第24回 「理系文系の呪縛」からの解放


 日本の人材は理系文系に二分されている。「その根拠は?」という疑問すら持たずに、大学進学を考える時、就職活動の場で、キャリアパスあるいは生涯収入を予測する際、自らを「理系」あるいは「文系」のカテゴリーに位置づける。また、労働市場において「格差」をもたらす影の要因として学歴、性別、年齢の隣に理系文系が君臨する。

  では、何を持って理系文系とするのか?分化が始まるのは「高等学校」という印象を持つが、高等学校設置基準によれば「普通教育」と「専門教育」 の二分法しか存在しない。よって、大学で専攻した学問分野が理系文系のルーツとなるわけだが、科学技術の推進力として新領域、融合領域 が台頭しつつある今日、明確な線引きは不可能に近い。そもそも、すべての学問を二つの箱 に押し込めることの意義がどこにあるのか、一考に価する。

 あえて学問分野を二分したとして、大学での進路選択が何を明示するのかと言うと、大学教育を通して蓄積された「知識の専門性」となる。そこで、「知識の専門性」という視点から「理系」と「文系」を比較すると、「自然及び人造物」と「人を主体とした現象及び創作物」、と対象を異にし、また概念、知識体系、研究手法、評価システムにおいては更に細分化された分野毎に固有なものが存在する。しかし、専門性の基盤を成す、論理的思考、分析能力、批判的精神、課題探求力、といった科学的思考の本質的な部分に何ら違いを見出すことはできない。しばしば、理系進学者は論理性に、文系進学者は感性 に、それぞれ強みを持つとも言われるが、理系文系いずれも論理性と感性の両者を持ち合わせること無く専門性を極めることは難しい。

 このように定義付けすら困難な理系文系であるが、日本の労働市場では慣習としてこの二分法がスクリーニングの手段として用いられてきた。明確な役割分担、固定化されたキャリア・システム、「仕切られた多元主義」という条件下では、労働力配分にある程度合理性をもたらすが、オープンでイノベーティブな社会を目指すのであれば、この二分法は足かせとなる。なぜなら、そこには、固定観念または既存の枠に縛られることなく創造性を発揮し、自らを取り巻く環境とインターアクションを取りながら社会的価値を生み出していく、言わば理系文系の箱に収まらない人材が求められるからである。「理系文系の呪縛」からの開放を唱える所以である。

 「理系文系の呪縛」を解く術を持つのは、当事者たる国民であり、この二分法を社会制度として維持している企業、大学、政府でもある。合理的な国民は、労働市場を統治する諸制度との整合性を顧みること無く自らの行動規範を変えることは無い。よって、第一歩を企業、大学、政府が踏み出すことが必須となる。具体的なアクションとしては:

"企業:理系文系の採用区分の撤廃
"大学:リベラルアーツの精神を組み入れた教養教育、
  ダブルメジャー制度、教員のジョイント・アポイントメント制度の導入
"政府:公務員制度の技官と事務官の採用区分の撤廃、高等学校教育の質を担保する出口管理制度の導入
を挙げられよう。