第9回 利己主義から利他主義へ

  すでに産業界から大学へと転じて11年が経ち、大学発ベンチャーの支援を開始して6年が経った。その間、随分と多くの方々に出会い、語り合い、志を共にした。その間にも、大学経営及び大学発ベンチャーを取り巻く環境は激変した。そして、国内第1号の兼業を前提とする大学発ベンチャーの設立に参画した時に高校生だった若者が、今や学部・修士課程を終えてVC・ライセンスアソシエイトとしての第一歩を踏み出すに至ったことは、真に感無量な次第である。

 日本にとって明るい展望が見え出した今日、気になり始めている点がある。それは、大学人がかつて共有していた「おおらかさ、お人好し、性善説」がすこしく失われてきたような気がするのである。そもそも大学とは、人や社会をより良き方向に導くための「お人好し集団」であったはずだ。教授は、学生の人生の針路について学生や企業人が思いも寄らない人類史の視点から、彼や彼女にゼミナールや研究活動を通じ語りかけた時代が確かに存在した。また、企業人は、大学へのリスペクトをもって教授を訪問し、優れた学生の存在に最大限の注意を払って次世代の企業における研究開発・経営の担い手を探索していた。

 ところが、国立大学が法人化されて以降、大学経営に携わるものは一応に「外部資金の獲得と経営の効率化」を叫びだした。しかしながら、研究は外部資金を獲得できるからするものではないし、教育とは経営効率で推し量れるものでも永遠にない。すべては結果指標に過ぎない。たとえ誰に見向きもされず日々の研究費にすら事欠く研究室であっても、人類社会のあり方を根本的に変えてしまうほどの偉大な発明・発見は生まれる。また、どのような環境に育った学生でも、<凡人を大器にしうる空間>が大学には確かに存在する。

 大学で学ぶことに意味も意義もわからず入学してくる大量の団塊世代Jr以降の学生と、かれらに単位という資格をあたえ授業料を得ることに終始する大学は、いつの間にか3年生の秋頃からスタートする企業のリクルーティング活動(=青田買い)に同化してしまった。筆者が学部生だった頃、4年生の夏休みにやっとOB訪問が始まり、10月1日が内定日であったと記憶している。それはそれで、十分に緊迫し充実した最終学年だった。ところが現在では、父兄ですら子弟の充実した大学教育よりも、アルバイトによる自活と早期の就職先内定を望んでいるように思われる。

 こうして、社会の大器を輩出する一方、産業イノベーションの発信拠点となるべく取り組んできた大学改革は、いつの間にか大学を安易な就職予備校と化し、外部資金獲得という名の研究スタイルを大学にもたらしてしまった。だが、本当の学問や大義を知らずに大学を卒業しても、長い職業人生で有効なスキルの品質保持期間はわずか数年に過ぎない。また、世界で戦う一流企業をもってしても開発できなかった高い技術を、獲得した外部資金で研究評価されるような大学人が生み出せるはずもない。

 それでは、どうすれば大学をより重厚な、より高品質な、より意義深い、教育や研究へと導けるのだろうか? 筆者は、産学連携から学んだ実体験から、「利己主義から利他主義への転換」を強く勧めたい。

 例えば、大学知財本部が技術移転を求める企業に対して多額の初期契約金や不実施補償を求める行為が、かえってそれを疎外していることがしばしば観察される。企業は、抱えている多くの従業員、傘下のサプライヤーへの配慮、多額の資本費・減価償却費を日々支払っている。これに対して、特に国立大学法人は、その支払い元の予算が国家によって保証されている。だとすれば、過去に多額の税金が投入され研究されきた大学の研究成果の移転に関して、企業が価値実現する以前に大学がその対価支払いを求めるという行為は、大学の過度の<利己主義>が原因していると言わざるを得ない。大学は、自ら産業面への応用や市場化のリスクを負わない形での単純な技術移転において、成功報酬型以外の報酬を企業側に求めるべきではないと思われる。

 他方、大学側が産業化のためのイニシアティブをとり、自らリスクをとりコストを負担し、そこで開発された製品を企業に売り込んだ場合(=大学発ベンチャー)、企業がそれらの試作品ないし完成目前の技術を手に入れるために、相当な契約金を大学側に支払うことは自明であり当然である。これを渋る企業が存在するとすれば、それは企業の<利己主義>に他ならない。

 つまり、大学も企業も互いに<利他主義>の立場に立てば、大学は、企業を豊かにしてこそ自らの栄誉と将来の経営資源を獲得できることに気付くであろう。また、企業は、大学の果敢なチャレンジ精神に対して十分な対価を提供してこそ、他の競争企業に先んじて新たなテクノロジーを獲得し市場での独占利益を享受できるだろう。すなわち、双方が利する最も効率的な観点は、実は<利他主義>にあることが理解される。

 翻って教育に目を転ずると、企業が<利己主義>の観点から学生を青田買いしても、学生にも<利己主義>は存在する。それゆえ、企業における手厚い新人研修を経てやっと一人前になった頃、新入社員たちはより良き待遇と可能性を求めて転職してしまう。だが、企業が学生に対して<利他主義>の姿勢を一貫していれば、このような悲劇は今よりはずっと少なくなると考えられる。なぜなら、企業が<利他主義>の立場に立って学生を採用し、一流の企業人へと育て上げた場合、学生も他企業からそれ以上の<利他主義>を感じとれない限り、転職というリスクを常に冒すとは考えにくいからだ。

 それゆえに、<利他主義>こそがこれからの大学経営および企業経営にとって不可欠な基本理念であるように思えてならない。