第22回 一国の民であるとは?


 2007年がスタートしました。日本の伝統文化をおせちに味わい、家族とのひと時を楽しみ、ゆっくり流れる時が存在することを再発見したのは私だけではないと思いますが、世の中は休むことなく動き続けています。新春初のニュースは、時差はありますが、1月1日付けでブルガリアとルーマニアが欧州連合のメンバーとなったことでしょう。折しも旧東ドイツ出身のメルケル首相率いるドイツが議長国となった時に、です。

 第2次世界大戦が終結して61年、ベルリンの壁が落ちて17年、この長い歳月を経て、ジャン・モネの意をルーツとするヨーロッパ建設の渦は、ドイツ・フランスの和解に留まることなく、東西対立の構図をも名実共に過去のもの(*i へと押しのけてしまったのです。

 塩沢さんにつられて、思い出話をここで一つ。パリ在住のころ、親のように私を見守ってくださったのが、当時パリで商業デザイナーとして活躍なさっていた里見さんと奥様のマリワナさんです。彼女はルーマニアからパリに留学し、日本人と国際結婚をしたわけですが、第二次世界大戦、それに続く東西冷戦の中で、祖国と、そこに残した家族との音信は途絶えてしまい、入国が可能になった時点でも、当時の政権に不安を抱いていたことから、二度とルーマニアの地を踏むこと無く生涯を終えました。日本に生まれ、日本で育ちながら、国籍、国のあり方に何の疑問も持たずに過ごしてきた私は、彼女の祖国に対する気持ちに衝撃を覚え、「日本とは?」、「日本人であるとは?」と初めて考えるに至ったのです。 東西に分断されたヨーロッパは、「共同体」更には「連合」の名の下に、統合のプロセスを歩んできたわけですが、ルーマニアがその一員として再起復活を遂げたニュースを耳にして、マリワナさんに思いを馳せたというわけです。彼女に代わって一度ルーマニアを訪れることを新年の誓いといたします!また、年頭にあたり再度「私にとって日本とは?」と自問自答してみることにします。皆様もごいっしょにいかがですか?「イノベーション25」の概念の根底には「日本のすがた」があるわけで、「主観的な日本像」を描き出す作業を前倒しでやっておけば、「備えあれば憂い無し」となります。

 トルコの加盟に関しては、民主主義、人権、市場経済、欧州連合のルールといった諸制度の遵守に加え、宗教・文化といった要素が複雑に絡み合っていることから、より政治的な交渉となるわけで、更なる時間を要するという判断がなされました。欧州共同体であったころ、第一波のギリシャそれに続く第二波のスペイン・ポルトガルを既存のメンバー国と経済的な格差を抱えながらも統合していったという体験を持ちますが、欧州連合となり、2004年のポーランドをはじめとする8つの旧東ブロック諸国、キプロス、マルタの加盟に至っては、より高度で多岐に渡る調整が要求されるわけで、実質的な統合にはまだ至っていないというのが現状です。その中でのブルガリアとルーマニアの加盟であり、欧州連合はしばらくの間、「消化」の作業に重点を置く気配です。国家の間には、自由貿易協定(Free Trade Area: FTA)といったあるドメインに特化したものから、強制力のより強いConfederation、Federationといったものまで、異なるレベルの結びつきが存在しますが、欧州連合は、規模の拡大と結合の深化を同時進行させるという壮絶な作業をこれまで休むことなく遂行してきたのです。正に政治的イノベーションの実践であり、そこには、このイノベーションを誘発させ、統合の歩みを不可逆なものへと導いていったシューマン、モネ、ドロールといったイノベーティブな政治家が存在したのです。

 ここから何かを読み取るとすれば、異質のアクターを既存の組織に取り込み、システムを再構築し、新たな組織体として機能させることの難しさ、と言えましょう。しかし、この課題は国レベルに特有なものでは無く、私達の身の回りにも数多く存在します。大学が新規分野、融合分野を導入する、企業が新たな製品ラインを開発する、政府が府省連携型の施策を打ち出す、道州制を導入する、などの場面を想像してください。いずれも微調整では対応できない組織体の変革が必要となりますが、欧州連合の事例が示唆する点は、失敗を恐れず実験してみるというスタンス、それを推進する組織長のリーダーシップとなるでしょうか。

 ところで、今回のブルガリアとルーマニアの加盟に対する反応を見ると、メンバー国の間にある種の温度差が生じていることも確かです。欧州連合の根底を成す「4つの自由(物、サービス、人、資本の移動の自由)」の「人」の部分に関してですが、安価な労働力の過度な流入を避けるためスウェーデン、フィンランドを除く主要国は制限を設けることを表明しています。手綱捌きを一歩間違えると極右派の台頭を促すことにもなるデリケートな問題ですが、国益の防波堤として「国境」が前面に出されたわけです。地続きのヨーロッパ諸国(*ii を車で移動すると、シェンゲン協定の追い風もあって、国境をあまり意識することも無く、バリアフリーの空間にいるよう錯覚を覚えますが、実はそこには管理統制されたボーダーが存在するのです。そこで日本はと言うと、海という地理的な条件に守られてきたこともあり、国をまたがる労働者の流動性の問題は欧州連合の比ではありません。しかし、「オープン」な国を目指しその方向に進むのであれば、欧州連合が体験してきたこの問題は不可避なものとなるわけで、国民に受容されるポリシーが必要となるでしょう。また、その政策討議を可能にするのが、第19回の「『オープンである』とは?」(*iii に書いたように、国のあり方について考えを持つ国民の存在です。

 新年でもあり、「一国の民であるとは?」と大それたテーマを掲げ、持論を綴ってきましたが、最後に国を越えた「人の絆」について一言付け加えさせていただきます。「イノベーションとの関係は?」と目を丸くなさる方もいらっしゃると思いますが、これが大いに関係あることなのです。ひとりの人間など、できることは所詮限られたことで、自らの足で立っていると自負する人でも、よく見れば多くの人に支えられバランスを取っているのです。新しいことにチャレンジするということは、既存のバランスを壊すことでもあり、その不安定な状態の中でセーフティーネットとして機能するのが「人の絆」なのです。また、業を起し、新しい世界に一歩踏み出す際に、そのエネルギー源となるのが「人の絆」です。「人の絆」には国、言葉、文化、宗教、ジェンダーなどの壁は存在しないところがみそで、またインターネットのように接続する手間も不要です。最も価値ある無形資産であることを再認識した今日このごろです。




*i. クロアチアとマケドニアの加盟交渉は継続中ですが。
*ii. 英国はトンネル伝いですが。
*iii. http://dndi.jp/07-harayama/hara_19.php参照。