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第11回 アメリカ特許訴訟




●法律事務所が負う特許訴訟のリスク

 アメリカの特許裁判はたった2週間位の公判で陪審員によって全てが決定される。最も裁判自体は訴訟が始まってから3年位はかかるのが普通である。では、2週間の公判以外は何をしているのかであろう。それはディスカバリーと呼ばれる証拠収集期間である。その間原告及び被告が互に提出する数10万枚から数100万枚の企業書類の内容を調べ公判に用いる重要書類を選定し、陪審員のいる公判でその内の50〜100枚位が用いられる。では高度の技術内容の書類の中身をどのようにして素人の陪審員に伝えるのか。それは企業の技術者やその技術のプロの専門家証人が内容をわかり易く説明するのである。企業技術者の証言には当然バイアスがかかるから、専門家証人の証言が重要になる。そのため訴訟になるとよい専門家証人の選択が実に重要になり、早く探した方が有利になる。その分野で専門家が少ない場合は引っ張り合いになることもある。

 筆者も日本特許の専門家として法廷に出ることがある。
 アメリカ企業がアメリカの法律事務所を通じて日本に特許出願しようとして、法律事務所がミスを行い、日本で特許を取り損なうとアメリカ企業は法律事務所を訴訟することはざらにある。もし特許が許可されていれば日本で何億円かの利益があったはずだからその分の損害賠償を支払え、と要求する。そのためアメリカの法律事務所は5〜10億円位の保険に必ず入っている。

●裁判にも勝った「コロンブスの卵」

 ある事件で私はアメリカ人発明者に専門家証人を依頼された。
 その時私は、陪審員の前で法律事務所が正しい手続きを行っていたら日本で特許が成立したであろうと証言した。
 相手側訴訟弁護士(結構美人だった)は、古い類似技術を私に見せ、問題の発明はこの古い技術と似ている、だから日本では特許にならなかっただろう、と反対尋問して詰め寄ってきた。確かにその古い技術は、見かけはその発明によく似ていた。こういう事は良くあることである。完全に新規な発明とはそうあるものではない。どことなく古い技術と似ているものである。その理由の1つは、古い技術を新しい発明を知った上で見るから余計に似て見えるのである。手品はタネを知らなければ素晴らしいが、タネを知ってしまうと、何だそれなら自分だってできる、ゴマかしじゃないか、と思ってしまう。
 このように発明という答を見てから古い技術を見ると、その発明は当たり前だとか、たいしたことはないと評価してしまうことが多いが、それを「後知恵(hindsight)の論理」といい、特許を評価する時には絶対行ってはならないことである。美人訴訟弁護士に、「この古い技術からその発明は当たり前だったんじゃないですか」と詰め寄られて私は、「とんでもない。古い技術を見ても誰も発明は思いつかない。でもあたらしい発明という回答をみてから古い技術をを評価すると、新しい発明も古い技術から簡単に見えてくるという『hindsight』の論理ですよ」と答えた。さて問題は特許でhindsightとはどういう意味であるか陪審員に説明しなければならないことである。

 判事に促されて私はちょっと考えた。hindsightは日本ではよくコロンブスの卵の話に例えられる、そういえばアメリカ大陸は今から(この訴訟は1992年頃だった)約500年前にコロンブスに発見されたじゃないか…、と考え、「コロンブスの卵の話を知っていますか?」と言った。「え?!」と美人訴訟弁護士がきょとんとした。
 法廷の中でも判事を含めて全員が何がなんだかわからない顔をしているが、雰囲気でつかめた。そこで私は陪審員全員に向かってコロンブスの卵の話をとうとうと話し続けた。美人訴訟弁護士はオブジェクションをかけるのさえ忘れてただ聞き入っていた。
 「コロンブスが卵の底をちょっとたたいてへこませて立てた時、スペイン議会の議員は何だ、それなら俺でもできるという顔をしたが、それはコロンブスが答を見せたからである。それまで議員は卵を立てるなんてできやしないと答えていた。つまりこれがhindsightで、アメリカ大陸を発見するのは簡単だったというのはアメリカ大陸があることがわかった今だからいえることなのです。古い技術(西に航海すれば何かがある)の知識だけでは簡単に発明(アメリカ大陸の発見)を思いつくことはできないが、発明を知ってから古い技術を見ると発明が簡単に見えてしまうのでそのように評価してはいけないのです。」と締めくくった。

●コロンブスの挿話が示す欧米の関係

 法廷が終わった後、私の方の訴訟弁護士は、「素晴らしい話じゃないか!判事も陪審員も感心していたぞ!」と興奮していた。
 「コロンブスの卵を知らないのか?」と聞くと、「俺は聞いたこともないね」と答えた。そしてその後の陪審員の評決で我々は圧勝したのである。その訴訟弁護士は、「俺が使った専門家証人の中で君が最高だな!」といってくれたが、彼がコロンブスの卵の話を知らないとは驚いた。
 その後事務所に戻ってアメリカ弁護士連中に聞くと、誰1人知っている者はいなかった。そうか、これは日本の作り話なのか、と思っていたときにフランス人のアメリカ弁護士のアソシエートが出張から帰ってきたので彼に話すと、「ああ、それはヨーロッパでは有名な話だ」と言うではないか!そうか、アメリカ人にはコロンブスについ最近発見された国だというのは面白くないので広まらない話なのかとやっと納得した次第である。
 ともあれ、専門家証人はいかに陪審員に、判事もわかり易く説明しなければならないかという良い例であると思っている。だからこそ陪審員は難解な特許でもなんとか評決を出せるのである。