第5回 日本企業の米国進出を支援するインキュベータ


 前回はアメリカのビジネスインキュベータについて一般的な状況を説明した。今回は、現在私が勤務するジェトロ自体が日本発のベンチャー企業を対象としてシリコンバレーで運営しているインキュベータをご紹介し、実際に体験したことを述べてみたい。

 ジェトロでは2000年度から、日本発のベンチャー企業を支援するためのプログラムを開始したが、その一環として2001年1月にシリコンバレーでUS ミ Japan Business Incubation Center (BIC)を設立した。その目的は、第一に日本発のベンチャー企業の個別支援を行うことはもちろんだが、第二に本場シリコンバレーで日本発ベンチャーの成功事例を作ることで日本国内のベンチャーマインド育成の一助とすること、そして第三に米国市場でのインキュベーション事業を通じて得られる知見を日本国内のインキュベータに還元すること、であると理解している。

 副産物としては、本稿の執筆依頼を含め、ジェトロの活動に関心を持ってくださる方が増えたことや、地元のベンチャーコミュニティーとのつながりが深まったことなどが大きな成果となっている。

●サービスは

 BICが提供するサービスは、他のアメリカのインキュベータと同様、ハード支援とソフト支援に分けられる。ハード支援とは、いうまでもなく入居スペースを提供すること。一定の入居審査に合格した企業には、最長一年まで無料のオフィススペースが提供される。1社分約18・のオフィスには机、椅子、書架などの備品が準備され、電話と高速インターネットも入居のその日から使えるようになっている。電話やコピー機の使用などは実費を頂くこととしているが、基本的には負担はそれだけである。

 一方ソフト支援としては、アメリカでの生活を立ち上げるところから事業のコンサルテーションまで多岐に渡る。
 まず入居が決まると、実際の駐在予定者に応じた生活基盤の準備から始まる。アパートはどうするのか、車は買うのか。個人の銀行口座の心配から、中古家具の購入まで手伝ったこともある。

 さらに、一般的には現地法人の登記からビザの申請に進む支援が必要になる。実は、このプログラムを始めた当時(9・11のテロ以前)は、短期商用(B)ビザが比較的容易に発行されたが、現在では現地法人を設立しての企業内移転(L)ビザ、投資家(E)ビザ、専門家(H1)ビザなどを検討しなければならない。しかし、H1は発給数が極めて限られている上に受け入れサポートをする米企業が必要、Eは相当額の投資が必要とあって、現実的には現地法人立ち上げ後、速やかにLビザを申請することになる。

 ちなみに、始めての土地で現地法人を立ち上げる際に必要となる、会社法や移民法に強い弁護士、日米の税法に通じた会計士などで、しかもベンチャー企業が気軽に依頼できる事務所を紹介することも、BICの重要な支援である。

 ここまで来ても、やっと準備が整ったに過ぎず、実際の事業はスタートしていない。最近のアメリカでは、どんなスタートアップでも企業を紹介するウェブページを作り、名刺に書くことが常識となっている。日本から来たばかりとはいえ、英文のウェブの出来栄えは後のビジネスに大きく響く。ここでは、BICのアメリカ人スタッフが英語の直しだけでなく、「アメリカ的な」ウェブ作りのアドバイスを行うことになる。もちろんミーティングに持参するプレゼン資料やエクゼクティブサマリーの手伝いも必要である。

 ここから先は、入居企業のビジネスプランと製品の熟度によるが、製品・サービスの分野に応じた専門性の高いコンサルタントを紹介すること、従来から蓄積されてきたジェトロのネットワークを活用して取引相手になりそうな企業を紹介していくこと等、よりハンズオンの度合いを強めていくことになる。

 中には、アメリカでの活動開始直後に小規模な展示会に出展することになり、BICやジェトロの現地スタッフを「にわかコンパニオン」として派遣したこともある。

 ただし、多くのアメリカのインキュベータと違ってBICでは入居企業のイクィティをとることはしない。これまで、我々の事業を紹介した日本の関係者の中には、数%でもイクィティを取ればよいとアドバイスしてくださった方もあったが、これについては独立行政法人移行後のジェトロでも実現していない。

●これまでの成果

 プロジェクト開始以来BICでは19社の日本企業を支援した。このうち現在入居中の企業が4社、既に卒業した企業が15社である。

 卒業企業はその後どうしているか。このうち、現在もベイエリアに残って事業を継続しているのは4社であるが、実際には4社4様で最終的に米国企業に売却した会社、VCの指示でCEOと社名を変更してほとんど別会社として存続している会社、当地の独立コンサルに業務委託して社名だけ残している会社、日本から来た創業チームが残り着実に売上を増やしつつある会社、いろいろである。

 また、現在当地での事業は継続していない企業にしても、BIC入居中にシリコンバレーで築いたネットワークやこちらのコンサルタントとの関係を利用して日本でのビジネスを順調に続けている場合が多い。本稿の冒頭でBICの目的を、日本発ベンチャーの支援、成功事例の創出、インキュベーションノウハウの還元とまとめたが、日本の起業家の経験の場を提供しシリコンバレーとの人脈を形成すること、というのも長期的な成果の一つとして良いのではないかと考えている。

●入居希望者にアドバイス

 これまでの3年間の経験を通じて、これから入居を希望するベンチャー企業の方にいくつかのアドバイスをまとめておきたい。

 まず、創業間もなく事業基盤のないベンチャー企業が、日米で同時に事業を立ち上げるのは極めて困難である。日本である程度の収入があり第二フェーズとして米国展開を考える、または最初から世界企業として米国で事業を作っていく、どちらかに徹しない限りに正面作戦に耐えられるベンチャー企業はほとんどない。

 これとの関連で、米国での事業責任者は、創業者、CEOなど責任を持って決断のできる人が入居するべきである。意志決定権のない社員を駐在させても、機敏なビジネスの展開ができないだけでなく、適切なタイミングでの撤退の決断もできない。しかし、現実には、ビジネスの判断ができて技術の中身に精通しており、しかも英語ができるとなると社長しかいないというのが日本の多くのベンチャー企業の実態ではないだろうか。

 実は、この辺にジェトロが行うベンチャー支援プロジェクトの難しさがあり、国内でのこのような人材の育成と並行して進められるべきなのかも知れない。