第8回 男の嫉妬はこわい


 話をJTECにもどそう。小沢社長の決断によって1999年2月にJTECはついに国内初の再生医療ベンチャーとしてたちあがった。資金を提供したのは、二デック社、イナックス社、富山化学社、東海銀行の4社である。ここに思いもかけない幸運が舞い込むことになる。医薬品機構から融資が得られたのである。

 たまたま日経新聞をみていた大須賀さんが、囲み記事のなかに医薬品機構が新しいバイオベンチャーに対して融資する制度があることを発見したのだ。われわれはこの制度を活用することにした。それからが悪戦苦闘の始まりである。1週間ほどの間に百数十ページにもなる申請書類を作らねばならない。名古屋駅前のホテルの一室にわれわれ全員が集まり、文字どおり3日間完全に缶ずめ状態で書類を書き上げ、機構に提出した。

 この申請は幸い機構に取り上げられ、いよいよヒアリングという段階まできた。私を含むJTECの面々は難しい顔のならぶ審査室に招じいれられた。中央に桜井靖久東京女子医大名誉教授、顔見知りの吉里勝利広島大学教授、東京医科歯科大学榎本昭二教授の姿もある。短いプレゼンのあと質疑応答にうつった。前半は単純な事実確認の質問に終始した。好意的質問が続き、「これはいける」という感触が場にただよったとき、御茶ノ水にある某有名材料研究所の教授が普段でも不機嫌な顔を一層憎憎しげに曇らせ、「再生医療ベンチャーの見通しの暗さ」をまくし立て「失敗したらどうする」などいう。まるで「自分は材料研究者としてははるかに先輩であり、お前のようなポットでの若造(私のこと)が企業作るなど不届きだ!」といわんばかりに吼えた。

 場の雰囲気は一気に不採用に傾いた。いままで好意的であったひとたちまでなんだか懐疑的なことを言い出す始末である。暗澹たる雰囲気になってきた。ほとんど不採用に傾きかけた情勢を一気に救ってくださったのは、女子医の桜井教授であった。教授は吼え続ける材料研究者の真横に座っておられた。「再生医療ベンチャーの将来は誰にもわからない。失敗する可能性だってある。しかし10億程度のはした金を融資するぐらいで絶対に成功させよ、将来に責任をもて、なんて誰がいえるのか」と。これには救われた。材料研究者は苦虫を噛み潰したような顔のまま沈黙し、場の雰囲気は一気に好転しだした。採用ムードにかたまっていった。この日の出来事はJTECの歴史の中でも大きな一日だったと思う。ここで感じたことは、男の嫉妬のつよさと、桜井教授の包容力であった


▲日本学術会議会長賞受賞(2004年6月)でプレゼンするJ-TECの大須賀氏




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