起業への道
室蘭工業大学 応用化学科助手の藤井克彦氏が、現在進めているベンチャー設立までの軌跡をリポートします。本人自らがつづる、臨場感あふれる体験談です。

それは一本の電話から始まった…

【vol.1】

平成14年5月某日

午後7時ごろ、実験室の電話が鳴った。

 基本的には公務員は午後5時に業務終了ということになっているので(と言っても、学生さんの面倒を見た後に夜遅くまで研究に没頭している大学教官もいるが)、この時間に電話が鳴ることはほとんどない。かけるとしたら、私が普段から5時以降も居残って研究をしていることを知っている人物、あるいは、緊急の用事でどうしても連絡をつけなければならなくて電話をしてきた場合である。

▲学長からの電話の後、「これはエライことになった」と藤井氏
 やりかけの作業を一旦中止して受話器を取った。
『はい、藤井です』・・・
『あ、藤井先生でいらっしゃいますか?』・・・
『はい、私藤井です』・・・
『学長の田頭です』・・・


!!こんな時間に学長??・・・



 本学に着任して1年が経つが、田頭博昭学長と直に話すのは着任時に私を含めた新任教官数名に対する祝辞を頂いて以来であり、個別に話をするのは実質的に今回が初めてと言って良い。

 会社で言えばいきなり社長から、それも就業時間外に直接電話がかかってきたわけであり、『あ、、、、、お疲れ様です』というのがやっとであった。

 この数日間自分が何をしたのか?少なくとも警察の世話にはなっていないし、なりそうな面倒も起こしていないはず、自分が忘れているだけなのか?それとも、公務員の世界ではこのようなやり方で退職勧告があるのか?

学長『あの藤井先生、このような時間にお電話で申し訳ありませんが、今ちょっとよろしいですか?』

藤井『はい大丈夫です。なんでしょうか?(よろしくないと言えるわけがない)』

学長『実は前から先生にお話しなきゃいけないと思っていたんですけど、私も忙しくてつい忘れてしまって。あの〜先生、先日ご自分の研究成果を特許出願したいとのことで発明委員会に書類を出されましたよね。私はバイオに関しては全くわからないのですが、あれはどういった内容ですか?』

藤井『ええ、学長先生もご存知のように最近環境ホルモン問題が大きく報じられていますが、その環境ホルモンを栄養として食べてしまう菌を見つけまして、しかもそれが新種だったものですから微生物特許を出願しようかと考えているわけです』

学長『なるほど、それは面白い菌ですね。ところで先生、先生はご自分の研究成果を社会に役立てるといったことには興味をお持ちですか?』

藤井『ええ、もしも自分の成果を世に出すことができれば、これほど研究者冥利に尽きることはないと思っていますが』

学長『では、たとえばベンチャーなどというものには興味お持ちですか?』

藤井『ベンチャーですか、そういう形で成果を社会に還元できれば素晴らしいでしょうねえ。特に工学部というのは社会や産業にどれだけ成果を還元できるか、というのが大変重要ですから(今から思うと、少し調子に乗り過ぎた発言であった)』

学長『いや、そうですか。それは良かった。若手の先生にそのように認識して頂けると大変嬉しいです』

藤井『???はい。我々は国家公務員ですから』

学長『藤井先生。実はですね、先生の研究成果で会社を作って頂けませんか。 環境とバイオをキーワードにして1つベンチャー企業を作ってください

藤井『 ・・・・・はい?

▲藤井氏の研究室。すべては、ここから始まった…
 この後どのような話をしたかは緊張していてほとんど覚えていないが、どうも快諾したらしい。しかし学長との電話の後、『 これはエライことになったぞ 』と思ったことが今でも記憶に残っている。

 学長に話した成果還元、工学部の重要性についての私の認識はウソを言っていたわけではない。ベンチャーと聞いて心ときめくものが無いわけでもない。ではなぜ困惑してしまったかと言うと、それはズバリ、自分がベンチャーを作るような器ではないと自覚しているからである。

 まず起業するとなると取締役になるわけだが、自分はリーダーとしてうまく組織をまとめていけるような性格ではない。リーダーの腹心(雑用係?)としてチョロチョロ動き回るのがせいぜい適任だろう。

