第8回 大学に対する公的投資の21世紀的意義について

 大英帝国衰退の歴史が日本で繰り返されるのではないかという懸念が、今日、急速に高まっている。日露戦争前の時代、大英帝国はアジアにおける対露政策で利害一致した日本と同盟を結び、英国のすぐれた工業技術が日本へと移植された。その結果、例えば、英国ヴィッカース社と北海道炭坑汽船は、海軍の強力な後押しによって北海道室蘭に旧日本帝国海軍向けの最先端軍需工場として、(現)日本製鋼所(JSW)をジョイントベンチャー形式により設立した。英国から日本への技術導入は、最新設備の買い付けと技術指導への莫大な支払いを要し、そのために当時の世界基軸通貨であった<英ポンド>を大量に必要とした。ところが、外貨準備としてのポンドは国内で慢性的に不足していたことから、大蔵省と日銀は盛んに野村證券や三井物産のロンドン支店を通じてポンド建て外債を発行し、現地調達したポンドをもって英国企業への支払いに充てたのだった。

 これを英国側からみれば、豊富な余剰国内貯蓄を用いて日本をはじめとする米、独などの新興工業国の公債や株式を積極的に購入していたことになる。その結果、これらの資金は、日・米・独における工業力を結果的に高めることに大いに貢献し、三国の新産業は育った。こうした国内製造業への投資減少と海外債券の購入による国内産業弱体化傾向は、先進国であれば多かれ少なかれ観察されるが、英国の場合はそれが顕著だった。大英帝国は、その後、海外債券を保有する<保守層>と持たざる<労働層>へと二極分解した。そして、二度の大戦での疲弊と国内製造業の弱体化過程で生じた相次ぐポンド切り下げによって、持たざる労働層は持続的なインフレによって恒常的に低所得化し、持てる保守層は海外金融資産価値を持続的に増加させる事態が出現した。まさに、自国の窮乏化は持てる層の豊かさを増加させたが、国内の製造業への新規投資がほとんど停止し国際的な産業競争力は決定的に弱体化したことから、もはや満足な国産自動車や国産コンピュータも国内メーカでは製造できない(ジャガーもロールスロイスも英国企業ではない)二流工業国へと陥ってしまった。

 現在、我が国では巨大な郵貯が民営化されようとしているが、この厖大な郵貯という国内貯蓄は、今後どの分野に使われるべきだろうか。すなわち、@年金・医療などの社会保障支出による財政赤字を埋め直すための赤字国債購入に使われる、A大英帝国のように海外の債券・株式投資に使われて、結果的に海外の産業競争力向上に貢献し、国内産業の長期的弱体化を招く、B国内外企業が飛びつくような素晴らしい研究業績を上げる国内大学や公的研究機関で、研究者雇用を含む研究開発投資を支える公的支出財源としての建設国債購入に使われる、が考えられる。もちろん、政策は<ゼロか一>ではないから、それらの3つのポリシーミックスが選択されるだろう。けれども、預金者の短期的収益率のみ考慮し海外金融投資に大半が使われたなら、英国の歴史を見るまでもなく我が国産業が長期的に弱体化することは必至だ。

 日本に、英国がたどった二流工業国への転落の悲劇を繰り返させては絶対にいけないと思う。それゆえに、ハコモノにかわる<未来志向の大規模な公的投資>による新たな国のイノベーション戦略が必要だ。すでに道路空港港湾・上下水道・情報通信・電力ガスインフラなど、戦前とは比較にならない国内インフラ水準に達した我が国は、今後、超少子高齢社会のコストとして、莫大な公的年金支出と医療支出を覚悟する必要がある。だからこそ、こうしたコストを負担できる輸出競争力に優れた足腰の強い製造業を、今後とも国内に維持強化しなければならない。また、日本語という閉ざされた言語体系に生きる日本は、ソフトウェア・サービス・金融保険といった産業で外貨を稼ぐことが著しく困難だ。それゆえに、世界中だれでも理解できる世界共通の価値尺度をもつ<工業製品>で勝ち続けなければならない。大英帝国は、まさに英語という武器を駆使してこうした分野に参入し、世界的な金融帝国を築き上げたはずだったが、日独との戦争に米国支援で辛くも勝利したものの、戦後の工業力で日独に完全に敗北した。

