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第1回 世紀の発明王レメルソンの歴史的敗北



 特許で最も富を蓄積し古今東西の最大の発明王はエジソンでも、ベルでもライト兄弟でもなく、つい最近死去したジュローム・レメルソンであろう。
 レメルソンが他の発明王と異なる点は、エジソン達のように特許製品を販売したり、産業を興したわけではなく、数々の基本特許を取得し、そのライセンス収入のみにより何兆円といわれる巨万の財産を築いたことである。レメルソンの特許戦略は基本技術に関する古い特許出願を何回も分割したり、出願し直したりして、何十年も経た後に特許を取り(突如として浮上するサブマリン特許)、その時には社会や産業がその基本技術を普遍的に用いているので、陪審員訴訟を脅してライセンス収入を得る戦略である。

●バーコードの特許訴訟で莫大な利益

 レメルソンの数々の著名な特許の1つに1,500億円のライセンス収入をこれまでに得たバーコード技術がある。ホイジャー特許弁護士はその3分の1近くを成功報酬として受領しているので、当然ミリオネアーになり自家用飛行機6機を駆使して全米で訴訟、ライセンス交渉を行なっている。

 レメルソンは1954年と1956年にバーコードを含む最新技術を網羅した特許出願を行い、それらは1980年代でもペンディングになっていた。そして米国自動車工業界は1980年代末に、全自動車会社が用いるべき統一バーコード標準システムを発表した。ホイジャー特許弁護士がこの標準システムのことを知ると「1954年と1956年の出願にもバーコードの基本技術が記載されている。
 これを分割出願すれば特許が取れ、特許侵害になる」という手紙をレメルソンに送った。そして即座に何件もの分割出願を行い1990年代に16件のバーコード特許を取得し、世界の自動車会社を相手にライセンス交渉を開始した。
 既に他の技術のレメルソン特許について巨額のライセンス料を支払っていた日本の自動車工業界は、バーコード特許について争うことを避けて100億円のライセンス料金を支払った。米国のフォードはジェナー弁護士をたてて訴訟を提起し、元の出願から40年近く経って分割したことは、故意の遅滞があり、ラッチス(懈怠)により、特許権は行使できないと争った。

 地裁の判事補佐はジェナー弁護士の主張に同意し、レメルソン特許はラッチスにより無効であるという判決案を判事に提案した。この判決案に対する当時の世界の企業、特に日本企業の喜びと期待は大変なものであった。しかし、レメルソンの政治的影響力を考慮した判事は2年間慎重に検討した結果、結局ラッチスに関する強力な判例がないという理由で、判事補佐の提案を破棄した。ジェナー弁護士は控訴して闘うべきであると主張したがフォード等の米国自動車工業界は控訴を断念し、とうとう、和解してライセンス料金を支払った。

●ラッチス(懈怠)判例による逆転敗訴

 ここに至ってレメルソンの莫大なサブマリン特許は難攻不落にみえた。しかし、別の地裁で訴えられた中小企業のシンボル社は、ライセンス料金を支払う予算さえないとジェナー弁護士を採用して訴訟を続けた。その地裁はフォード訴訟の判決を引用し、レメルソン特許にラッチスはないと即決して判決した。

 この頃にレメルソン自身は死去し、訴訟はジェナー弁護士とホイジャー弁護士の間で争われた。シンボル社はCAFC(米国連邦控訴裁)に控訴すると、ここに至ってジェナー弁護士は最高裁のラッチスに関係する古い判例をとうとう発見した。そこでCAFCはレメルソン特許にもラッチスはあり得るとして地裁へ差し戻した。
 発明者のレメルソンという最強の証人を失ったホイジャー弁護士は苦戦を強いられた。又、現代のバーコードの真の開発者である元IBMの研究者は「私の人格は売り物ではない」といってホイジャー弁護士の証人要請を拒否した。そこで窮余の一策としてホイジャー弁護士はレメルソン夫人を証人に立てたが当然に失敗した。

 ジェナー弁護士は必死に判例調査を継続し、更に強力な1858年の最高裁のラッチスに関する判例を発見した。この判例は故意ではなく、過失で遅らせただけでもラッチスになるというレメルソンにとって致命的な判例だった。そして地裁判事はレメルソン特許は無効であると本年1月に判決したのである。ホイジャー弁護士は当然CAFC控訴のみならず、最高裁まで上告すると考えられるが、この強力な最高裁判例がある限り、レメルソンが逆転勝訴する可能性はまずないであろう。
 これにより特許製品を1つも販売しないで稼いできたレメルソン帝国は間もなく崩壊が余儀なくされようが、米国の行き過ぎたプロ特許が是正されたことを表す事件でもある。

 なお、レメルソン特許のために米国議会は数年前に特許法を修正したので、今後はこのようなサブマリン特許が出ることはまずない。これに反して日本特許業界は発明者に200億円与える判決が下されたりして、米国にもないプロ特許時代に突入しつつあるがこれには次回以降紹介したいと思う。