第7回 新春号



 年が改まり、産学連携事業は5年目に入った。昨年はそれまでの3年分を1年にも凝縮したような充実した期間でもあった。これまでの4年間が助走期間であったとすれば本年は滑走路を飛び立ち一段と飛躍する年になることが想像される。

 各種イベントの中でも、6月の京都大会(産学連携推進会議)や、11月の東京大会(産学連携サミット)が定番となっているが、それらにも増して9月の知の見本市としての「イノベーションJAPAN」が広く認知される事となり、たった二年でその主役に躍り出た。これを主催するのは文部科学省や経済産業省、更にJSTやNEDOが挙げられるが、ここまで質・量が充実してきたのは、主役である全国の大学が意欲的に取組んできた結果であり、次に黒子として支えている日経BP社事業局の功績が大きい。

 一方11月14日には、一瞬にして眠気を覚ます特集記事「虚妄の大学発ベンチャー 民営化時代のタックスイーター」が日経ビジネス誌から飛び込んできた。「水をさす」とはこのことで当日は産学連携サミットの開催日でもあった。日経ビジネス誌の出版社は日経BP社、今度は報道局だ。発信元が「日経BP社・日経ビジネス誌」だけに各方面にあたえる影響は大きく、場合によっては産学連携事業のスピードが鈍ることも懸念される。何よりも大学の方々が受けたショックは大きかった。

 飛躍の年を気持ちよくスタートするためにも論点をきちんと整理しておきたい。皆様方のお役にたてば幸いである。

【錆びたペンでも剣に勝てるのか?】
 秀逸な文章は読者を一気に最後まで読ませる力を持っていると同時に、一服の清涼剤として読み終わった後に、えもいえぬ清々しさも与えてくれるものだ。デジタルニューディールのメールマガジンが根強い人気を維持しているのは、時としてそのような幸せに浸ることができるからに他ならない−と、出口さんを持ち上げるのは程々にして、そういう意味で対極にあったのが、昨年11月14日号の日経ビジネス誌の特集記事だ。久し振りで後味の悪い文章に出くわした。全国で数十万人の読者に支持されている日経ビジネス誌にしては「一体どうしたの?」と思わせるレベルの低さでもあった。ここでその理由を考えてみよう。

 兎に角シナリオの展開がまず過ぎる。内容の一つ一つはきちんと取材をしたうえでのことなので、それ自体は正しいことだろう。しかし、記者の意図する方向に展開するに及んで事実の裏づけに乏しい「小さなウソ」と「小さな事実誤認」が登場してくる。従って、正義漢然とした内容が勧善懲悪に読めないのだ。結果として三流のゴシップ記事や、質の悪いネガティブキャンペーンの類を想わせるものとなってしまった。「記者は産学連携、知的資産の社会還元を否定しているのか」というと、そうでもないらしく、実は「あるべき姿」を最終章において提言している。その意味では理解者であり、支持者であり、また推進者の一人の筈なのである。

 「ペンは剣よりも強し」、やはり活字の影響は大きく、本記事は内容の程度はともあれ、様々な分野に波紋を投げかけることとなった。例えば、グーグルの検索システムを回してみると数百件がヒットするし、最近流行りのブログではこの件について賑やかに様々なコメントが乱舞している。その意味では、それだけ社会の関心が高い「旬(シュン)」な話題と言えるかも知れない。また関連当事者の間でも議論が重ねられているとも聞いている。

【大学発ベンチャーはタックスイーターか?】
 新たな知的資産の創出は産業のイノベーションを起こし、経済の活性化を誘発する。その時に大学が果たす役割は極めて大きく重要である。そして知の活用は21世紀を生きる我々に幸福をもたらすことが期待されている。科学技術創造立国を標榜するわが国は、21世紀を迎えるにあたり、前後の10年間で約38兆円の予算をつぎ込んできた。特に2001年からの5年間は、重点項目を定め21兆円の規模に達している。記事にあった大学発ベンチャーへの補助金は、金額の信憑性はともかくとして、それでもたったの7000億円(年間)しかないのである。この数字では、比率も金額もお粗末このうえなく、「大学は期待されているミッションに応えていない」というか「大学は、本当は期待されていないのではないか?」とさえ想わせる規模のものでしかない。

