になっていた。また今度是非一緒に回ろうじゃないかと握手して別れる。これが1人でアメリカ人の仲間に入ってゴルフする良いところである。

 家に帰りシャワーを浴び、近くの日本食レストランに昼飯を食べに行く。勿論、レストランのオーナーの日本人はゴルフ好きだから店のテレビは当然全英オープンを点けていた。残り3ホールで6打差になったから心配もせずにビールを飲み、すしを食べながらタイガーの優勝した瞬間をエンジョイした。

 次に楽しみなのは翌日の新聞がどのように書くかだ。
 ワシントンポストはタイガー楽勝、と言う調子で書いていた。

 「タイガーはセント・アンドリュースのOld Courseがまるで古ぼけて時代遅れに(ancient and obsolete)見えるようにプレーした、ゾーンに入ったようなショット(zoned-in shot-making)でタイガーは始めから終わりまで(wire-to-wire)リードして勝った」

 こういう英語の表現は面白い。
 ancient and obsoleteはセントアンドリュースのOld Courseとひっかけたのだろう。
 wire-to-wireは競馬から発生した表現でスタートラインでもありフィニッシュラインでもあるラインがwireと呼ばれたことから(何故wireかの理由は誰に聞いても分からないが)、スタートラインからフィニッシュラインまでという「最初から最後まで」と言う意味になったそうだ。

 夜になってテレビで全米オープンのダイジェスト版を見るとテレビの司会者とコメンテーターが「今回のタイガーは最初から最後まで(勝つための)ビジネスに徹していた。4日間プレーして笑ったことは最後に優勝した瞬間だけだ。プレーはとにかく堅実、正確そのものだった。ただ、あまりに堅実で楽勝したから面白味は少ない」と評価していた。2000年にタイガーは記録的アンダーで優勝したが、その時はバンカーに1つも入れなかった。今回は何回かバンカーに入れている。だから2000年時ほど良い調子出なかったことは明らかである。

 しかしよく考えてみると2000年の時はたまたまの馬鹿調子だったのかもしれない。今回はそれほどの調子ではなかったので入ってよいバンカーは気にせずにプレーしていたのかもしれない。つまり、致命的バンカーには1つも入れていない。だから解説者から見ると今回の方が全てを計算したプレーであり、こういう調子でも勝てるタイガーは益々強くなったと言う印象を与えるのだろう。

 しかし、今回もっと面白かったのは火曜日の新聞である。
 大体火曜日は全てが一段落し、各紙とも色々なスポーツ・ライターが書いていることを意識して書くからもっと面白くなるのである。
 ワシントンポストのWilbonという黒人スポーツ・ライターは痛烈に他のスポーツ・ライターを批判した。

 批判されたのは2人の白人スポーツ・ライターで、月曜の新聞で2人ともタイガーのことを「タイガーはニクラウスとは違う、タイガーは温かくない、大衆に自分を十分に晒していない、彼は企業的でありすぎる(too corporate:企業とのタイアップが強すぎる等のイメージなのであろう)、悪い言葉を吐きすぎる、彼のゴルフは面白くない…」と腐していた。

 つまり、ニクラウスはもっと人間味がある、偉大である、人気ももっとあると言いたいのであろう。
 Wilbonはこのコメントは本当に頭にきたようで、2人のスポーツ・ライターを尊敬しているのだが、と前置きして、2人とも叩きのめしてやりたいと以下のように書いた。

 「2人のライターはタイガーの黒人としての生い立ち、人生を知らなさ過ぎる。
タイガーの父は黒人であるがゆえに昔ホテルにもゴルフ場にも入れなかったことがあり、タイガーもそれを知っていた。タイガーは幼稚園で唯一の黒人だったために白人グループに木に縛られ、ニガーとペイントで書かれたことがあった。このように白人のニクラウスとは育ちも背景も全く異なるのだから反応が異なるのは当たり前だ。それに、ニクラウスも当時のヒーローであったパーマーをガンガンやっつけた時は、全くの憎まれ者だったではないか。タイガーを非難することはこういう歴史を全く無視している」

 同じ黒人のWilbonにしてみると、白人ライターが傲慢に、しかもタイガーの黒人差別経験を無視して書くことが耐えられないのだろう。
 タイガーが有名になった時に世論は一気に態度を変えて彼をもてはやし始めたが、タイガーにすると率直に受け入れ難いのかもしれない。

 タイガーが5年位前にマスターズで記録的アンダーで初めて優勝した時、クリントン大統領がホワイトハウスに招待したが、タイガーは先約があるといって断ったのは有名な話だ。
 こういう反応は生意気と言えば生意気かもしれないが、タイガーはタイガーだけが知る経験、人生観からの判断があり、それは我々には憶測できないものがあるのだろう。
 ニクラウスが憎まれ役から帝王として評価され、尊敬されるようになったのはニクラウスが40歳位になってからなのだ。

 タイガーはまだ29歳で強すぎる故に憎まれたり、冷たい、勝つのは当たり前でつまらないと見られるのは当然だ。帝王になった時のニクラウスと29歳のタイガーを時代の差を無視して比べたり、黒人だけが知るアメリカの醜さを考えずに比較することは非常識である。
 Wilbonはこういうことを言いたかったに違いない。

 アメリカ嫌いで有名なモントゴメリーでさえこう述べた。
 「我々の世代のベストプレーヤー、しかも圧倒的なベストプレーヤーに負けたことは全く恥でも何でもない(That's never a disgrace, losing to the best player of our generation, by far.)」

 もし、タイガーがベストプレーヤーでも人間的に問題があれば、イギリスでの評判を気にするモントゴメリーはこうは言わなかっただろう。つまり世界の同僚プレーヤー達はタイガーの人格、生き方を十分評価しているのである。

 また、こんな話もある。日本でも昔、大人気があり、今はテレビのコメンテーターをしているローラ・ボーは「私とタイガーはそばに住んでいて、あるレストランにタイガーが入ってくるのを何回かみたことがあるわ。彼は本当にかっこがいいけど、入ってくるときはいつも携帯電話で話しながら入ってくるのよ。でも、きっと本当に電話で話しているのではなくて他のお客が近づかないようにするためだと思うわ」といっていた。

 つまりそれほどタイガーは人気があり、人が寄ってくるのだ。従って彼はメディアにもそんなに愛想は振舞っていられないのである。それを白人スポーツライターは誤解しているのかもしれない。

 Wilbonはこの記事の冒頭で「この記事はタイガーは賞賛されるべきであるということについてだが、人種問題を含めたことを書くから、その覚悟でこの記事を読んでくれ」と前置きしたのは、人種問題はあまりに微妙な問題で、ともすると両刃の刃になる恐れがあったからだろう。ともあれ、スポーツライターが他のスポーツライターを公然と批判するのは正にアメリカ的で面白いではないか。