第3回 グリーン教授に面会


 われわれが培養皮膚をつくるためにはフィーダー細胞をどうしても入手しなければならなかった。そのためにはDrグリーン(ハーバード大学教授、当時)に面談し、細胞の供給をお願いしなければならない。手紙でのやり取りでおおよそ、好感触をえていたが実際に会って見るまではわからない。はたして細胞がもらえるだろうか。緊張のなかでも「駄目でもともと。ボストン観光のついで」とわりきって研究室をおとずれた。

 1991年の夏ことである。われわれを出迎えてくださったグリーン教授は実に柔和で温厚な紳士で遠来の日本人をねぎらい、自ら紅茶をふるまってくださった。いちど会えば虜になってしまう、魅力的な人物であった。日本通の教授は前年に箱根、富士山にご夫妻で旅行した時の話をされた。

 話はとんとん拍子にすすみ、ついに研究用ならば細胞を供給してもよいという話になった。しかし、自分の研究室以外に細胞を出してはならないこと、商業利用してはならないこと、条件として出された。われわれは早速、覚書にサインし、よろこびで足が地につかない状態で培養液で満たされた2本の試験管に入れられた3T3−J2細胞をホテルに持ち帰った。

 細胞は室温で48時間は無傷で運搬できるとのことであったので翌朝一番の便で名古屋にむかった。空港のセキュリテイーで引っかかることをおそれ、私と同行の医局員の二手にわかれ別々の便で日本に帰ることにした。スーツの胸ポケットに潜ませた試験管は幸いチェックされることなく名古屋小巻空港までたどり着いた。空港には研究室の大学院生が迎えに来てくれていて、直ちに研究室に向かい細胞の処理をおこなった。こうして空路18時間かけてハーバード大学から名古屋大学口腔外科の培養実験室に細胞が到着したのである。

 われわれはこのフィーダー細胞大空輸作戦の成功によって聖マリアンナ医大形成外科についで、グリーン型培養皮膚の作製が可能になったのである


▲右がグリーン教授




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