 ご承知のように、米国では引き続き世界のリーダーとなるべく21世紀プログラムの主体を産学連携において進行中である。日本は自ら失った十数年を引きずりながら、これからも後塵を拝するつもりなのだろうか。否、私達が人類の幸せに深く貢献する意味でも、これからの産学連携にかかる役割と責任は重いものがある。産業界も、大学も自らの使命をきちんと理解しなければいけないし、何よりもタックスペイヤーが認識を深めることが重要である。そういう意味では、大学発ベンチャーは日本で最大の科学技術予算を消費する主体でなければならない。

【シナリオを構成するものとは】
 ナチスドイツが第2次世界大戦で負けた本当の理由をご存知だろうか?連合軍は、大戦の終盤になってナチス軍の行動予定を全て把握していたと言われている。機密が漏洩されたのではなく、それまでのナチス軍の行動を分析することで「次の行動」をことごとく読むことができたのだ。つまり、個々の事実を繋げると全く予想もしないシナリオができてしまう、ということである。

 今回の特集記事に登場した方々は、まさかあのような論調になろうとは想像もせず取材を受け、思いもしない内容に驚いたことだろう。勿論、彼らの本意でないことは明らかだ。ひょっとすると記者本人も最初はそのつもりで取材を始めたのではなかったのかも知れない。途中から何らかのきっかけでシナリオの方向が変わっていった事も想像される。

【日経BP社のスタンスについて:社内の利益相反】
 企業内における利益相反はいくらでもある。
例えば、メーカにおける営業部門と生産部門がそれである。営業部門は勝機に売りまくる事を考えているので一度に大量の生産を求めることになる。しかし、製造サイドでは常に高い品質の生産を目指しているので、要求される大量生産は難しいことになる。IPO審査では、内部牽制の観点から営業部長と工場長の兼務を禁止しているが、そのことに根拠している。

 証券会社においても、事業会社の担当者と企業アナリストがそれにあたる。事業会社の担当者は常に担当会社の「企業価値の向上」を考え実践するのがミッションである。一方アナリストは、企業の状況をつぶさに観察し「事実を投資家に伝える」のがミッションだ。不幸にしてその企業の状況が思わしくないときにも、いち早くレポートを発表しなければならない。こうして同じ会社のなかで利益相反が生じることとなる。幹事証券会社としてどんなに重要な会社であっても、そのレポートの事実を捻じ曲げる事はできない。

 いずれにしても社内における利益相反を調整するのは両者を管轄する上席者の役目であり経営者としての力量と責任が問われる事となる。さて、2回のイノベーションJAPANを運営したのは日経BP社の事業局、批判記事を公表したのは日経BP社の報道局ということになる。利益相反のジレンマに苦しみながらそれぞれのミッションを忠実に受けとめるのであれば、「報道やむなし」の感もあるのだ。願わくば、日経ビジネス誌に相応しいクォリティーの記事であって欲しかった。

【私たちの使命】
 「イノベーションJAPAN」は、たった二年で飛躍的にレベルアップされた。なぜならば、大学のおかれている環境が産学連携を進めるざるを得ない方向に向かわせているからだ。日本の大学経営は大競争の時代に突入した。生き残りをかけた大学経営は東京大学といえども例外ではなく、創出される知的資産をどの様な形で社会貢献するかが重要な経営課題となっている。一方、21世紀に入り、地球は悲鳴をあげてきた。人口・環境・エネルギーと20世紀の負の遺産に対する解決を迫られている。この命題をクリアにする役割を「学」が担っている。それを実践し産業のイノベーションを起こすのが「産」の役割といえる。そして、「官」の役割は極めて重要だ。

 わが国は科学技術創造立国として第3期に突入する。いわば「国策」である。「官」はこれまで、ここ10年間に投下してきた資金の額と使い道については詳しく言及している。本事業が産業のイノベーションを起こそうという国策であるならば、民間の発想に基づいた行政も必要とされるはずだ。従って、資金がいくら投下されたかの報告に終わるのでなく、そのお金がどの様な産業を生み、どのくらいの経済効果を生んでいるのか、という報告が求められる。勿論、民間では至極当然の話である。特集記事の記者と唯一同意できる点でもある。

 産学連携については、これまでに様々な事が言われてきた。
 「ままごと遊びの大学発ベンチャー」
 「産学連携に群がる・・・」
 「世間知らずの・・・」
 等々、どちらかと言えば否定的な内容が多かったように思うが、関係者に課せられたミッションと責任は非常に重いものがある。加えて、今や「スピード」が要求される時期に入ってきた。小さなことに拘っている時間はないのである。お互いに足りないところを補いながら進めていかなければならない。「産」・「学」・「官」それぞれに大人としての行動が望まれている。

 そして、淡々と、着実に「一歩前に」。

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