 また、起業するからには経済や経営学にも精通していなければならないが、私は自分の研究分野のこと以外はあまりにも知らないことが多く、経済や経営の前に一般常識を勉強しなければならないだろう。

  デフレスパイラル? 何かが螺旋を巻いているらしい。 ベンチャーキャピタル? 戦車に使われているキャタピラなら知っている。 定款? まず読み方がわからん。考えれば考えるほど、自分がベンチャー立ち上げには向いていないというか、決して手を出してはいけない人種であることを痛感した。とにかく菊池慎太郎教授(所属研究室の教授)に相談してうまく学長に対して断ってもらうか。これがその日私が出した結論であった。

 翌朝、菊池教授に相談に行った。彼の経歴について簡単に触れると、北大の農芸化学を卒業し、大学院薬学研究科で薬学博士を取り、その後会社勤め(大塚製薬)、米国留学、某医大というようにいろいろな環境を渡り歩いて10数年前に本学でバイオ系講座を立ち上げる際に助教授として赴任してきた。

 勤め人時代の話が面白く、何を隠そうポカリスウェットの開発に関わっていたらしい。開発当時は『汗と同じ成分のジュースが売れるわけがないだろう』と社内でも不評だったが、結果的には若き日の教授の勝ちで、ベストセラー的なスポーツ飲料となって世界中のアスリートに愛用されていることは周知のとおりである。プロジェクトxに出演させてあげたいような気もする。

『おはようございます。実は昨日の夜、学長から電話がありまして』
教授がパソコンを打つ手を止めて私を見た。
『へえ、それで何て?』
『はあ、研究成果を使ってベンチャーを作れという話でした』

 それを聞いた教授はおもむろにパソコンデスクから離れ、煙草に火をつけながら非常に複雑な笑顔を浮かべた。

『いや実はね藤井君、この前大学ベンチャーの話をちょこっと学長としてたんだけど、うちの大学からも是非ともベンチャーをって感じでものすごくやる気があるようなことを言ってたんだ彼は。でも まさか、うちに白羽の矢を立てるとはな〜

『ああ、そうでしたか』

『でもよお、 一言でベンチャーつったって、そうそう簡単にできるもんじゃないぞ

『そうですよね、経営についてよく分かっているビジネスマンが作る普通のベンチャーとは違って、ビジネスのビの字も知らん我々理系の研究者が作るものですからね(溜息)』

『しかも俺達がやってるような環境って確かに流行りの研究分野ではあるけど、これがどこまでビジネスとして通用するのか・・・』

『欧米では昔から環境浄化の市場が出来上がってはいますけど、日本はまだこれからという段階ですから』

 ベンチャー。素質の適否を別にするとやってみたい気はする。しかしビジネスについて全く知らない私のような研究者が簡単に手を出して良いものなのか。失敗すれば多くの方々に迷惑をかけることにもなるが、そのような危険を冒してまでもやるべきことなのか?この後、話をしては二人とも黙り込み、また話しては…ということを繰り返し、 出た結論が、、、

『よし、僕の知合いで小樽商大に下川哲央先生がいるから大学ベンチャーの話聞いて来い。彼はcbcって言って大学ベンチャー作るのを支援するセンターのセンター長やってるから。後で電話しとくから』

 教授が電話したところ、再来週に時間を空けて頂けるとのことであった。小樽という町は旅行パンフレットによく出てくる地名である。魚が美味いらしい。もちろんベンチャーについて真面目な相談をしに行くのではあるが、小樽という言葉の響きに北海道に来てまだ1年の私は何だかとてもワクワクしてきた。


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藤井 克彦氏の略歴

◇室蘭工業大学 応用化学科 助手
◇1971年生まれ 九州大学理学部 生物学科卒業
◇奈良先端科学技術大学院 バイオサイエンス研究科博士前期課程
◇東京水産大学大学院 水産学研究科博士後期課程終了
◇専門分野:微生物工学、環境バイオテクノロジー、有用微生物の探索
 電子メール:kfu@mmm.muroran-it.ac.jp
 ホームページ:http://www.mmm.muroran-it.ac.jp/~kfu/