 他方、世界一精強な軍隊を維持するための支出をいとわない軍事大国米国は(中国も同様)、多くの公的投資を私立・公立を問わず大学に注いでいる。なぜならば、安全保障上で<強い>状態を維持するためには、世界一の兵器を開発するための基礎研究と応用技術が国内に必要だからだ。その結果、MIT全予算の4割が国防総省から大学へと直接支出されている。ここで生まれた試作結果が、大学発ベンチャーを含むスピンオフ型ベンチャーに技術移転され、次に国防総省が大企業に発注する厖大な兵器の基本システムに対し、スピンオフ型ベンチャーからの部品調達がビルトインされているのだ。つまり、第二次大戦の英雄将軍アイゼンハウアー大統領が引退の際に警告した<産軍コンプレックスの肥大化>に、<国防予算→大学→ベンチャー→大企業→軍>という学を加えたインキュベーションシステムが機能している。

 それでは、1945年の敗戦後、一貫した非軍事化を国の基本とした我が国は、一体どのようにして世界のハイテクレースを戦ってゆけば良いのだろうか? 答えは<産学官連携による新産業創出>にある。そして、莫大な公的投資が大学になされれば、次世代の産業と雇用を創出する成果が生まれる必要性がある。その方法が、前回説明した<大学発知財の商業化戦略>だ。そうしなければ、20年から30年先のすぐれた研究人材や画期的な産業技術が生まれなくなるからだ。四半期毎にROEを発表し、半年ごとに中間配当しなければならない<民>に国のイノベーションを託すことは、官主導の護送船団方式が崩壊し談合経済が徹底糾弾される社会では、もはや不可能である。つまり、基礎研究における<民から学への流れ>が非常に大切となってきた。

 非軍事分野でも日本が世界に貢献できる分野、例えば新エネルギー、新素材、バイオエンジニアリング、光素子など、いくらでもテクノロジーフロンティアは存在する。こうしたフロンティアを開拓するには、我が国のすぐれた知的資源を国内研究開発のために集中投下しなければならない。日本では、面積においてカリフォルニア州ほどしかなく国土の70%が山岳地帯という小さな四島に、1億人2000万人もの国民が飢えることもなく豊かな生活を続けている。この豊かさは、決して偶然でもなく、天の恵みでもなく、ましてや他国援助の結果でもない。日本人の勤勉が可能とした農・工・商あらゆる分野での絶えざるイノベーション=技術開発の賜だ。その担い手である理工系の科学者・技術者およびテクノロジスト(高度職人)を、今よりもっともっと大切に育てなくてはならない。その育成は、初等・中等教育の教師の力量に依存しているが、彼らの養成も大学で始まる。それゆえ、国の基礎力は大学にあるのだと思う。そこに公的投資を惜しむ国家は必ず弱体化する。そして、莫大な基礎研究を国民のために産業化するため、<大学発知財の商業化戦略>も極めて重要だ。だからといって、研究成果が即時商業化されなければ、大学での基礎研究、公的投資は不要とすることは全くの暴論である。子供が大人になり老いるように、研究も基礎から応用へ進化し、それらのうちのいくつかが商業化されて技術となり産業化され、やがて衰退する。だから、基礎的な研究は、子供の未来がその時点でわからなくても大切なように、今は価値がわからなくても尊ばれ継続されなければならない国家的な大事業なのだ。そのためにも、郵貯は21世紀の公的投資に資する大切な原資といえる。

 こうした郵貯を、大学における未来に向けた研究開発や産業化のための技術開発に効果的に用いるためには、資金運用を担う金融機関に<高い志と知性>が求められる。これまでに、こうした大学における研究成果の商業化に対する投資を寡黙に着実に実践してきた金融機関が、幸い我が国には存在する。「日本政策投資銀行(旧日本開発銀行)」である。同行が、大学発ベンチャー投資を目的とする民間投資組合(ファンド)への直接出資を開始してから、既に数年が経ようとしている。続いて、民間金融機関の資金が民間ベンチャー投資ファンドに集まり出したのだ。つまり、日本政策投資銀行は、現在の大学発ベンチャーをはじめとするテクノロジーベンチャーに対する民間投資の<呼び水>として、素晴らしい機能を発揮した。その原資こそが郵貯であった。

 平成18年には、国と地域のイノベーションを担う一大拠点を目指して、大学における大胆な統合再編と大規模な公的投資が望まれる。投資の形態は、公的研究助成であれ、産学連携であれ、大学発ベンチャーへの投資であれ、何でもいい。そして、我が国大学における研究開発と人材育成がさらに活性化し、我が国の産業競争力が一層強化されることを切に祈る。