第7回 そもそも、なぜ大学は研究成果を<商業化>すべきなのか?

 その理由を一言で言えば、「大学から社会を豊かにする<社会のイノベーション=新結合>を次々と生み出してゆくため」と私は考えている。それでは、なぜ商業化するとイノベーションが生まれるのだろうか。商業化とイノベーションとの間にはどのような因果関係が存在するのであろうか?

 例えば、一瞬の事故やテロで失明したり手足を失ってしまう人が、世界には大勢いる。もしもこうした人たちに、脳から発せられる微弱な信号を検知して以前と同じような視力や運動を可能とするハイテク人工眼球や人工義手義足を提供できれば、その人達の人生がどれほど希望に満ちたものとなるだろう。大学の一研究室が、画期的なアイデアに基づくこれらの試作品開発に成功したとしよう。その開発には、莫大な公的研究助成金が投入されているだろう。ところが、それらの試作品が実用に供されるためには、まだまだ多くの改良、試作そしてデリバリー(納入)のプロセス作りが欠かせない。

 こうした改良・試作・デリバリーは、現代資本主義社会において<企業>が担っている。つまり、市場におけるニーズとカスタマーを探索し、顧客に製品を迅速に届けるため部品サプライヤーを決定し、適切な価格体系を設定し(恐らく多額の公的補助金受給のための代理申請まで行い)、適切かつ迅速なデリバリー・アフターサービス体制を整え、最後に生産して納入できる主体は、<企業>である。そして、ビジネスチャンスが存在する限り、企業は第三者から投資を受け、事業を開始して市場が形成される。

 これら、大学における研究成果を企業に結びつける行為を、我々は<商業化>と呼ぶ。先端技術を結集した人工眼球や人工義手義足の製品化は、<商業化>なくして実現しない。つまり、<商業化>は、単なる改良・発展を促すのではなく、シーズとニーズを結びつけマーケット全体に大きな社会イノベーションをもたらすエンジンなのだ。

 こうした関係は、我が国の戦前における軍事用航空機産業発展史にも観察される。戦前、我が国には民間航空機需要が存在せず、「陸軍」及び「海軍」の2つの巨大ユーザーのみが存在した。つまりユーザーとしては公的部門しかなかった。だが、軍の厳しい要求を満たすため、中島飛行機ならびに三菱重工などの民間航空機メーカーは熾烈な技術開発競争を社運を懸けて続けた。旧帝大航空工学科を卒業した俊英エンジニアたちは、競って航空機メーカーに就職し、社費で欧米の大学・航空機メーカーに長期留学し、『三菱零式艦上戦闘機(エンジン=栄1000馬力/1940)』や『中島疾風(エンジン=誉2000馬力/1944)』など、連合国の一般水準をはるかに凌駕する傑作エンジンと機体を生み出した。

 1945年以前、帝国大学や陸海軍研究所で研究された基礎的な研究成果は、航空機メーカーによって活かされ、それまでのコスト及び次世代のエンジン・機体開発費用まで織り込んだ価格で、軍という巨大ユーザーに販売されていた。1945年の軍事的敗北によって国内航空機メーカーはユーザーを失ったものの、中島飛行機は日産自動車・富士重工(スバル)と姿を変え世界的自動車メーカーとして生まれ変わり、三菱重工は昔も今も変わらず世界をリードする総合エンジニアリング企業として、共に戦前の卓越した航空機技術を自動車へと転換し我が国産業のバックボーンを支えている。

 以上の例からも、ユーザーが公的部門であろうなかろうと、優れた技術は<民間企業による商業化>なくして開花しないことがわかる。つまり、大学が<商業化>を積極的に推進し、民間企業による製品化や新産業創出へと結びつけない限り、大学の研究成果は社会のイノベーションに貢献できず、結局、投下された公的資金は未来の国富を形成できない。

 「私は、今日明日の研究をしているのではない。50年先の人類と世界に貢献する研究をしているのだ。」という言葉を基礎研究者からしばしば耳にする。だが、科学は、技術として育ち、市場を創り、雇用を生み出し、産業となって、初めて人類に貢献できる。その間には全体で数十年のタイムラグが存在するかも知れない。だからこそ、大学は営々と若い科学者・エンジニア、そして技術をマネジメントできるMBAの教育を続けなければならない。しかしながら、大学における<商業化>に誰かが着手しない限り、科学と産業との間には絶望的なギャップが存在する。こうしたギャップを埋めるべく、<商業化>を進める担い手こそが、現代ではTLO、ライセンスアソシエイト、弁理士、エンジェル、キャピタリスト、そして大学発ベンチャーと呼ばれる。

 膨大な研究資源と優れた研究人材を抱えながらも、それを<商業化>する能力とアンビションをもつ人材を組織化しなければ、やがて総人口の1/3が65歳以上となる日本の国内貯蓄と産業競争力はみるみる減衰する。こうした状態を持ちこたえながら次世代の国民所得を生み出すための源泉は、<科学と産業の連携>にしかない。それゆえに、科学者やエンジニアそして商業化の担い手たちが、産業界において名誉ある豊かさを享受できる仕組み作りも見逃してはならない。だから、知財戦略が根幹なのだ。

 結論を急げば、近未来の我が国の年金・医療の問題は、短期的な税制・年金のシステム改革を超えて、中長期的には今日の大学・研究機関における研究成果の<商業化>如何にかかっているといえる。